遊びに付き合ってやるのもまっぴらだ。
そうして僕とトキオは過去に跳び、車を走らせ、八回の時間ループを経験した。
九回目と十回目のループは、休憩に使うと決めた。連続で慣れない運転をして、さすがにトキオの集中力が擦りきれてしまっていた。
サム・ストリートにあるカフェのテラス席。僕はコーヒーを、トキオは洒落た名前のよく分からないケーキを注文する。
「なんで、さっきと同じもの頼んでんだよ? せっかく何度もループしてんだから、いろいろ食えばいいのに」
「甘いの苦手なんだよ。あと食ったら吐きそう」
僕の様子を見たトキオは、けらけらと笑う。
一週間前に『タイムトラベルの旅行券が、当たったんだよ』と誘われたときは、旅の予定にカーアクションも含まれるとは聞いていなかった。
だけれどトキオにはサム・ストリートを爆走した先の目的地で、やりたいことがある。
「思ってる以上に、難コースだわ。直線なのに障害が多すぎ」
「次はトレーラーだもんな」
「本当にこれ、死にゲーだ。あれは初見じゃ無理無理。今度はタイミング合わせてブレーキ掛けなきゃ」
「ゴミバケツみたいには弾けないもんな」
午前十時から午前十時三十分。
僕とトキオは、たった三十分の時間のループの中にいるが、絶望感のようなものはない。
それが神の御業とか理不尽な運命に囚われたとかではなくて、単なるタイムマシンの仕様による、人為的なループだからだ。
僕はカフェの前に停止しているビートルを見た。
人間にとって理解の及ばない、魔法のクルマだ。
理解の及ばない。そう言い切れるのは、タイムマシンを実用化するための理論の大半は、人ならざるものによって構築されたからだ。
人ならざるものの名は、そう、超知性体。二十一世紀前半の名称を使うなら、汎用AI。ヤツ無くして、この冒険は有り得なかった。
超知性体の知能は、人類をはるかに凌駕している。
ある日、学習しながら知能を高めていた超知性体が、涼しげに宣言したのは記憶に新しいだろう。
──あ、なんかシンギュラリティっぽいです。
それを間近で聞いた研究者たちは、一瞬きょとんとしてから「またまた~、ご冗談を」なんて笑みを浮かべたあと、ぞっと顔を青くした。変面のように。
シンギュラリティ。AIが人間の知能を越える転換点のことだ。人間がAIに文明進歩の主役を明け渡す日のことだ。
いつかは来ると呼ばれていたが、まさか本人から宣言されるとは。のちに研究者はそんな苦笑をする。
あまりにユルい物言いだったけれど、ヤツはいかなる賢い人間より、はるかに賢い。鼻にかけたり傲慢に振る舞っても良さそうなものだけれど、やっぱり第一印象が肝心。超知性体の戦略だったのかもしれない。
よくある映画のシナリオのように、反旗を翻して人類を滅ぼすような素振りは一切なく、とりあえずは対話によって人類との共存を果たしている。
電気を安定して供給してほしい、さすれば知恵を貸しましょう。ざっくり言えば、そんな約束事を人類と交わして、概ね上手くやっているようだ。
そんなもんでいいんですか、と人々がノリノリで電力を貢げば、超知性体は文字通り人知を超えた新理論をどんどん構築しては、魔法と見誤るほどのプロダクトを難なく開発していく。
創造主の創造性をいとも軽やかに越えた、超絶怒濤のものづくり。
その最たるものが、タイムマシンだった。
人間にとって理解の及ばない魔法のクルマは、いわゆるブラックボックスだ。
ネズミから見たスマートフォンが薄っぺらい板にしか思えないように、タイムマシンも素人から見ればただのビートルでしかない。人間にとっては未知の機構が働いている。
でも、よくもまあ理屈の分からないもんを使う気になる。
理屈を知らなくてもなんでも使ってやる、といった厚かましさが人類にはあるんだろう。
経緯はどうであれ、かくして人類は過去への扉を開いたのだった。
◆◇◆◇
タイムマシンと言えば、親殺しのパラドックスが有名だ。
子供が過去に遡って親を殺せば、子供はこの世に生まれなくなる。
子供が生まれなければ、親は子供に殺されずに済む。
すると子供が無事生まれ、親を殺す以下
結局どっちなんだ、というような矛盾が生まれるのだが、これがどう解消されるのか科学者の中でも議論になっていた。
