第6話

ほんの少し日差しが柔らかくなった。

暴力的な暑さはいつしか穏やかな日差しへととって代わり、窓から入る風も心なしか心地よい。


あれほどまでにうるさかった蝉の声はいつの間にか消え去っていた。

きっとその魂を燃やし尽くし、朽ち果て、道端のゴミとなり果てていったのだろう。


気がつけばもう、10月。

さまざまな行事が詰め込まれている二学期。周囲はざわざわと騒がしく、僕はますます居場所を失っている。


三嶋葵の死が知らされてから1ヶ月が経っていた。

僕はと言えば、毎日入り浸っていた図書室から足は遠退き、家と学校を無意味に往復している。


言葉にするなら無力感。

何もこの手に残らないという虚無感が、僕を苛んでいた。


ここで学校をサボってみたり、家で暴れてみたり、極端な行動に走ることができたならまだ救いもあるものを。

自分の中にある妙に真面目な部分が、こんなにも自分自身を邪魔するとは思ってもみなかった。

何も事を起こせない僕は、なんとか時をやり過ごすしかないのだ。


学校はもう彼女の不在に慣れきってしまったようだった。

あれほどまでにヒステリックに泣きセンセーショナルに騒ぎ立てた一大事。

それなのに、少女たちの気持ちというものは、移ろいやすいもので。

もうあの子達の目線の先に、三嶋葵はいない。


それでもそれは、ある意味では通常運転であるとも言える。

三嶋葵は、端から周囲の注目を浴びる人間とは真逆の存在だったから。


きっとこの場所でただひとり、三嶋葵の不在を気にしているのは僕だけだ。

僕という存在を唯一まるごと認めてくれた彼女。

その存在がないだけでこんなにも心許なくなるなんて、どれだけ僕という人間はあやふやな生き物なのだろう。

我ながら自身の弱さに嫌気が差す。


「安達くんもこれでいい?」

不意に問いかけられて驚いた。

「あ、ごめん。聞いてなくて」

たしか今はホームルームの時間で、文化祭の出し物を決めていたはず。

「だから、展示だよ。展示」

隣の席の少女が呆れたように、それでも丁寧に説明をしてくれる。名前も知らない人だがありがたい限りだ。

「私たちもう3年で、受験前でしょ。あまり手の込んだこともできないし。それにほら、あんなことがあったあとだから、ちょっとおとなしめにしとく方がいいかなって」

流れるように話す少女の顔は、「その他大勢」にしか見えなかった。よく動く口。今時のメイクに彩られた目元。

「そうだね、分かった。それでいいよ」

無難な返事をひとつ。

別になんでもいい。文化祭なんて、ただ過ぎてしまえばいい。

「じゃ、みんな賛成ってことね」

少女が満足げに頷いた。


みんな。

みんな、ね。


いつも思ってしまうのだ。

みんなって、誰のことだろう、と。

都合のいい言葉だ。「みんな」と言ってしまえば、すべての責任を放り出して好き勝手言える。

そしてそういうときの「みんな」は決して「全員」ではない。

その場を仕切っているグループの意見が「みんな」の意思となるのだ。


三嶋葵は、そういう暗黙の了解を忌み嫌って

いた。

だからこその一人で、彼女は一人であることにプライドを持っていたのだ。

それこそが彼女を苦しめ、痛みを与えていたことではあるけれど。

それが三嶋葵だったのだ。


そんな「みんな」に、「あんなこと」と言われてしまった三嶋葵が、切なくてたまらない。

「みんな」の中でどういう位置付けなのかは分からないが、彼女は「みんな」よりもよっぽど潔く生きていたのだから。


それなのに、「あんなこと」なのだ。

彼女の死は、言葉を濁しながらでないと話せないことなのだろうか。

この間まで散々、面白おかしく語られていたはずの死を、迷惑そうに、言い訳のように扱うなんて。


ひとつの死が「あんなこと」と呼ばれてしまうくらいなら、僕はこんな世界いらない。


みんななんて、死んでしまえ。


自分でも説明できない衝動にかられ、僕は教室を飛び出した。

行き先なんてない。ただ、みんなと同じ空間には、一瞬たりといられる自信はなかったのだ。


「安達くん!?」

驚くような声。

訳も分からないまま隣の席の地味な男子が飛び出していけば、確かに驚くかもしれない。

それでも、そこに気をかけている余裕も僕にはない。


廊下を走りながら見た三嶋葵の教室にも、たくさんのみんながいた。

その中に置かれたあの大きな花瓶。

飾られていた花は枯れ、茶色く渇いた花だったものだけがそこには残されていた。


もう誰も見向きもしない。

誰も、三嶋葵がいないことに違和感を感じていない。


自分でもどうしようもない怒りがこみあげてきた。

こんな風に形だけ悼んだとしても、絶対に三嶋葵は喜ばない。

いっそ、キレイさっぱり忘れられた方が嬉しいはずだ。


僕は衝動的に三嶋葵の教室へと入っていった。

驚きの眼差しで振り返る生徒たちを見ないふりして、三嶋葵の机へと進む。

美しく大きな花瓶。

僕はその忌々しい存在を持ち上げると、枯れた花ごと床へと叩きつけた。


バリン!!


大きな音がして、砕け散るガラス。

光を受けてキラキラ輝くガラスの破片たちが、僕にはなぜか涙に見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る