アーチネスの初恋 6
着工式がどんなふうに始まったのか、どんなふうに進行して、どんなふうに終わったのか、アーチにはまるでわからない。
ただずっと涙にくれながら、ワレスの姿だけを求めていた。式が終わって彼が去っていくときには、心がちぎれそうなほど痛かった。
アーチの泣きかたが、あんまり変だったのだろう。
「アーチネス。君の態度は尋常ではない。何かあったのかね?」
いぶかしがって、ジアン中隊長がたずねてきたが、アーチは答えることもできなかった。鼻水をすすりながら、ぐずぐず言っていると、よこからマリクが口を出した。
「恐れながら中隊長殿。アーチネスは昨日の輸送隊が運んできた手紙で、親類縁者に不幸があったことを知ったのです。なにとぞ、本日だけはおゆるしください」
もともとジアン中隊長は
夜になって、一隊はふたたび、あの丸太の城で一泊することになった。
ワレスと初めて結ばれた城。
思い出の場所も、今では悲しみをいやます小道具の一つでしかない。
隊の仲間はアーチがワレスに失恋したことを全員察していたから、何も言わなかった。だが、夜になっても泣き続けるアーチを迷惑に思ってはいるようだ。
アーチは眠れない夜に一人で泣ける場所を探して、城内をさまよった。
けっきょくたどりついたのは、あの場所だった。
満天の星空のもと、ワレスと抱きあった前庭。
思い出の場所で一人たたずんでいると、あとからマリクが追ってきた。
気配でそれに気づいたアーチは、ふりかえりもせずに言い放った。
「笑いたければ笑えよ。何もかも君の言ったとおりになって」
声を荒げるアーチのとなりにならび、マリクはそっとささやく。
「笑わないよ。だって、おれは、おまえに泣いてほしくなかっただけだから」
「なんで、そんなこと言うんだ。君には関係ないだろ」
「関係はある」
「……なんでさ。もういいから、あっちへ行けよ。一人になりたいんだ」
一刻も早く、マリクが行ってしまうことを望んだのに、マリクは立ち去らなかった。あいかわらずアーチのとなりにいて、うなだれたアーチの顔を下からのぞきこんでくる。
「今なら、言ってもいい?」
見あげるマリクと目があって、彼が何を言おうとしているのかわかった。とっさに逃げだそうとするアーチを、マリクの腕がとらえる。
「ずっと、おまえを好きだった」
「なんで今、そんなこと言うんだよ」
「じゃあ、いつなら言っていい? おまえはおれを気味悪がって、ずっとさけてた。それでもおまえが人並みに女と結婚して、子ども作って、ありきたりの家庭を築いてくれたなら、おれは一生、別の男と体だけ重ねて、黙っとくつもりだった。でも、おまえはおれの見てる前でほかの男を好きになって、すてられるってわかってるのに自分からとびこんで、あげくの果てにやっぱり泣いて……おれ、いつまで我慢してたらいい?」
マリグランの腕をふりきろうとして、彼をかえりみたアーチネスは、ドキリとした。
マリクの目が、今にも泣きそうだったから……。
「好きだよ。アーチ。大好きだよ」
抱きしめられて、アーチは抵抗する気力を失った。ちょっと前まで悪寒が走るほどイヤだった男色家のマリクとの接触が、ぜんぜん、どうってこともなかったからだ。
それはすでにアーチも慣れ親しんだ男の体でしかなかった。むしろ、強く抱きしめられると、ワレスに刻みこまれた印が体の奥深くで目覚めて、うずく。
ワレスに変えられて、アーチはマリクと同じものに変質したのだ。
「……じゃあ、君が忘れさせてよ。あの人のことを」
ワレスと初めて契ったその場所で、アーチはマリクに身を任せた。
ワレスを求めるようにマリクを求めて、体は満足したが、堪能した味はどこか味気なかった。
「……違う。違う。僕は——」
あなたでなきゃ……ダメなんだ。
アーチはマリクをつきはなしてかけだした。
(僕が変わったのは体じゃない。心だ)
ワレスさん。あなたを愛してる。こんなにも、あなたを愛してる——
とめどなく流れる涙と同様に、あふれて止まらない想い。
アーチは
いかに国内側とは言え、夜の森には死をともなう危険も多い。暗闇を走りまわれば方角を見失う可能性もある。
でも、そのとき、アーチにはほかのことはいっさい考えられなかった。
ただ、ワレスに会いたい。そうでなければ死にたい。
(耐えられない。こんな思いをまだ三年半もかかえて、この森のなかで生きていくなんて)
町へ帰れば、少しは気がまぎれるかもしれない。だが、こんなふうに何もない森の奥の城で、毎日、ワレスのことだけを思いながら、うつろな時を重ねていくことは、つらすぎた。体の半分を失ったより深い喪失感に重くつぶされて、遠くない日に心が壊れてしまうと、自分でもわかる。
(つらい……あなたを愛することが。いっそ、それなら……)
あなたを忘れてしまいたい……。
泣きぬれて馬をかけさせていると、ふと前方に光を感じた。
砦? いや、ボイクド城にしてはその光は淡く儚い。暗闇にゆれる蛍のようだ。
なぜか、アーチはその光に強く心惹かれた。馬を並足にして、ゆっくり近づいていくと、黒くシルエットになる樹木のあいだに、小さな家があった。レンガ造りの家全体が緑色の光に包まれ、かすかに発光している。
その場所が丸太の城とボイクド城のあいだのどのあたりなのか、正確な距離はわからない。が、それにしても、こんなところに人間の住む家があるなんて聞いたこともない。森のなかには町や村もないし、ここから一番近い炭焼き小屋ですら、西に五日は移動しなければならないはずだ。
(恋の……魔法屋)
あのウワサを思いだして、アーチはドキリとした。
(どんな恋も叶えてくれる。それなら、僕の思いも……?)
アーチは炎に吸いよせられる一匹の蛾のように、光にひきよせられていった。
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