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つきのさん、こんばんは。
すごーく分かります。
論理的思考は難しい!!(笑)
でも、感覚で生きてる人が羨ましいとさえ
思っていたんですけど、
論理的思考ではないとなると
やはりそっち側なのかもしれませんよね。
私に関してはぼんやりと雰囲気で
なんとなーく生きてきたのだから、
気づくのが遅い位なのですが…
ただ感覚で生きている人のイメージって
何でも即決!みたいなところがありまして。
また違った意味の感覚なのでしょうかね。
でも、つきのさんのこの文章の全て
本当にまんま一緒で気持ちすごーく分かります!!
分かっているつもりでいても、
結局その人と同じ立場になって
やっと分かる事が多過ぎて
私は鈍感なのかなと思う時が多々あります。
作者からの返信
ねむこさん、こんばんは^^*
わたしの場合、感覚というか細かい思考能力が元々ない上に、年々落ちていってて(汗)
感覚といっても手探りなんで、衝動的に動いちゃって失敗するパターン結構あります^^;
ねむこさん、鈍感なんかじゃないですよ。
むしろ繊細で優しいから、悩んだり迷ったりも多いんだと思います(*^^*)
つきのさん、たまたま最近、ほかの方のエッセイで同じような話を読み、コメント欄で同じようなことを話し合ったんですけど、ここに書いてあること、すごくよくわかります。
私が最初に衝撃を受け、「共感」の難しさと「心を寄せる」ということの意味を考えたのは阪神淡路の時でした(報道を通してです)。
どんなに言葉を尽くしても、いや、尽くせば尽くすほど拒絶されてしまうくらい、被災者に「言葉で気持ちを伝える」ことは難しいなと思いました。被災者の心身の傷が深いほど、どうせお前ら口先だけだろうって。明るく慰められると腹が立つって。
それほどに傷ついて、余裕もなくて、絶望してるんだなって。
時には、距離を置くこともやさしさとか思いやりなのかもしれない。
ただ、「思っている」ということだけを伝えて、話したくなったら、弱音を吐きたくなったら、私でよければ連絡ください、いつでも待ってます。くらいがいいのかなぁ、とか。
その後、東日本大震災で、実際に友人との間で思い悩みました。携帯の充電すらままならない時に、「心配されるのが煩わしい」ということもあるのだろうなと実感しました。(露骨な話、緊急時には、人間関係の優先順位というものもありますし)。もちろん、落ち着いて向こうに余裕が出てきたら、元に戻りましたが。
私も常々、思いやりは想像力からと思っています。
感覚も論理も超えて、実感は伴わないかもしれないけど、自分を精一杯相手の立場に置いて考えてみる姿勢は、いつでも持っていたいですね!
作者からの返信
みさえさん、難しい答えの出ないことですよね。
心の問題に対してはそれぞれ感じ方も違うし、正解はないから。
そして当事者は余裕がないから、只中では、ちゃんと返せないことも多くなっちゃうんですよね。
落ち着けばちゃんと見えてくるんだけど時間は必要で。
>自分を精一杯相手の立場に置いて考えてみる姿勢は、いつでも持っていたいですね!
はい。結局、その気持ちが一番大切なんじゃないかなってわたしも思います。