6

 明日から、いよいよ自分は副官としてルディガーやスヴェンの元で働く。気持ちは固まっている。


 ただ、どうしてもひとつだけセシリアには引っかかっていることがあった。それを解消するために、我ながらとんでもない行動に出ようとしている。正しいのか、正しくないのかはわからない。


 日が沈み、城には暗闇と静けさが訪れていた。時刻はほぼ真夜中で、セシリアは心許ない明かりだけを頼りに廊下を進み、自分の気配を消してある場所を目指す。


 早鐘を打つ心臓は不安を煽る。そんな自分を叱責し、セシリアは目的地に着いた。そしてあるドアの前で細く長い息を吐き、意を決する。


 ところが、ノックしようとする前にドアが先に開いた。険しい顔つきがセシリアを見て、すぐに解かれる。


「どうした、こんな時間に?」


「申し訳ありません、夜分遅くに」


 気配を悟られたのが悔しくもあり、小声で謝罪する。部屋の主であるルディガーは迷いつつもセシリアを中に招き入れた。


 城で彼に宛がわれた部屋はシンプルで家具としてはベッドに木製の机と椅子、そして簡素な棚くらいだ。あまり視線を飛ばすのも失礼だと思い、セシリアはうつむき気味に足を踏み入れる。


 ルディガーは団服を着ておらず、首元のゆったりとした白いシャツにモスグリーンのズボンと休む前だったのかラフな格好だ。


 対するセシリアも裾が長く、前留めの淡いクリーム色の夜着に濃紺のローブを羽織ってきた。柔らかい金の髪はかすかに湿り気を帯びている。


 夜警団に入団する前でも、ここまでお互いにプライベートな姿で会ったことはない。


「で、なにがあった? いくら昔からの知り合いとはいえ、こんな時間に男の元を訪れるものじゃない。それくらいわかるだろ」


 珍しくルディガーが非難めいた言い方でセシリアをたしなめる。その一方で机から椅子を引き、セシリアの方に向けた。座れという意味なのは伝わったがセシリアは応じず、立ったままルディガーを見据えた。


「なら、どうして部屋に入れたんです?」


 セシリアの問いに、ルディガーの動きが一瞬止まる。気まずそうに視線を彼女から外した。


「そりゃ、追い返しはしないさ。なにかあったんだろ? シリーは大事な妹みたいな存在で……」


 いつもの調子で言いかけてルディガーは口をつぐむ。セシリアはこの言い分を嫌っている。


「そうですね、正式には明日からの着任なので私はまだあなたの妹分みたいなものです」


 ところが、セシリアはルディガーに文句をつけるどころか、あっさりと肯定した。昼間とは態度の異なるセシリアにルディガーは若干の違和感を抱く。


 内容とは裏腹に言い方も声も部下的なもので、きっちりと線引きをされている気がしたから余計にだ。透明の壁が自分たちを隔てている。


「その立場に甘えて、ひとつご相談したいことがあるんですが……」


 どうやら、ここからが本題らしい。小さくも凛としたセシリアの声がルディガーの耳にしっかりと届く。


 セシリアは自分の声よりも心臓の音がうるさくて、緊張で口の中が乾くのを唾液を嚥下して誤魔化した。一拍の間が空き、彼女の形のいい唇が動く。


「一度だけでかまいませんので、私とねやを共にしていただけませんか?」


 頭を鈍器で殴られたと錯覚するほどの衝撃を受ける。ルディガーは広がる動揺を顔には出さず、大きく目を見開いた後でおもいっきり眉をひそめた。


「なにを言っているんだ?」


 あからさまに怒気の含まれた声色にセシリアは冷静に続ける。


「冗談でも、あなたの反応を試したいわけでもありません。必要なことなのでお願いしているんです」


 そこで言葉を止めて、セシリアはふいっとルディガーから視線を逸らした。


「団員として諜報活動をする際に、情報を得るため標的と寝る必要があるかもしれませんし、敵に捕えられ手酷い扱いを受けるかもしれません。覚悟があっても経験がないのは、やはり幾分か不安があるので」


