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 室内に招き入れられ、テレサに続きジェイドとセシリアも中に足を踏み入れる。屋敷の大きさや玄関に飾られている絵画、骨董品などからなかなか裕福な家なのが察せられる。


「ドリス、お客様?」


 ふと階段の上の方から声がかかり、セシリアはそちらに意識を向ける。そして現れた人物を視界に捉え、大きく目を見開いた。


「あら、エルザ。今日はいつもより調子が良さそうね」


 テレサの発言で確信に変わる。ドリスは明るく答えた。


「ブルート先生と今日はマイヤー先生もいらしてくれたの。それから彼の元で医学を学んでいるセシリアさん」


「セシリア……」


 確認するように女性が呟いた。どことなく妙な空気を察知したドリスがセシリアと彼女を交互に見遣る。


 やがて女性がもう一度セシリアの名前を呼んだ。今度は確信を込めて。


「……セシリアちゃん?」


 セシリアはやや伏し目がちになり、小さく答えた。


「……お久しぶりです」


 最後に会って何年ぶりになるのか。忘れるはずがない。彼女はエルザ・クレンマー。ルディガーの元婚約者だった。


 エルザは懐かしさに顔を綻ばせ階段を下りてきた。


「すっかり大人になって……。驚いたわ。こんなところで会えるなんて」


 赤みがかった茶色の髪は相変わらず綺麗で腰まである。部屋着にカーディガンを羽織っている姿は儚げで記憶の中の彼女よりもよっぽど艶っぽく思えた。


 脈拍が乱れるのを感じ、セシリアは自分を叱責する。なにをこんなにも動揺しているのか。対するエルザは、再会をひとしきり喜んだあとで、やや切なげに顔を歪めて聞いてきた。


「あの人は……ルディガーは元気?」


 さらにセシリアの心は揺れる。そして返答に迷った。


 エルザはどこまで知っているのか。少なくとも自分がアルノー夜警団に入団し、ルディガーの副官をしているとは思ってもいないだろう。ましてやここで自分の正体は伏せている。


 彼の昔馴染みとして自分に聞いているなら「知らない」「会っていない」と答えるのも手だ。早く返事をしないと不信感を抱かせる。


 そのときジェイドが強引にセシリアの肩を抱いた。


「ふたりが知り合いだったとは驚きました。積もる話もあるでしょうが、先に診察にしませんか?」


「そうよ、エルザ。まずは部屋に行きましょう」


 テレサが苦笑して促す。


「ごめんなさい。彼女、古い知り合いの昔馴染みというか、妹みたいな存在でつい懐かしくなって」


 エルザは恥ずかしそうに答え、客人たちの相手をドリスに託した。さすがに女性の部屋に大勢に押しかけるのも無礼だと判断し、診察はいつも通りテレサひとりが行う。


 客間に案内されたジェイドとセシリアは隣同士にテーブルにつく。その真向かいにドリスは着席した。ややあって使用人からお茶が出され、いい香りが部屋に立ち込める。


「エルザは、ずっと体調が悪いのかい?」


 話を切りだしたジェイドにドリスは静かに頷いた。


「はい。元々そこまで体も丈夫な方ではなかったんですが、ここ数年でさらにひどくて。“お姉ちゃん”なんて呼んでいますが、私の父の兄の娘なので従姉になるんです。でも昔から本当の姉みたいに可愛がってくれて……」


「症状は、どういったものなんですか?」


 おずおずとセシリアが口を挟んだ。少なくともセシリアの知る限り、エルザは幼い頃から今みたいに寝込んでいるというわけではなかった。


 セシリアの問いにドリスは答えない。それどころか目も合わさずにあからさまに避ける態度を示した。


「あの……」


「あなたとは話したくない」


 再度、声をかけようとしたセシリアに突っぱねた発言がドリスから飛ぶ。さすがにこれには面食らった。先ほどまで普通に接していたはずなのに、どうしたのか。


 さらにドリスは畳みかける。


「私、あなたが嫌いだから」


「……なにか気に障りましたか?」


 素直な疑問だった。さっき初対面の挨拶を交わしたばかりの相手にここまで拒絶される理由がわからない。ところがドリスは敵意の滲んだ眼差しをセシリアに向ける。


「お姉ちゃんが婚約を解消したのってあなたのせいなのよ!」


 思いがけない言葉がドリスから浴びせられ、セシリアは目を丸くする。


「だって私、聞いたの。お姉ちゃんには幼い頃からの婚約者がいたのに、彼は自分のせいで兄を奪ったからって責任を感じてその妹につきっきりだって。さっき言ってたけど、妹ってあなたのことなんでしょ!?」


 後頭部を強く殴られたと錯覚しそうな衝撃だった。心臓が激しく収縮し、セシリアはなにも答えられない。


 ドリスは栓が抜け、水が勢いよく流れ出るかのごとく感情を吐き出す。


「婚約者より妹ばかり優先して……お姉ちゃんも仕方がないって思っていたけれど、やっぱりつらかったんだと思う。別のところからも縁談話があってそちらを選んだものの結局うまくいかなくて、体まで壊しちゃって」


「だとしても、婚約を解消したのはふたりが選んだ道だ。君がこいつを責めるのは筋違いだろ」


 今まで黙っていたジェイドがドリスの暴走を止めるべく低く鋭い声で言い放った。おかげでドリスが一度、押し黙る。そして、ぐっとうつむいてなにかを押し込めた。


「……まだお姉ちゃんは彼のことが忘れられないのよ、きっと」


 抑えきれずに漏れた言葉はセシリアの胸に深く刺さった、しばし重い沈黙が流れていたところで、エルザの診察を終えたテレサが階下に下りてきた。


「皆さん、お待たせ。……って、あら? どうしたの?」


 微妙な雰囲気を察したテレサが尋ねる。答えたのはドリスだ。


「いえ、なにも……先生もよかったらお茶を召し上がってください。ハーブティーなんですが」


 無理矢理話題を切り替え、ドリスは使用人に指示した。そのタイミングでジェイドが話を振る。


「エルザの病状は重いんですか?」


 テレサは頬に手を添え迷う素振りを見せる。彼女の前にカップが置かれ、小さく使用人にお礼を告げてから答えた。


「症状自体はそこまで重くないわ。微熱がずっと続いているの。原因を色々な方面から探っているんだけど、おそらく精神的なものが大きいんじゃないかと踏んでいるわ」


「お姉ちゃん、ずっと大変だったから」


 テレサに同意してドリスが語り始めた。


 エルザはルディガーと婚約を解消した後、先方からの強い要望もあり母方の遠縁の男性の元へと嫁いだ。王都から離れた遠い町に不安はあったが、望まれた結婚だと期待を膨らませていた。


 実際は、まだまだ封建的な土地柄で女性は自己主張がほとんどできず、夫や家長の言うことは絶対だという環境は、エルザにとって思った以上のストレスだった。


 なかなか子どもに恵まれないプレッシャーも加わり、エルザの精神と共に体も蝕まれていく。


 床に伏せがちになった彼女はますます疎まれ、夫婦仲は冷めていく一方だった。そういった状況で、離縁がつきつけられたとき、エルザはショックよりも安堵の方が大きかった。


 ところが外聞を気にする実家は彼女の離縁をよく思わず、結果的に叔父の家で世話になることになった。幼い頃から知っている叔父夫婦の優しさはもちろん、一人娘でエルザを慕うドリスの強い希望もある。


 話を聞いて、セシリアは自分の感情が波打っていると気づく。今は情報を正確に頭に刻み込むだけだ。対象はエルザではなくドリスなわけだが。

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