6
愛馬に跨り、セシリアは城へと急ぐ。天気を気にしてというのもあるが、どことなく自分の乱れる気持ちを落ち着かせたかった。
慣れた山道をシェキッヒは駆け上がり、雨が降る前にセシリアは城へ戻れた。厩役に馬を預け城内に入り、私服なので上官の部屋を訪れる前に先に団服に着替えるべく自室へ向かおうとしたときだった。
「セシリア」
背後から声をかけられ振り返れば、ルディガーが早足でこちらに寄ってきた。
「おかえり。天気が崩れそうで心配していたんだ」
社交辞令かもしれない。いつも彼はこれくらいのことは言う。しかしルディガーの些細な気遣いが、今はセシリアの胸を痛めた。
「只今、戻りました。すぐに着替えて、報告に上がります」
「そのままでかまわない。先に報告を」
「……はい」
一瞬、迷ったセシリアだがおとなしく指示に従った。アードラーに宛がわれた部屋に向かう途中、ルディガーから先に今日の報告を受ける。
といっても彼の今日の職務は下から上がってきた書類に目を通したり、予定されている国境沿いの町への視察計画をまとめたりなどの事務処理が多く、とくに変わった件はなかった。
今は団員たちと視察に関しての打ち合わせをした後で、剣の稽古に付き合った帰りらしい。部屋に着き、セシリアはいつも通りルディガーが座るのを静かに待った。
彼女は机を挟んで彼の正面に立つ。
「今朝話していた遺体の妙な点に関しては説明がつきました。ジェイドからの話ですが、ベテーレンという花の効果らしいです」
「ベテーレン?」
「ええ。また、半年ほど前に獣に襲われたとされていたクレア・ヴァッサーについてですが――」
それからセシリアは順を追って今日の出来事と判明した事実を報告する。ジェイドからウリエル区のもうひとりの医者であるテレサを紹介され、彼女がクレアの遺体を所見し真実を伏せた話、テレサ経由でドリスの元を訪れた際のやりとりなど。
ルディガーはときどき口を挟みつつも、セシリアの淀みのない説明に耳を傾けた。
「アスモデウスに関してドリスは、きっぱりと否定しましたが、なにかしらあまり人に言えない美容法を試しているのでは、というのが私とジェイドの見解です」
「たしかに、彼女の言動は少し引っかかる」
ルディガーは顎に手を添え思慮を巡らす。その様子を見ながらセシリアは迷っていた。極力、主観を交えず正確に情報を伝えようとする中で、エルザの件を口に出せずにいたからだ。
個人的な案件なので報告と別にするべきと判断したが、どう切り出せばいいのか。
「ドリスについてはもう少し探る必要がありそうだな」
「取り越し苦労かもしれませんが」
申し訳なさげにセシリアは付け足す。ドリスはドュンケルの森で遺体が発見された件とは無関係かもしれない。アスモデウスの存在も信じていないくらいだ。
「それならそれでいい。なにも起きないように様々な可能性を考慮して動くのが俺たちの仕事だろ」
きっぱりとした言い分にセシリアは目を瞬かせる。はっきりとした事実が掴めず、不安になりそうな気持ちはすっと消えた。
「はい」
自然と笑顔で答える。こういうとき、自分はルディガーの副官でよかったと改めて思えるのだ。彼を尊敬する気持ちに曇りはない。
「……にしても、面白くないな」
不意にルディガーが口を尖らせたので、セシリアは我に返って彼を見た。下から向けられる視線は不満が込められている。
セシリアは生真面目に返した。
「面白い話をした覚えはまったくありませんが」
「いつのまに彼とは名前で呼ぶ仲になったんだ?」
飛んできた二の矢は予想外の方向からだった。誰が誰をというのは確認しなくてもすぐに理解できる。
「これは、その。私は彼の助手という設定で同行していたものですから」
珍しくセシリアが動揺の色を見せたので、ルディガーがわずかに眉をひそめた。
「へぇ」
