アーチネスの初恋 5
ワレスがいないだけで、世界中が死にたえたような気がした。
口から出るのは、ため息ばかり。
夜になると恋しさのあまり涙があふれた。
警備隊の仕事もおろそかになり、仲間に病気ではないかと言われた。そのままでいたら、ほんとに病気になっていたかもしれない。
ところが、星の月の終わりごろになって、とつぜん、ジアン中隊長からこんな話を聞いた。
ワレス小隊長が解決してくれた事件の後処理で、森のなかに石碑を建てることになった。ついては、こちらからもヘリオン伯爵の代理としてジアン中隊長が着工式に参加する。以前、ボイクド城まで同行したアーチたちも参列するように、と。
そのあと、ジアン中隊長が事件の真相やら何やら、くどくどと話していたが、アーチは聞いていなかった。
(ワレスさんに会える)
もう一度、ひとめだけでいい。
会えるのだ。
あきらめていただけに嬉しかった。
もしかしたら、こっそり式をぬけだして、愛しあうのはムリでも、キスくらいはできるかもしれない。
アーチを変えたミダスのキス。
ワレスに会えるのだと思うと、彼に刻みつけられた体中の印がしびれるように熱くうずいた。
(ワレス隊長も少しは……喜んでくれるだろうか。僕に会えば)
ワレスが話したがらないから、彼がどこで生まれ、どこで育ち、どんな人々とすごしてきたのかもわからないが、アーチはワレスの恋人は遠くにいるものだとばかり思っていた。障害があって、うまくいかない恋なのだと、ワレスの態度から考えて。
でも、そうではなかったのだと知って、なおさらショックだった。待ちに待った着工式の日、森のなかで再会したワレスが、その男と話しているのを見たとき。
その男はブラゴール人だった。
南の砂漠のなかに、ほんの二、三百年前にできたばかりのその国は、ユイラと敵対する立場にある。
砦の傭兵には外国人が多いと聞くが、パンケーキみたいな茶色の肌をしたその男の容貌は、ユイラの明るい森のなかではひときわ異彩を放っていた。
たしかにブラゴール人にしては顔立ちは整っているが、透きとおるように白い肌のユイラ人を見なれたアーチの目には異質に映った。
そんな男がワレスのとなりに(あの美神のように美しいワレスのとなりに)立っていて、親しげに話している。
もちろん、アーチは初めのうち、男はただのワレスの部下だろうと思っていた。だが、着工式が始まる前、ワレスの姿を目で追ううちに、ハッと気づいた。ワレスの視線が度々、からみつくように、となりの男に向かうことに。
それも相手が森のなかのあちこちを指さして、「今あそこにキレイな鳥がいましたよ」とか、「やあ、こんなところに野苺が」なんて言いながら、よそ見しているすきを狙ってだ。男がワレスをまっすぐ見ると、さりげなく視線をはずしてしまう。
それに……それにだ。
その男の髪は、こまかくちぢれた黒髪だった。アーチによく似た感じの……笑いかたも少しアーチに似ている。
(似ている……僕に似て……)
違う。あの男が僕に似てるんじゃない。僕があの男に似てるんだ!
証拠に、その男を見つめるワレスの目には、愛があった。
ワレスがその男に恋していることは一目瞭然だ。
(ずるい。あなたは、ずるい。自分はいつもとなりに恋人がいて……なら、どうして僕なんか誘って……)
完全なるつまみ食いだったのだ。
ワレスが本気でないことは最初からわかっていた。ただの身代わりだということは。恋人と遠く離れたさみしさをまぎらわせるために、アーチを代役に仕立てたにすぎないのだと。
でも、その恋人がとなりにいるのなら、代役の意味なんてない。
ほんの数日、恋人と離れているあいだの、体の浮気にすぎなかったのだ。
あの人は男娼だ——そう言っていたマリクの言葉が脳裏によみがえる。
見つめていると、ワレスと目があった。
あきらかにワレスは今初めてアーチに気づいた顔をして、困惑げに眉をしかめた。
もしここで彼がアーチを無視したら、きっとアーチはワレスを軽蔑した。そのていどの男だったのだと知って、いっぺんに恋情も冷めていたはずだ。
だが、ワレスは泣いているアーチを見て、となりのブラゴール人に何か言うと、一人でこちらに近づいてきた。
木陰にアーチをひきこむと、
「おまえも来ていたのか。アーチ。なぜ泣いているんだ?」
「あなたのせいです。あなたが恋人と二人で楽しそうに笑うから……」
「ハシェドのことなら、ただの友人だ。とても大事な友人だが、恋人ではない」
「嘘だ。じゃあ、どうして、僕とあの人が似ているんです?」
いよいよ困った顔をして、ワレスが嘆息する。
「アーチ。おまえは、おまえだ。おれはちゃんと、おまえのことが好きだった。おまえの初心なところや、男ずれしてないところが新鮮だったよ。たしかに最初の一度は身代わりだったが、そのあとはおまえを誰かの代わりだなんて思っていなかった」
「嘘だ。あなたは、最初から最後まで……」
ふいにワレスの唇がおりてきた。
彼に呼吸をふさがれると、心臓が止まりそうになる。どうせなら、このまま息の根をとめてほしい。
「おまえのここが好きだと言ったろう?」
ワレスの指が、アーチの口唇を優しくなぞる。
「さよなら。アーチ。おまえの想いにこたえることはできない」
いやだ。行かないで。
遊びでいいから。
身代わりでいいから。
さよならだなんて言わないで。
ワレスは行ってしまった。
伸ばしたアーチの指は、むなしく空をつかむばかり……。
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