破壊的美少女と同居を始めたら毎日がバトルアクションラブコメになったのだが?
我怠惰する、ゆえに我あり、とは俺の言葉である。
この世界のあらゆることが不確かであったとしても、俺が怠惰していることさえ確かであるのなら、俺は自分の存在を確かに証明し得る、というのがその意味するところである。
俺の築いたこの哲学を、目の前の女は遠慮もなく破壊しにかかる。
奴はフライパンを掲げ、楽しそうに口を開いた。
「パンはパンでも、触っただけで
意思表示のひとつとして、俺はそのなぞなぞにあえて正解しにいく。
「限界まで熱されたフライパン」
「せいかぁー」
い!と共に振り下ろされるフライパン。
俺はベッドから転がり下りる。その回転が終着する地点で膝を立て、上半身を起こす。立て膝の姿勢のまま、そいつを見上げる。
制服の上に、エプロン。ひとつにまとめた髪が揺れる。
「すごぉーい! 寝起きなのに速い!」
女は、満面の笑みでフライパンを持ち上げる。じじゅう、という音。それから、もわりと、白い煙が一筋。愛すべき俺の掛け布団に、また黒い円が刻印される。
部屋に満ちる、焦げ臭い匂い。そして、燻製の匂い。非常に芳ばしいこれは、ベーコンの匂い。
「またカリカリを通り越しやがったな?」
「いいじゃん。私好きなんだ、ゴリゴリベーコン」
一歩、二歩、近付いてくる。そのたびにスリッパが、すりっ、ぱ、と鳴る。
「あれはベーコンの逝った姿だ。死骸なぞ食いたくない」
「ん? ベーコンは家庭で焼かれる前からすでに豚の死んだ姿なんじゃないの?」
言いながら、女はわずかに体を捻る。直後、空間を横に切り裂く軌道でフライパンが振られる。俺は瞬時に頭を下げてかわし、後ろへと低く飛び退く。着地点で背中が机に当たって何かが落下する気配があるが、視線は女から離さない。数ミリの予備動作さえ見逃してはならない。
女は俺を見下ろしながら、フライパンの柄を握り直す。そして、完璧に整った笑顔で言う。
「おはよっ!」
それはいつも通りの、最悪な目覚め。
始まりは突然だった。
俺の父親の親友であるらしい夫婦が海外転勤になったが一人娘は頑なにこの国に残ることを主張したが年頃の娘を一人暮らしさせることも心配なので気のいい俺の父親がじゃあうちに住めばいいじゃないかちょうど同じ歳の息子もいることだしあいつの勉強でも見てくれたら嬉しいんだけどねそりゃちょうどいいそうしようおい息子よそういうわけだ仲良くしたまえよははははははははな流れで始まったこれ。
現れたそいつは、紛うことなき美少女だった。
同居と同時に俺の通う高校に転入してきたその日から、控え目ながらも凛とした華のある振る舞いと、無条件に誰をも惹き付けてしまう柔らかな笑顔など、その容姿から期待される人格をまったく裏切ることのない存在感によって、一瞬にしてクラスの最高層ポジションへと上り詰めた。教室の中心で笑うそいつは、間違いなくヒロインだった。
そんな美少女との同居生活である。突然発生したこのラブコメ的設定において、しかし俺にラブコメ的展開は訪れなかった。訪れたのは、ただのバイオレンスな日常だった。
あれは、この女が家に来て三日がたった日の夜。ラブコメにおけるお約束のハプニング、風呂場での遭遇の際に繰り出された顔面パンチ。およそ女子のものとは思えない速度と威力のそれにより、全治三週間の怪我を負った俺。
鼻にギプスを当てた俺に、ヒロインであるところのそいつは言ったのである。
「私は私をキャラ付けしようとする世界をぶっ壊すことにした」
なんだそれは、と思ったので「なんだそれは」と俺は言った。
意味がわからない。美少女としてキャラ付けされることへの反発? なにゆえだ。浸かればいいじゃないか。恵まれたキャラ設定を謳歌し、ハッピーエンドが確約されたストーリーを生きろよ。
「私は今まで、用意された物語を破綻させないように生きてきた。それに沿ってさえいれば、この世界の主要人物でいられるような気がして。でも気付いたの。私の中の、戦闘能力に」
あぁ、あのパンチで?