なにかを含んだ笑みでセシリアを見上げる。セシリアとしては疚しいものは一切ないが、少しばかりジェイドに心を許しているのも本当だった。
アードラーの副官としては、疑い深い方がいい。いつもの自分なら線引きをきっちりするのに、ジェイドに対してはそれがいささか緩んでいる。そこをたしなめられていると判断した。
「彼を信用しきったわけではありません」
「もちろん。その点は信じているさ。ただ君を医者の助手にした覚えはないからね。……セシリアは俺の副官なんだろ?」
ルディガーがなにを言いたいのかが掴めない。それが柄にもなくセシリアの副官としての自信をぐらつかせる。
「そう、です。私はあなたの副官です……どんなことがあっても」
付け足す形で告げたものの声には覇気がない。顔もうつむき気味になり、ルディガーは確認するように下からセシリアの顔を覗き込む。
どんな状況でも、なにがあっても私はずっと彼の副官でいる。
心の中で言い聞かせる。セシリアはぐっと握りこぶしを作り、決意を固めた。かわしていたルディガーと目を合わせ、しっかりと向き合う。
「あの、プライベートな内容なんですが、ひとつかまいませんか?」
以前『プライベートには口出ししない』と言った手前、どうも気まずい。ルディガーは気にせず尋ね返してきた。
「改めてどうした?」
「元帥は今、恋人はいらっしゃるんですか? もしくは、その……結婚を考えている方とか」
「は?」
歯切れ悪くセシリアの口から出た内容にルディガーは意表を突かれた。こんな世俗的な話題を彼女から振ってくるとは思いもしなかったからだ。
「いると思う?」
苦笑交じりに返すと、セシリアの表情は険しいものになる。
自分が副官になってから、正確にはエルザと彼が婚約を破棄してからルディガーにそのような相手がいないのをセシリアもよく知っていた。
非番のときも誰かに会いに行く素振りもあまりなかったし、むしろ自分にちょっかいをかけてくることも多々あった。それでも彼のすべてを把握しているわけではない。
「どうしたんだよ、セシリアがそんな質問をするなんて」
いつもの軽い口調で聞かれたが、セシリアの面差しは沈んだままだった。それは声にも表れる。
「……もしかして、そういう機会があるのにもかかわらず私のせいで逃されているのではないかと」
セシリアらしくない曖昧な言い方だった。これはエルザとの件も含んでいる。はっきりとは聞いていない。正確には聞けなかった。
『……まだお姉ちゃんは彼のことが忘れられないのよ、きっと』
もしも彼もそうだとしたら……。自分がそばにいたせいで彼は――。
「かもね」
さらりと紡がれた言葉にセシリアは瞳孔を拡大させ目の前の男をじっと見た。ルディガーは椅子から立ち上がり、ゆっくりと机を回ってセシリアに近づく。
セシリアはルディガーを目で追うが、金縛りにあったように動けない。
「だったら、どうする? 責任取って俺と結婚してくれる?」
続けてルディガーから放たれた言葉が心の奥底に投げ込まれ、大きな波紋を広げる。
責任……。
『彼は自分のせいで兄を奪ったからって責任を感じてその妹につきっきりだって』
さっと血の気が引く。いつの間にか距離を縮めたルディガーは硬直したセシリアの腰に腕を回し、強引に自分の方を向かせた。
ルディガーはそっと顔を近づけ、ダークブラウンの瞳で彼女を見つめる。
「全部俺のもので、ずっとそばにいるんだろ。俺も手放す気はないんだ。だから……」
言いかけてルディガーは異変に気づく。セシリアの顔は真っ青だった。自分の声も届いていないのか、目の焦点が揺れ、今にも倒れそうな雰囲気でいる。
「セシリア?」
名前を呼ぶとセシリアは目線を下に落とした。
「私、は……」
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