秋風吹いて

 やっと、涼しい秋風を感じるようになりました。有難いです。


 でも昨今の天災により被害を受けられて、今も避難生活を強いられたり、心身に傷を負われた方々のことを思うと、堪らない気持ちになります。


 いえ、でも、きっと実感は出来ていないだろうと思うんです。

 思いは馳せる事ができても、わかりますとは言えない。多分、自分がその立場になってみなければ。


 でもこればかりはどうしようもないんだとも思います。

 それを思い知ったのは、やっぱり自分自身が家族を亡くしたり、病んだりしてからでした。


 それまで思っていなかったわけじゃないけど、実感ではなかったんです。


 だけど、それはそうですよね。

 実際に死をこの目で見なくては、病む苦しさを身をもって知らなければ、それは自分のものにはならない。


 だからといって心を寄せることは無駄でもなければ嘘でもないと思うのですよ。


 全てを知った顔をするのは傲慢ごうまんな気がしますが、思いを馳せることは、優しい気持ちだと思うから。

 その想像力(だとわたしは思います)のない世界は殺伐さつばつとしていて哀しすぎる。


 わたしは感覚で生きている人間です。

 論理的思考が苦手という決定的短所に時に凹みつつ、でも考えたり想像することは手放したくないなぁと思っています。


 ここまでで”思う”という言葉が沢山出てきました。

 読み返してみると、いかにも感覚で生きている人間の書いたものらしいなぁと自分に苦笑いしてみたり。


 他人ひとの全てをわかろうとしても、それだけは 誰にも無理でしょう。

 カミサマなら?いえ、カミサマでもそれは出来ないのではないでしょうか。


 ほんの少しだけでいい、それぞれにはそれぞれの生活があり、人生があるのだから。

 自分のことに一生懸命なのは当然です。


 だけど、思いを馳せることはできる。

 その想像力だけはせめて持っていたい。


 そうして、自分が同じような立場になったら(これは決して他人事ではなくて、そういう目に遭っていないのは運が良いだけなのですから)きっと”わかる”から、そうしたら、また思いを馳せてみる。

『ああ、あの時きっと、あのひとはこんな気持ちでいたんだな』って。


 そう思える自分でいたい。せめて。


 自戒を込めて思います。

 わたしは心が弱い人間で、身勝手な小心者だから尚更なおさらに。

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