鎧塚くん、入ってますか?
「
これが、僕から鎧塚くんへの朝の挨拶だ。
時刻は7時15分。教室にちらほらと生徒たちが登校してくる時間。僕は一人、理科準備室にて、元々は掃除道具入れだった一番奥のロッカーをノックする。
「入ってるよ」
中から声。これが、鎧塚くんから僕への朝の挨拶だ。
鎧塚くんは理科準備室ロッカー登校をしている。よくある保健室登校の理科準備室ロッカーバージョンだ。保健室に比べると薄暗さと湿度が格段に上の登校スタイルと言えるし、影のある鎧塚くんにとても似合っているなと思う。
僕は先生から、鎧塚くんを理科準備室ロッカーから引き出すようにとの指令を受けた。任命理由は、僕がクラスで一番人当たりのいい生徒だからだ。僕は人当たりのよさなら他の追随を許さないつもりで生活しているので、指名を受けた時は素直に嬉しかった。
だからしっかり役割をこなしたいと思っている。
「鎧塚くん、今日の給食はなめこ汁だよ。今日も君の分は僕が持ってくるけど、なめこの割合に関して希望があれば給食当番に直接言った方がいいよ。そのへんは個人の感覚だから、僕も伝えきれないし。ね、教室行こうよ」
「なめこの割合に希望はないから、適当に持ってきてくれていいよ。給食に関しては、いつもありがとう」
相変わらずの、淡々とした冷めた声。なめこ汁じゃだめだったかぁ。ミートボールスープならよかったかなぁ。僕はため息をつく。
それから、給食楽しみだなーと思ってお腹が減る。頭の中が今日のメニュー、五目ごはんと鰯の煮付けに占領されそうになったので頭を振って払って、任務の遂行に意識を戻す。
鎧塚くんはこのロッカーの中で自己完結している。自宅から持ってきたタブレット端末を教室の自分の机に置いてweb会議に繋ぎ、ロッカー内で自分のスマホと繋げ、一人分のオンライン授業の環境を作り上げて勉強している。
その他、いろいろな物を持ち込んでいるようだけど、扉を開けてくれたことがないので中がどうなっているのかはよくわからない。
「えーっと、もう2ヶ月になるよね。せっかく同じクラスになれたんだからさ、他の奴らともいろいろ喋ろうよ。みんな良い奴だよ。休み時間に相撲とかしてさ、楽しいよ」
「僕に必要なものは僕が決めるよ」
それは鎧塚くんの哲学だ。僕の誘いは、いつもそうやって鎧塚くんの哲学に阻まれる。
しかし。今日は策を練ってきた。これならきっと、さすがの鎧塚くんも出てこずにはいられなくなるだろう。
僕は持ってきた七輪を足元に起き、中に新聞紙を入れてライターで火をつける。火の中へ炭を投入して、炭火が安定したのを確認してから網を置く。
さて、いきなり攻めていこうかな。僕は牛肉の串をチョイスして網の上に載せる。肉の焼けるささやかな音と、やがて広がり出すにおい。うーんジューシーで芳ばしい。お腹の底が踊り出すにおいだ。
「なんかにおいがするけど、そこで何してるの?」
「バーベキューだよ。鎧塚くんも一緒にどう? 他につくねとかウインナーとかアスパラベーコンとかあるけど、何が好き? きのことかコーンもあるよ」
「僕は食べ物にはそれほど興味ないし、食べるのはいつも一人がいいんだ」
「それはちょっと、寂しくない? みんなで食べるの、楽しいよ?」
「人と人は支え合わないと生きてはいけない。それはそうだと思うよ。でも、一人で完結できることを、わざわざ人とやる必要はないよ。僕は僕一人だけでできることを、僕一人でしたいんだ」
「うーん、そうかぁ」
僕はうちわをパタパタやって、七輪の送風口に空気を送る。お腹が空いてきた。つくねもウインナーもアスパラベーコンも焼こう。においが重層的になってますます美味しそう。
あぁ、だめだだめだ。これは鎧塚くんを引っ張り出すための作戦なんだから。なんとなくいつもより踏み込めそうな感じだし、質問を続けよう。
「えーっと、じゃあ、ロッカーの中に籠ってるのも、一人で何かをするためなの?」
「まぁ、そうだよ」
「いったい、何を?」
「単純に理科的な実験だよ。授業じゃやらないけど、僕がやってみたいと思うことをしてる。準備室の物もいくつか拝借してるし、ここには火炎感知器がなくて火も使えるからね。でも詳しくは言えないよ。僕一人の課題だから」
「へぇ、なんかすごいなぁ。でも僕、オーロラソースの調合なら上手いよ。エビに絡めて炒めると美味しいんだ~」
「君、食べ物の話ばっかりするよね」
「僕の名前は