「私はこの力を、私の意志によって強くしていける気がする。ううん、しなきゃいけない。私には、作られた設定を破壊して、新しい展開を創造する力が、きっとある」
拳を握り締めてのセリフである。説得力という点においては100点だった。俺はただ「へぇ」と言った。
そして締め括られる、ヒロインのセリフ。
「私の物語は、私が作る」
そして始まったのが、この日々である。
俺にのみ発動するバイオレンス。それはそいつの、美少女として世界の中心で生きてきた人生における唯一の破綻部分であり、規定の物語から新たなエピソードを派生させるための唯一の突破口だった、ようだ。
わかる。理論としてはわかる。抑圧されたもののエネルギーが甚大であることも理解しよう。ヒロインにもヒロインの苦労があるだろうし。
だがしかし、巻き込むのはやめろ。俺にも俺のキャラがある。俺はこの世界において、脇役であり、雑魚であり、モブであることを全うしている最中なのだ。
俺が俺の存在をそう定義付けたのは、高校に入学した頃のことだ。
特殊な能力も、秀でた個性もない。ただ凡庸なエピソードのみが繰り返される毎日の中で、ふと気付いた。俺は、この世界の主要人物ではない。
追うべき主題も、解決すべき命題も、俺には託されていない。それは主役めいた人物たちのものだ。俺は本筋に関わることのない、背景の一部に属するだけの、名も無き群衆のうちの一人にすぎないのだ。
ならば盛大に放棄しようじゃないかという思考の結果、高熱量の起承転結を成立させるのに不可欠な要素である『友情・努力・勝利』などの王道概念からは離脱することにし、徹底的に生きる労力を削減する目的としての、肉体的精神的な意味での怠惰を選択した。
清々しかった。これこそ、俺の人生だと思った。朝の二度寝、イヤホンからのBGMの中でまどろむ授業時間、何もしない休み時間、部活に勤しむ奴らを尻目に帰宅、昼寝、ベッドの上で無目的にスマホをいじりながら眠りにつく夜……。俺に相応しい、生産性のない、省エネルギーの、無為な日々。頑張る必要のない毎日は気楽であり、至福であった。
それを打ち砕いたのがあのパンチである。
新キャラ『美少女』の登場により、俺の怠惰は突如崩壊へと向かい出した。
奴は、俺の怠惰を見逃さない。隙あらば、その容赦ない破壊力で皮膚を破り、肉をちぎり、骨を砕こうとしてくる。朝の布団の中でまどろんでいるうちに、熱々のフライパンによって殴打と同時に火傷を食らう。二度寝している場合ではないのである。
かくして怠惰は消失した。同時に、俺は自分の存在を証明する術を見失った。一切の確信性を無くした俺は、向かってくる暴力をただ回避することで生き延びている。
「んじゃ、さっさと起きて、スクランブルエッグ作ってねん」
戦闘態勢を解き、女は歌うように言う。ラブコメの表紙になりそうな笑顔だ。翻るスカートすら絵になる。
俺はゆっくりと、右手を斜め後ろの床に這わせる。そこに触ったペンを掴み、一瞬だけ息を吸うと、背を向けた女の首へ向け、一直線に放つ。
仕留めたと思ったのと同じタイミングで、割って入ったフライパンにより弾かれ、へし折られる矢のように落下するペン。思わず舌打ち。
フライパンを下げ、ゆるりと振り返る女。
「聞こえるんだよね、音が。これから攻撃しますって、息の音がさ」
ふふ、と楽しそうに笑う。髪の束が可憐に揺れ、なるほど確かにここは、こいつが切り開きつつある物語の、その最新話なのだという気にさせる。
「スクランブルエッグ、私のはチーズたっぷりでねっ」
言い残し、去る女。閉まるドア、再び訪れる静寂。
カーテンの隙間から、わずかな朝日が部屋を透かす。かつての俺が愛していた、まどろみの二度寝タイムである。
俺の怠惰を優しく包み込んでくれた布団。くっきりと焦げ付いた黒い円を見ながら、死にたくはない、と思う。
「……オッケー。息の音な」
俺は立ち上がる。まだ起床して一分と経っていないというのに、もう制服に着替え始めている自分をまったく不可解だと思いながら、机の引き出しを開け、めぼしいものを内ポケットへと突っ込んでいく。ハサミ、カッター、定規。破壊力で敵わないのなら、速さと武器で勝負だ。
回避ばかりでは進展しないとわかった。反撃が必要なのだ。よって俺は、戦闘能力を上げるしかない。
もうこの先の展開など何もわからない。物語に踊らされる登場人物にとって、進む先は常に未知なのだ。ただわかるのは、エンディングを迎えるのにはまだ早い、ということ。それだけは確かだ。
俺は脇役であり、雑魚であり、モブであるが、俺の存続のために、戦わなければならない。
まるで武器を装備した勇者のように、制服はずっしりと重い。息を吸って吐いて、ドアを開ける。
必ず生き抜いてやる。ラブコメなんかで死んでたまるか。
〈破壊的美少女と同居を始めたら毎日がバトルアクションラブコメになったのだが?・了〉
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