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 ホフマン卿の夜会から数日後。ルディガーは城の執務室でいつもの机に向かい、厳しい表情で書類を見つめていた。そして目の前の副官に視線を移す。


「本当に行くのかい?」


「ええ」


 セシリアは短く答える。ルディガーは深く息を吐くと書類を机に放り投げ、指を組んで彼女を見つめた。


「……あの男はセシリアが俺の副官だって気づいている」


「私もそう思います」


 ふたりが話しているのは夜会で出会ったアルツトについてだ。ルディガーは彼とのやりとりを回想する。


「最初に俺が声をかけたとき、彼は迷いなく『ここで彼女になんの用だ?』と聞いてきた。初対面ならまず自分に用があると思うか、その旨を尋ねるだろう」


 しかしアルツトはなんの疑いもなくルディガーがセシリアに用事があってあの場に来たのだと確信していた。それに他にも思い当たる発言がいくつかある。


「純粋な招待客ではなく、我々にわざと接触してきたのなら、彼の目的は一体なんだ?」


「それを今から本人に聞いてきますよ」


 当然と言わんばかりに話をまとめるセシリアにルディガーは眉を寄せた。ルディガーが見ていたのはウリエル区の地図とある人物についての詳細だった。


「彼は私が尋ねて来るのを見越しています。そのためのヒントもわざと残したくらいですから」


「奴の思惑通りに動くのは癪だな」


 ルディガーはまだ納得できていない面持ちだが、セシリアは先ほどから表情ひとつ変えない。


「なんであれ、今は情報を得るのを優先すべきです。ディアナ嬢から得られないのであれば尚更」


「そこを突かれると痛いね」


 ルディガーは困惑気味に苦笑する。アスモデウスと接触したと噂のあるホフマン卿の娘ディアナだがルディガーの話によるとそんな話題はまったくでなかったらしい。


 当然といえば当然か。


 彼女と再度、接触する機会があるならそちらから探ってもよさそうだが、この前の夜会でルディガーが取った行動を考えれば難しいだろう。


 彼がディアナと交わした会話といえば、当たり障りのないものばかりだった。


 『私、最近綺麗になったってよく言われるんです』と話を振られたりはしたらしいが、自分に自信のある娘の発言としてはおかしくはない。


「元帥は彼女になんとお答えしたんですか?」


「『元々、君は十分に綺麗だと思うよ』ってね。あの場ではそう返すのがマナーだろう」


 ディアナがどういったつもりでルディガーに言ってきたのかは容易に想像がつく。肯定してほしい、称賛してほしい気持ちがあるからだ。そこを悟れないほどルディガーも鈍くはない。とはいえ。


「……それであの仕打ちですか」


 意識せずともセシリアの声に冷たさが帯びた。おかげでルディガーが苦虫を噛み潰したような顔になる。


「だから彼女は関係ないって話だったろ」


 わざわざあのときの話を蒸し返しても今は得策ではない。ルディガーはわざとらしく咳ばらいをひとつして話題を戻した。


「俺も行けるときじゃ駄目なのか?」


 どこまで本気か量り知れぬ上官の申し出をセシリアはすげなく断る。


「一般人を訪ねるのにアードラーであるあなたが動くほどではありませんよ。今日、元帥は城で面会と会議のご予定でしょ。私があなたに同行する必要がないので、むしろいい機会です。なにより彼は私を指名してきましたから」