「大森くん、とにかく僕はここで一人でいたいんだよ。必要な情報は全部スマホで見つけられるし、授業だってwebで繋いでしまえば、他の生徒と一緒に教室で受ける必要なんてない。今はそういう時代なんだよ。一人で探求して、一人で成し遂げる。僕はそれがしたいんだ」
「うーん、なるほど」
「もうすぐ実験結果が得られそうな大事な所なんだ。集中したいから、そのバーベキュー、よそでやってくれる?」
「なーんだ残念。すごく美味しそうに焼けてるのに」
ミディアムレアに仕上がった牛肉に粗挽き胡椒を振り掛ける。うぅ、美味しそうだ。鎧塚くんがいらないって言うんだからしょうがない。僕一人で食べるしかないな。
そうして一口目を齧った瞬間、ロッカーが爆発した。
「うわぁああ!?」
衝撃と爆風の後で目を開けると、黒い煙の中、ぶっ壊れたロッカーが見えた。全体的に吹っ飛んでいてもう直方体の形を留めてはいなかった。と言うか、もう物質として成立してないくらいに焦げていた。
「鎧塚くん!?」
煙で見えない。まさか死んじゃった? 嘘だ! 僕は重い体を起こして何度も鎧塚くんを呼んだ。
煙が晴れてきて、理科準備室の天井に穴が開いていることに気付いた。ここは三階。上にあるのは屋上だけ。さっきの爆発が天井と屋上を貫き、大穴を開けてしまったのだ。水色の空へと、煙が逃げていく。
なんてことだ。爆発の余韻にふらふらしながらぽかんとしたまま穴を見上げていると、遥か上空に、小さな何かの姿が見える。それはだんだん大きくなってくる。つまり、落ちてきている。手足を持った黒いそれは、制服を着た、男子。
「鎧塚くん!!」
爆風で巻き上げられてかなり高い所まで吹き飛ばされていたんだろう。鎧塚くんはひょろひょろだから簡単に飛ばされてしまったんだ。うわぁ大変だ。いやでも、ここに真っ直ぐに落ちて来るぞ。
僕は鎧塚くんの落下予測地点に立って腕を広げる。すごい高さからの落下だ。鎧塚くんも僕も、相当に危険。でも、できる。なんたって僕は、誰よりも人当たりがいいんだから!
「来い!!」
受け止める瞬間、鎧塚くんと目が合った。そのまま、鎧塚くんは僕の上に墜落して、バウンドして、床の上に転がった。先週80kgに達した僕の体の特に弾力のあるお腹周りは、ぶよんと波打って衝撃を一瞬で吸収した。
まったくびっくりだ。教室相撲でクラスの男子全員を「決まり手・押し倒し」によって地に伏せまくってきたお腹の弾力がこんな所でも活躍するとは。何事も、蓄えておくもんだなぁ。
「鎧塚くん、大丈夫!?」
お腹をたぷたぷいわせながら這い寄る。鎧塚くんは細くて小さい体をぶるぶる震わせていた。ダメージはあるみたいだけど、ちゃんと生きている様子なのでひとまずほっとする。制服はぼろぼろだけど。
「ぼ、僕は、失敗した、のか……?」
フレームの歪んだ眼鏡に手をかけて、鎧塚くんが呟く。
「実験のこと? んーたぶんそうだね。まぁ爆弾を作ってたんだとしたらノーベル賞ものの大成功かもだけど。はは」
「違う……こんなはずじゃ」
「そういうことだよ鎧塚くん。一人じゃできないこともある。今だって、君一人じゃ死んでたけど、僕がいたから助かった。このお腹のおかげでね」
「……大森くん」
「まぁまぁ。とりあえずこれでも食べようよ」
僕は持ったままになっていた牛肉の串を鎧塚くんに差し出した。あれ、真っ黒だ。焼けてしまってる。その時に気付いたけど、僕の方も結構焼けてて、制服もだし、髪の毛もチリチリだった。
「ま、ウェルダンも美味しいよね」
僕の言葉に鎧塚くんはぽかーんとしていたけど、ひとまず鎧塚くんをロッカーから生きたまま引っ張り出すことには成功したので、僕はとても満足だった。牛肉は美味しいし、満足満足。
その後、鎧塚くんは何かを観念したみたいな様子で、僕と一緒に牛肉をむしゃむしゃ食べ始めた。やっぱり一人よりも二人、二人よりもみんなで食べる方が美味しいと思う。
「なめこの割合は、汁10に対して1.5くらいを希望しようかな」
「それ、直接給食当番に言ってね」
「そうするよ。……大森くん、いろいろありがとう」
僕はお腹をぽんと叩いて「ごっつぁんです!」と返事をした。
それから、いい焦げ具合になっていたつくねやアスパラベーコンなんかも振舞って、僕って太っ腹だなぁと思った。
〈鎧塚くん、入ってますか?・了〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます