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「そういえばドリス。君が今流行りのアスモデウスに接触したなんて馬鹿げた話を聞いたんだが?」
一区切りついたタイミングで、唐突にジェイドが切り込んだ。あまりの単刀直入ぶりにセシリアは思わず彼を二度見する。
ドリスの反応を窺うと、あからさまに不快そうな面持ちだ。図星を指されたというより内容に嫌悪感を示している。
「なにそれ。どこでそんな話が?」
「まぁ、あくまでも噂だ。君が綺麗になったから妬んだ誰かが言い出したんじゃないか?」
調子を合わせたジェイドにドリスの顔ばせに変化が見られる。
「綺麗になったって思う?」
声には期待が入り交じっている。それを察せられないほどジェイドも鈍くはない。
「ああ。君とは初対面だから、なったというより綺麗だと思うよ」
さらっとそういうことを言えてしまうのは上官と似ているとセシリアは思った。すっかり機嫌をよくしたドリスは頬と口元を緩め、自然と笑顔になる。
「嬉しい。でもアスモデウスなんて嘘よ。そんなものいないわ。それに私、男の人苦手だし、会いたいとも思わない。ちゃんと努力したからよ」
「その努力した方法を是非教えてほしいね」
ジェイドのなにげない質問に、一瞬だけドリスは顔を強張らせた。あからさまな反応だ。しばし目を泳がせる。
「それは駄目」
静かに拒否する。そこには開けられない分厚い扉を感じた。さらに突っ込みたい気はするが、これ以上は彼女を頑なにさせるだけだと悟り、ジェイドは追及をやめる。
「残念だ。またよかったら教えてくれないかい? 俺も試してみたいんだ」
それを聞いてドリスはかすかに笑った。
「先生には、簡単なことよ」
「さて、そろそろお暇しましょうか。雨も降り出しそうですし」
テレサが声をかけ、セシリアはなにげなく窓の外を見た。たしかに先ほどよりも重々しい黒い雲が空を占拠し始めている。一雨来そうだ。
ドリスはセシリアたちを玄関まで見送り、まずはテレサに声をかけた。
「また先生のところに行っていいですか?」
「もちろんよ。いつでもいらっしゃい」
そこでふとドリスの視線がセシリアに向けられた。セシリアは反応に困りつつ、目線を逸らさずにドリスを見つめる。続けてドリスはセシリアにおもむろに近づくと、勢いよく頭を下げた。
「さっきはいきなり失礼な態度を取ってごめんなさい」
予想外のドリスの行動に意表を突かれたセシリアだが顔には出さない。ドリスは縋るようにセシリアに懇願した。
「もしもあなたがその彼と繋がりがあるなら……お姉ちゃんに会わせてあげてほしいの。彼が結婚していなくて、恋人がいないならでかまわないから」
突然の要望にセシリアはなにも答えられなかった。ただドリスの必死さだけは伝わってきて、複雑な思いを抱く。結局曖昧に返して、一行はドリスの屋敷を後にした。
「先生、今日は無理を言ってすみませんでした。あまりお役にも立てずに申し訳ありません」
道中でジェイドがテレサに声をかけると、行きと同じで先を歩いていたテレサは振り返って笑顔を向けた。
「いいえ。それにしてもセシリアがエルザと知り合いだったなんて驚いたわ。彼女、あまり外出できないから、また話し相手になってあげて。ドリスもいるし」
「……はい」
それからエルザの症状について、ジェイドとテレサがあれこれ話すのをセシリアは遠巻きに聞いていた。
テレサの自宅に戻ると、彼女は部屋に入らず倉庫へと足を向ける。
「ワインの発酵具合でも見に行くわ。少し中身を揺すらないと」
「おひとりで持てますか?」
「大丈夫よ。雑菌が入らないように中身をいっぱい入れているけれど、一つひとつは小さい樽を使っているから」
心配無用と言わんばかりのテレサにジェイドも強くは申し出なかった。彼女が年齢の割に逞しいのをジェイドもよく知っている。
お馴染みの荷車に薬草などを山のように詰めて引いている姿を何度も目にした。
セシリアもテレサにお礼を告げ、また顔を出す旨を告げる。セシリアとジェイドだけになり、ジェイドが口火を切った。
「気にするなよ」
なんのことか、と考えを巡らせるほどでもなかった。あえて言わないのはジェイドなりの優しさなのだろう。
「詳しい事情は知らないが、どんな理由であれ決めたのは本人たちなんだ。おまえが自分を責める必要はない」
気にしていませんよ、と返すつもりだったのに、あまりにもはっきりとした言い分で続けられ、セシリアは苦笑してしまった。
「……ありがとうございます」
素直にお礼を告げる。やはりジェイドはどことなく兄に似ている気がした。
「で、ドリスの件、お前はどう見た?」
本題に入り、セシリアは思考を切り替える。
「やはり、なにかあると思います。もしも食事制限や運動など一般的なものでしたら、あそこまで動揺したり隠したりはしないでしょう」
「だな。なんらかの特別なことをしているんだろう。綺麗になったというのも世辞にはとらなかった。本人に自覚があるんだ。それだけのなにかをしているという話になる」
「あと、ひとつ気になりました。『先生には簡単なことよ』というのはどういう意味なんでしょうか」
ジェイドがさりげなく美容法について尋ねたときに言いこぼしたドリスの台詞だ。ジェイドはおもむろにこんからがる思考を整理するかのごとく頭を掻く。
「あれな。俺も鎌をかけたつもりだったんだが……なんの話だ?」
まるで見当がつかない。もう少しドリスとは距離を縮める必要があるのかもしれない。とはいえ、ドリスはアスモデウスの存在は全否定していた。
ひとまず今日は解散の流れとなる。セシリアとしても雨が降りだす前に城に戻りたい。馬を預けている夜警団の屯所近くまでジェイドはセシリアを送っていく。
「今日はわざわざ悪かったな」
「あまりお役に立てずに申し訳ありません」
セシリアの謝罪にジェイドは軽く首を傾げて否定した。
「いや。お前のおかげでドリスと次に会う機会は得たからな」
ドリスから頼まれた用件を思い出し、セシリアはわずかに視線を落とした。
「……一応、あの人に聞いてみます」
「下手に気を回すなよ。本人同士が望んだわけでもないんだ。会わないなら会わないでそれを伝えに行けばいい」
間髪を入れずにフォローされ、セシリアはかすかに口元を緩める。
「はい。こちらもなにか情報を掴んだら報告します」
「よろしく頼む。にしても、セドリックが妹のお前をよく気にかけていた気持ちが、今ならなんとなくわかるな」
苦笑してジェイドは呟く。急に兄の名前が出され、セシリアとしては意味がよく掴めない。ジェイドはなにげなくセシリアの頭に触れた。
「気を回し過ぎるところがあるから心配になるって話だ。察しがいいのは褒めてやるが、相手は上官とはいえ四つも年上の男なんだから、もう少し素直にぶつかってもいいんじゃないか」
さらに、どうしてここでルディガーが出てくるのか。セシリアは混乱するも考えをまとめ上げる。
「……部下としてではなく、たまには妹分として接しろって話ですか?」
ルディガーがたまに自分を愛称で呼ぶのはそういうことなのか。セシリアの返答にジェイドは虚を衝かれた顔を見せた。次に遠くの方を見つめる。
「これはなかなか手強いな」
尋ねようとするも、さっさと行けと手の甲で払われ、彼とはそこで別れた。
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