「だから気に食わないんだ」


 間髪を入れない切り返しにセシリアは肩をすくめた。


 この後、ルディガーはスヴェンと共に隣国のバレク大臣と国境の軍部体勢についての話し合いをする予定になっている。


 セシリアはルディガーの副官ではあるが、常に行動を共にするわけではない。むしろ席をはずさなければならない場面も多々ある。


 ルディガーも感情だけで話しているわけではない。ただ、少ししか会話していないがアルツトの雰囲気は夜会に参加している他の貴族たちとはなにかが違っていた。


 私情をまったく挟んでいないと言えば嘘になるが、彼の目的がセシリアなのだとすると彼女だけを行かせていいものか。


「ひとりで行くのを上官として許可できないと言ったら?」


「なら、非番の日にプライベートで訪れましょうか?」


 セシリアの素早い返答にルディガーは言葉を詰まらせた。


 上官としてセシリアの能力の高さもわかっている、信頼もしている。なら、これ以上迷うのは彼女の沽券こけんにもかかわってくる。


 ルディガーはしばらくして前髪をくしゃりと掻いた。


「わかった、許可しよう。ただし今日中に戻ってきて報告を済ませるように」


「承知しました」


 改めて背筋を伸ばし、しっかりと返す。セシリアは書類にあった情報を頭に叩き込み部屋を出た。


 中庭をぐるりと囲んで建てられた城の構造上、国王の主な活動場所となる執務室や謁見の間などは城門から最奥に置かれている。


 必然的にアードラーの部屋も王に近いところに配置されていた。他にも使用人たちの居住空間や食堂、大広間などいくつもの用途を目的とした部屋がある。


 長い廊下につけられた窓はどれも高い位置にあり、そこから降り注ぐ太陽光を内部で上手く反射させ明るさを保っている。


 いくつかの出入り口から中庭に出られ、中と外の橋渡し的な回廊は何本もの芸術的な柱とアーチ型の天井が見事だった。


 外に出て、アルノー夜警団専用の厩舎きゅうしゃに向かい厩役うまややくに声をかける。彼は馬房からセシリアの馬を馬具をつけた状態にして連れてきた。


 馬は穏やかな瞳で主人を見つめると、ゆっくりとセシリアのそばに寄る。


「シェッキヒ。今日もよろしくね」


 優しく顔の部分に触れると、鼻息で答えがあった。セシリアの馬は栗毛色で四肢や顔など所々白色になっており、人間年齢で言えば中年ほど。


 少なくともセシリアよりは年上だ。やや気性が荒いところもあるが、年齢と共に落ち着いてきた。彼女の大切なパートナーだ。


 セシリアは軽い身のこなしで馬に乗り、ゆっくりと城を後にする。


 アルント城は街を見下ろせる山の高い位置にあり、街へ行くためには馬を使う必要がある。


 歴代に渡り増築を繰り返した結果、要塞を兼ねた石造りの頑丈な面と宮殿としての華やかさを併せ持ち、高さの揃わないいくつもの尖塔の青い屋根が目を引いていた。


 日光を浴びた城は黄金色に輝き、王家の威光を放つと人々の間では言われている。

 昼過ぎに先日も訪れたウリエル区に入り、最寄りの夜警団の屯所に馬を預ける。セシリアは頭の中にある地図を思い出し、目的地に向かった。


 城を最北に、王都は四区画に分かれていた。ウリエル区は南東に位置し、南にはドゥンケルの森と呼ばれる、あまり人の立ち入らない場所も有している。


 アスモデウスと会えるという噂の森だ。


 アルント王国自体が自然豊かで広大な土地を持ち、おかげで食糧には恵まれていた。人々は穀物や野菜などを自分たちで育て、生計を立てていたりする。


 今日は天気が良くて助かる。春の陽気と呼ぶにはまだ肌寒さが残るが、日中は十分に温かい。角を曲がり、路地の奥にお目当ての場所を見つけた。


 広さはあるが装飾もなくシンプルな石造りの建物だ。玄関口にあたる正面はすっきりしているが、屋敷の奥は欝々とした緑が生い茂っている。扉が開けっ放しになっているのでノックができない。


「ごめんください」


 大きくはないが凛としたセシリアの声が通る。ちらりと視界に入る白のカーテンが風でかすかに揺れた。ややあって中から人がやって来る気配を感じる。


「はいはい、どうした?」


「こんにちは。マイヤー先生」


 ごく自然に話しかけたセシリアの姿を見て、出てきた男は硬直した。黒いコートを羽織り、青みがかった黒髪は癖がついて、右目にはモノクルを装着している。どこか抜けた雰囲気のある青年だ。


 彼の金縛りはすぐに解け、ふっと含んだ笑みを浮かべる。その表情にはたしかに見覚えがあった。


「やぁ。診察に来たってわけじゃなさそうだな」


「はじめまして……と言った方がいいですか?」


 団服姿のセシリアの問いに男は笑う。あのときとお互いに姿も名前も違うが、どちらも確信している。


「そうだな。歓迎しよう。アルノー夜警団のアードラー、ルディガー・エルンストの副官であるセシリア・トロイがわざわざ訪ねてきてくれたんだ」


 セシリアは内心で警戒心を強める。アードラーともなるとその名は知れ渡っていても不思議ではないが、副官の自分のフルネームまで知っているこの男はやはりただ者ではない。


 彼は間違いなくホフマン卿の夜会でアルツトと名乗った男だった。セシリアの顔色を読んだ彼は、面倒くさそうに彼女を中へと促した。


「事情は中で話してやる。すでに知っているだろうが、俺はジェイド・マイヤー。ここで医者をしている」

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