 極力、論理的にセシリアは説明した。どうしても女性団員の方がリスクは高いのは周知の事実だ。


 ルディガーも昼間、それを言いかけたのだろう。准団員時代はもちろん、その前に父からも散々聞かされ、祖母にも心配された。


 けれど逆に考えれば、女性だから出来ることもある。女を武器にして、欲しい情報が得られるなら使わない手はない。


 ルディガーやスヴェンには、もっと上に行ってもらわなければ。そのためなら……。兄もそれを望んでいた。


「……セドリックが聞いたら泣くぞ」


 ふと呟かれた言葉は、セシリアの癇に障った。


「兄を言い訳にしないでください!」


 反射的に、感情を露わにして言い返す。けれどすぐに平静さを取り戻した。


「死者は泣きませんよ」


 ぐっと喉の奥を振り絞って声を出すと、耳鳴りがするほどの静けさが訪れた。


 セシリアの胸には自己嫌悪の渦が勢いよく回りだし、次第にはっきりとしない痛みも伴ってくる。顔が上げられない。


「……すみません、どうかしてました。忘れてください。私の問題に巻き込んで、お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした」


 早口に捲し立て、セシリアは踵を返した。本気ではあったが、賢明ではなかったと愚かな自分を心の中で叱咤し部屋を出ていこうとする。


 そのとき、不意に力強く腕を掴まれセシリアは振り向いた。


「で、どうするつもりだ?」


 突然、ルディガーが低い声で鋭く尋ねてきた。


「え?」


「俺が断ったら、誰か他の男のところに行くのか?」


 予想外の質問に、セシリアの心が揺れる。


 ルディガーは空いている手をセシリアの腰に回し、強引に彼女を自分の方に引き寄せた。図らずとも距離が縮まり、向き合う形になる。


「スヴェンや他の男に頼みにいく? それとも断られた後?」


 問い詰める言い方は怒っているのか、呆れているのか。いつも温和な印象のルディガーが自分に向けてくる冷たい感情にセシリアは戸惑う。


 なにも答えられずにいると、ルディガーはセシリアの頤に手をかけ、しっかりと目を合わせてきた。


「答えられないなら質問を変える。どうして俺のところに来た?」


 声や雰囲気、そして眼差しに圧倒される。彼の瞳に自分の姿を見つけられるほどふたりの距離は近い。


「答えて、シリー」


 強く促され、ようやくセシリアは口を開いた。


「っ、だって決めたんです」


 感情的な叫びとは裏腹に、頭の中で慎重に言葉を選び、紡いでいく。自分の想いはひとつしかない。


「……私は、この命もこの体もあなたに捧げるって」


 セシリアの誓いを聞いたルディガーは切なげに顔を歪めてから彼女に口づけた。長く唇を重ねた後で、ルディガーは至近距離で呟く。


「きっと後悔する」


「あなたが?」


 わざと笑ってみせたのに、ルディガーの表情は変わらない。


 セシリアの心臓は今にも破裂しそうな勢いだが、それを悟られぬよう必死だった。張り詰めていた虚勢が崩れる前に自分から求めるかのごとく彼に口づける。


 唇を押し付けるだけの単純なキスしかできない。


 ルディガーはセシリアの顔の輪郭に手を添えて自らも唇を重ねていく。主導権はあっさりと彼に移る。でも、それでよかった。


 徐々に深くなっていくキスの合間に、ルディガーはセシリアの胸元で留めているローブの紐に手をかける。器用に紐をほどくと、するりと床にローブは滑り落ち、セシリアは薄い夜着一枚になった。寒いと思う暇もない。


 男性と愛し合うどころか、こんなにも激しい口づけの経験もないので、すべての意識はそちらに持っていかれる。

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