タイムマシンはやっぱり車でなくちゃ
緯糸ひつじ
陽光は柔らかく、教室は退屈。
この冒険に関して、僕は真に驚くべき顛末を述べたいのだが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
嘘だ。どれだけキーボードを打ち込んだって、字数の制限がないのだから余白も尽きない訳で、単純に文章をまとめるのが煩わしいから書いてみただけだ。
まず、最初の状況を簡単に説明しよう。
二〇五〇年、九月九日。晴天。
ある目的のために、市街地にあるサム・ストリートの緩い下り坂を、小型乗用車のビートルで爆走していた。
運転手は男子高校生のトキオ。なぜ高校生が運転しているかは今は問わない。たぶん今後も問わない。助手席には同級生の僕──エイジが記録係として同行している。
トキオが言うには「これは記録するに価するトラベルになるぜ」とのこと。
なお記録係とは、トキオが勝手に決めた役職だ。僕は不本意ながら仰せつかっている。
舗装路をスピードをぐんぐん上げながら、ゴミバケツを弾き飛ばしてみたり、対向車線に飛び出したりしているところだ。カーオーディオからはアッパーな洋楽が流れている。
僕は小言を吐いた。
「運転が荒いな」
「さっきよりは上手くなっただろ?」
「まあ、八回目もなればね」
八回目。そう、この場所、この時間、このドライバーによる八回目の疾走だ。
午前十時から午前十時三十分。
僕とトキオは、たった三十分の時間ループの中にいた。
はじめの五回はおっかなびっくりで運転したから、やり直し。
六回、七回、八回はまったくもって同じタイミングで、交差点の赤信号をスルーして、横断歩道を歩く御婦人をギリギリでかわし、ちょっと歩道に乗り上げてゴミバケツを弾き、がっつり対向車線にはみ出して前方のタクシーを抜く。まだ大惨事にはなってない、まだ生きてる。
「なぁ! エイジ凄くね? ここまで、鬼譜面フルコンボ!」
なにいってんだ、これはゲームじゃない。
アクセルはベタ踏み。トキオの横顔を覗けば、ひきつった笑いを貼り付けている。背景の街並みは残像の線となって後方にぐーんと流れて、目が眩みそうだ。途端、トキオは目を見開いたので、僕はその視線の先を追った。
「──やばい」
トレーラーの側面が僕の視界を覆った。
広い未来を閉ざすように。
そう感じた次の瞬間にはフロントガラス全面にクラックが入る、強い衝撃でシートベルトが胸に食い込む、エアバッグが展開する。交差点を横切るそれを避けきれなかったようだ。程無くして、ひしゃげたビートルは停止して、壊れたクラクションが延々鳴り響く。
そして、冷ややかな女性のアナウンスが脳内にこだました。
──警告。世界線の逸脱が許容範囲三%を超えました。
「──くっそ、もう一回」
トキオの悔しがる表情には、どこか高揚感が含まれていた。
◆◇◆◇
体感では一週間前の話なのだけれど、未来の話をしよう。
二〇七五年、九月、授業中の教室には、歴史の先生の声だけが響いている。
面白みに欠ける先生の変なイントネーションが耳障り。ゆるゆると眠気が襲ってくる。
「えー、タイムマシンは、私たち人間ではなく超知性体によってぇ作られたのは皆さん、知ってるでしょう」
超知性体。二十一世紀前半の名称は汎用AIと言ったはずだ。めちゃくちゃ頭のいい人工知能ってくらいしか理解してないが、その超知性体は僕たちの生活には欠かせない存在となっている。
「他にも、運輸に金融、気象制御にぃ、まぁいろいろとぉ手を借りてるのです。えー、超知性体が人知を超えたのは二〇四五年の七月で──」
陽光は柔らかく、授業は退屈。
眠気と戦う水曜日──。
「──エイジ、なに寝てんだ、こら」
「いってぇ」