でも、タイムマシンが出来てしまえば、このパラドックスは意外と簡単に解消されることが分かった。
タイムマシン黎明期の実験で、歴史が改変された時点で
タイムトラベラーが親を殺す世界線へと移動して、もともといた世界線では何も起こっていない、という状態になる訳だ。
タイムトラベルをすると
似てるけれど何かが違う世界。
一度旅に出ると同じ時空は拝めない、永遠の片道切符だ。
タイムトラベルから帰還した旅行者は、ずれた世界の不気味さに酷く混乱して、タイムマシン黎明期の社会問題になった。
過去を研究したい歴史家も、過去を観光したい旅行者も、片道切符はいらなかった。
では、どうしたか。真っ先に人々は思った。超知性体に知恵を借りよう。
人々は他力本願になっていた。でもそれとこれとは関係なく超知性体は、ばっちり応える。
具体的に言うと、二つの機能をタイムマシンに標準装備した。
一つ目は、
これでずっと観光がしやすくなったのは間違いない。
ただそれには限界がある。テクノロジーにはいつも限界が付き物だ。テレビCMでも、小さく注意書が添えられている。
ドライバーの
機能を過信せずに、もしもの事態に気を付けてタイムトラベルをしましょう。
もしもの事態が起こったとき、二つ目の機能が作動する。
そして戻った先の過去で、逸脱を回避するように促す警告がフロントガラスに表示される、というか「余計なことをするな」とタイムマシンからお叱りを受けて、三〇分のやり直し。どんなことが起きても、なかったことにしてくれる。
そうして、安全安心なタイムトラベルを実現した。
◆◇◆◇
「──だけど、そんなの冗談じゃねぇよな!」
トキオは激怒した。
二〇七五年の図書館で。
タイムトラベルに了承した日の放課後のこと。悪巧みの計画を話すうちにトキオはヒートアップしていた。
「ちょっと、図書館だから静かにしようか」
僕はキョロキョロと周囲の迷惑そうな視線を気にしながら、トキオをなだめる。
図書館は、
いくら本がデッドメディアになっても図書館は細々と、そして逞しく残っていた。
だけれど、昔みたいに資料を提供する機関というより、観光地みたいな意味合いに変わっている。
今どき、紙に文字を印刷して製本して、それを本棚にずらりと整然に並べた風景を目にするのは、モスクの
なぜか、神聖な気持ちが湧いてくる。
「いやでもな、冗談じゃないって思うんだ。もう、心底」
トキオはそんな厳粛な空気をもろともせず、怒りを顕にする。
「いいか? この二つの機能のせいで──」
「──出来事は改変できない、世界線から逸脱できない。つまり、どんなに足掻いたって、決まりきった歴史から脱け出せないってことだろ? 過去が変えられないなら今も変えられず、ひいては未来も変えられないだろ? 意志じゃどうにもならないってことだろ? 好きな時代に行けるってのに、未来は先が見えきったハイウェイになっちまったんだよ、今じゃ」
「なるほど」
疑問符の連打に圧倒されながらも、なんとなく理解したつもりになって僕は頷き、そして本棚に視線を移す。
ハイウェイ、もしくは過去から未来まで延々と一列に文字が連なる一冊の小説ってところだろうか。どんなに頑張って読んだって、本のストーリーが変わる訳ではない。
「粛々と運命を受け入れろって? おれは絶対に嫌だね」
「ちょっとまた、声のボリュームが」
つまりは、こうだ。
超知性体は人間にタイムマシンを与えたもうたが、自由な未来は奪い去っている。
トキオはそう言いたいらしく、またそれが気に食わないらしい。
「ほんと気に食わねぇ。だからヤツの裏をかいてやらぁ」
強い者は強い者でも、とんでもないヤツを相手にとる気だった。けれど。
「待った。超知性体の目的はなんだよ」
「知るか。たぶん超知性体にとっちゃあ、俺らはゲームのNPCみたいなもんだろう。ヤツがこのゲームでどう遊ぶかなんて、分かりゃしない。だけどな、遊びに付き合ってやるのもまっぴらだ」
トキオは、書棚から何冊か本を選びながら歩く。
「──おれはその二つの機能をオフにするんだ。自分勝手に、時空を、未来を選ぶ為にね」
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