5
内部は診療所らしくベッドもある。棚には多くの書物や瓶詰めされた薬草などが所狭しと並んでおり、鼻をつく独特の香りが漂っていた。
隣にある大きめのソファに座るよう指示され、セシリアはおとなしく従う。いざというときのため、それとなく脱出ルートの確認も怠らない。
部屋の中に視線を飛ばしていると、アルツトもといジェイドが質素なカップをセシリアの前に置いた。中には黒い液体が並々と注がれ湯気が立ち込めている。
低い木製のテーブルを挟み、ジェイドも腰を下ろした。手にはセシリアと同じカップを持っている。
「ま、お互い妙な腹の探り合いはやめるとしよう。早速だが、どうしてここがわかった?」
言葉通り、単刀直入なジェイドにセシリアはおもむろに口を開く。
「ホフマン卿の夜会に呼ばれるのは、基本的にこの区域の人間が大半でしょう。一応、招待客の身元は約束されています。宿泊客について伺いましたが、あの夜に彼の館に泊まった遠方の人間にあなたらしき人はいなかった。ならウリエル区の人間です」
「それで?」
ジェイドは口元に笑みを浮かべ、カップの縁に口をつける。聞く姿勢は保ったままだ。
「あなたは名乗るとき、姓を言わなかった。あの場所でそれをするのは本名だけれど素性を隠したいからか、他になにか意味があるからです。偽名ならむしろ名乗っていたでしょう」
「お前みたいにな」
ジェイドが茶々を入れたが、それに関してはこの際無視する。
「あなたは別れ際にわざわざ繰り返し私に名前を告げた。まるで印象づけるように。『私はアルツトだ』と。言い方も引っかかりました。そして、アルツトという単語はどこかで覚えがあったんです。“Arzt”他国の言葉で医師を意味するそうですね」
当てられて悔しいといったどころかジェイドの顔は楽しそうだ。カップを机に置いて体勢を改める。セシリアは淀みない説明を続けた。
「手を顔に近づけられた際、かすかに消毒の香りがしたのもあって閃いたんです。わざとだったんですよね? それに元帥にかけた言葉から、少なくともあなたがこちらの正体に気づいている節があった。そうすると『次はストールくらい羽織ってこい』という発言もあなたの職業と合わせると納得できました」
「正しい指摘だったろう?」
あのとき仮面から覗いていた瞳は今はモノクル越しに細められている。対するセシリアの表情は涼しげなものだ。
「ええ。ですが気づくのは医師であるあなたくらいですよ」
「お前の腕はたしかに細いが、余分な脂肪もなく筋肉があってしなやかだ。普通の貴族令嬢ではまずありえない。それこそ馬に乗り、剣を持つのが日常茶飯事でもなければな。次は隠しておけ」
彼からのアドバイスは素直に受け取っておくとして、セシリアはジェイドをじっと見据えた。ウリエル区で医者として働いているのはふたりいるが、もうひとりは女性だった。
「こちらの説明は以上です。今度はそちらの種明かしをしていただけませんか?」
セシリアは鋭い視線をジェイドに向ける。ジェイドは背もたれに体を預け、わざとらしく姿勢を崩した。
「明かす種などないさ。俺は最初からお前を知っていたからな」
まさかの返答にセシリアは目を白黒させる。瞬時に自分の記憶を辿ってみるが、この男に関して覚えがない。
「……どこかでお会いしましたか?」
「いいや。間接的にだからお前が俺を知らないのは無理もないさ。名前を聞いてこちらは初めて確信を得たんだ。夜会でお前が名乗った偽名
セシリアは男に対して感心するのと共に用心さを増幅させる。やはりジェイドは思ったよりも頭が切れる。名前に関してすぐに気づいたのは、ルディガーに続き二人目だ。
「あなたの目的はなんでしょう?」
ジェイドはセシリアから目線を逸らし、再びカップを口まで運ぶ。そして世間話でもするかのような口調で続けた。
「試したんだ、お前らアルノー夜警団をな。王家のお飾りとして剣だけが達者な無能な連中と思っていたが、なかなか使える奴もいるらしい」
挑発的な言い方だが、セシリアの感情も表情も揺れはしない。ジェイドはセシリアに視線を戻し語りだした。
「二週間前にドゥンケルの森の入口付近で、若い女性の遺体が見つかっただろ」
唐突な話題に、セシリアは訝しがりながらも素直に答える。たしか報告が上がっていたはずだ。
「ええ。しかし目立った外傷もなく、彼女には心臓に持病もあったと聞いています。その発作を起こしたと結論づけ処理したのですが……」
「彼女はな、うちの患者だったんだ」
「え?」
抑揚なく口を挟んだジェイドにセシリアは目を丸くする。
「たしかに彼女は生まれつき体も弱かった。だが心臓を酷使しなければ、すぐにどうこうなるものでもない」
「……彼女の身に、なにかあったということでしょうか?」
セシリアは慎重に問いかける。つまりジェイドは彼女の死に不信感を募らせているわけだ。ジェイドはカップを机に置くと、やや間を空けてから言葉を発した。
「はっきりとはわからない。ただ彼女は周りにしきりに聞いていたそうだ。アスモデウスには、どうすれば会えるのかと」
“アスモデウス”の単語にセシリアも反応する。ジェイドの眉間に皺が寄り、目の色に鋭さが増す。
「今、流行っているアスモデウスの噂は完全な与太話にすぎない。とはいえ偶然だとは思えないんだ。アスモデウスに会えるのもドゥンケルの森の入口付近だろ?」
『アスモデウスにどこで会えるか知ってる?』
『それがね、噂ではドゥンケルの森の入口付近で会えるんですって』
ふとホフマン卿の夜会で飛び交っていた噂話を思い出す。セシリアはここでようやくジェイドの狙いが見えてきた。
「アスモデウスについて探るために、夜会へ?」
「まぁな。自分の患者だったんだ。個人的にあれこれ調べているんだが、俺ひとりじゃ限界がある。アルノー夜警団なら情報も入ってくるだろうし、その力でもっと深くあれこれ調べられるだろ」
ジェイドもセシリアと同じ目的であの場にいたわけだ。自分に接触してきた理由も納得できた。ジェイドがセシリアの正体に気づいていたなら尚更だ。
「それで、私を?」
「ああ、そうだ。最初に会ったときはアスモデウスに興味のあるただの貴族の娘かと思ったが、お前の名前を聞き、体つきを見て察しはついた。夜警団が無能な連中なら手を組むだけ馬鹿だとは思ったが……どうやらそうでもないらしい」
「なるほど。自分の元を尋ねて来いと言ったのは、あなたなりのテストだったわけですか」
的を射られて、逆にジェイドは満足そうだ。セシリアの頭の回転の速さは彼の思った以上だった。
「ホフマン卿の娘がアードラーに熱を上げているのは知っていたからな。最初はアードラー本人にでも接触しようと思ったんだが、その必要はなかったらしい……これで納得したか?」
セシリアはなにも答えずに机に置かれたカップに視線を落とす。黒い
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