頭に打撃を受けて即座に顔を上げると、トキオがノートを片手に笑っていた。周りを見渡してみると、ざやざわとクラスメートが笑いあったりいじりあったり和気あいあい、休み時間分の青春を謳歌している。僕と退屈との戦いは熾烈だった。
「ノート返しに来たんだよ」
「人のもんで、叩くことはないだろ」
トキオは隣のクラスの生徒だ。中学生の時からの友達で、いちばん気心が知れている。
「まあまあ。そう怒るな、面白いお土産を持ってきたんだぜ」
そう言いながら制服のポケットから、チケットを取り出す。と言っても拡張現実上にある表現なのだけど。
「なぁ、エイジ。タイムトラベルに興味あるか?」
「は?」
机にサッと置かれた二枚のチケット。
現在発、過去行き。紛れもなくタイムマシンのチケットだった。
「え。どうして持ってんの?」
「当たったんだよ、抽選で。それで一つ提案がある。おまえにタイムトラベルを経験させてあげよう」
トキオは、片側の口角だけ上げてニヤリと笑った。
僕は知っている。トキオがこの表情を見せるのは、退屈しのぎのイタズラや悪巧みをするときだった。
「おまえ、またなんかするつもりか」
中学生のときにやったイタズラは、枚挙に暇がない。威張り散らした先輩へ。理不尽を振るう先生へ。
必ず気に食わない強い者に対してだけやる、それが僕らのルールだった。なにか強い奴らがいれば、反抗する。それがトキオの行動原理だった。
「まぁ、ちょっとな。でも、悪い話じゃないぜ。いつも、つまらなそうなおまえには」
まぁ、確かにそうだけど。と言いつつチケットを眺める。タイムトラベルは、すでに民間企業にも開かれていて、手軽に旅行できる観光地になりつつあるけれど、退屈しのぎで提案するにはやや突飛な場所だった。
トキオは悪巧みの表情を貼り付けたまま、念を押した。
「その代わり、ちょっと手伝ってほしいってだけ。やりたいことがあるんだ」
「やりたいことってなんだよ」
「『おなじみの古くさい未来とは、おさらばだ』」
トキオが唐突に、そう言った。
「は?」
「『ニューロマンサー』を、大作家ブルース・スターリングが、そう評価したんだよ」
「まず『ニューロマンサー』と、大作家なんちゃらを説明してくれよ」
「え? 知らないのかよ? 傑作SF小説だよ。ウィリアム・ギブソンが一九八四年に出したやつ。あとなんちゃらじゃない、ブルース・スターリングな。テストに出るぞ」
なんのテストだよ、という僕のツッコミには答えず、トキオはリュックサックをがさごそと漁る。そして、日焼けた一冊の文庫本を机に置いた。僕はそれを引き寄せ、ペラペラ捲る。こんなデッドメディアを触るのは日常ではあまりない。
「ずいぶん古いな。面白いのか?」
「いんや、めっちゃ読みにくい。おれは内容、全然分かんない。せっかく買ったのに」
「じゃあ、なんで傑作って分かるんだよ?」
「えー、なんかみんな、そう言ってるから。もしかしたら、そのみんなも『みんな言ってるから傑作』って言ってるのかもな」
なんだよ、呆れた表情がもろに顔に出る。でもトキオは構いなく、言葉を続ける。
「いや、そんな話をしたいんじゃない。まさにこの言葉が、俺のやりたいことなんだ」
トキオは熱弁する。
「おなじみの古くさい未来とは、おさらばだ。明日からの授業とか、文化祭とか、卒業式とか。あと大学とか就職? そういう一切のおなじみの未来は、もうたくさんだ、ってこと」
清々しいくらいにトキオは言い切った。
「で、おまえはやるのやらないの、どっち」
こういう場合、僕は必ずうなずく。昔っからトキオは退屈から抜け出す術を知っていて、僕はそれを楽しみにしていた。
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