アーチネスの初恋 4
翌日。
カンタサーラへ帰城し、そのあとの四日間、ワレスはアーチたちの城に滞在した。
アーチネスは毎晩、兵舎をぬけだし、ワレスの客室へ忍んでいった。
一日めの夜には、ワレスは最初ためらって、アーチをなかへ入れてくれなかった。
「アーチ。おまえは後悔してるんだろう? もうよそう。おれはおまえに愛される資格なんてないんだよ」
「恋人の代わりだっていいんです。遊びだっていい。僕はあなたを忘れたくない。だから、もっと深く、あなたのことを僕に刻みつけてください」
「ダメだ。帰ってくれ」
そう言うワレスの口を、今度はアーチのほうから、くちづけでふさいだ。
「いやです。あなたのキスが僕を変えた。責任をとってください。あなたはどうせ、しばらくしたらボイクド城へ帰ってしまうんだ。そうなったら、もう……会えない。お願い。あなたがカンタサーラにいるあいだだけでいい。ほんの少しだけ、僕に夢を見させて」
ワレスがアーチのことをあとくされがないと思ったかどうかはわからない。
とにかく頼みこむと、ようやく室内へ入れてくれた。
「僕のこと……迷惑でしたか?」
「いや。おまえは、可愛いよ」
そして、あのくちづけ。
彼とすごした四日間は、とても幸せだった。彼と肌をかさねるたびに、自分がどこまでも染まっていく気がして少し怖くなることはあったが、彼を喜ばせるためなら、どんなことでもできた。
時間のかぎられた短い恋を味わいつくすために、我を忘れて抱きあった。
それでも四日めになって、明日ボイクド城へ帰ると言われたときには、泣いたが。
「……僕が輸送隊の護衛係ならよかった。それなら、せめて二旬に一度、輸送隊について、あなたに会いに行くことができたのに」
以前は輸送隊が来るごとに恋人のもとへ飛んでいくマリクを、
別れを思ってアーチは涙ぐんでいたが、なんだかワレスはぼんやりしていた。彼はアーチの髪をさわりながら物思いに沈むことがよくあった。そんなとき、彼は皇都で別れた恋人のことを考えているのだ。
「……恋人を思いだしてるの?」
アーチが問うと、ワレスはアーチの巻きのこまかな黒髪をなでる手を止めた。
「いや、明日の予定を立てていたのさ。これでも小隊長だからな」
嘘だということはわかっていた。
たぶん、ワレスの好きな人が、アーチに似た、こんな髪をしているのだ。
ワレスが最初に会ったとき、アーチの前で立ちどまったのも、きっと、そのせいだ。
「あなたに恋人がいてもいいと言ったけど、こんなときはあのウワサがほんとならよかったと思う。そうしたら、あなたをふりむかせることができるのに」
この話はワレスの関心をひいた。
やはり、彼には他人にはない特別な才能があるのだろう。
アーチがくだらないウワサ話と思っているようなことでも、ワレスはひどく真剣に聞いてくることがあった。
「どんなウワサだ?」
アーチは素直に答えた。
どんな話でもワレスの気をひけるのは嬉しい。
「森林警備隊では昔から言われている、一種の迷信みたいなものです。どこだか場所はわからないけど、この森のなかに、どんな恋の願いも叶えてくれる魔法屋がいるらしいんです」
「ふうん。恋を叶える魔法使いね」
「そこに辿りつけるのは片思いをしている兵士だけで、森の巡回をしているときなどに、ふらりと一人だけいなくなったらそれだと、先輩に教えられました」
「一人で行方をくらますのか?」
「ええ。でも、すぐに自分から帰ってくるそうですよ」
「なんだ。それなら今、おれが追ってる事件とは無関係だな」
ヘリオン伯爵から援助を頼まれた例の事件のことだ。
「そうなんです。最初のうちは、ふらふら人が消えるから、そのせいじゃないかと言われていたんですけど、こっちは消える前後に女の霊が現れるなんて話もないですし、別物だとわかりました」
「しかし、どんな恋も叶えるだって? 眉唾物だな」
ワレスが言うので、思わずアーチは笑った。
「僕もあなたのウワサを聞いたときはマユツバだと思いました。人に見えないものが見えるなんて、あるわけないって」
ワレスは少し思案した。
「なるほど。そう言われると、ほんとかもしれないな。おれのウワサも、まんざら嘘じゃない」
「ほんとなんですか?」
「ああ。いつも見えるというわけではないが」
「だから瞳のなかで光が踊っているような、こんな不思議な目をしているんですね。僕、あなたのなかで、その目が一番好きです」
「ふうん」
ワレスは急にニヤニヤして、彼のなかでもっとも男らしい部分を指さした。
「ここが一番なんだと思ってた」
アーチが恥じらうのを見て楽しんでいる。ワレスはときどき、とてもイジワルだ。アーチが困ったり、照れたりするのが可愛くてしょうがないのだと彼は言うけど、体ばかりでなく心まで弄ばれているようで、ちょっと卑屈になる。それでも彼が好きだけど。
「どう? 好き? 嫌い?」
「それは……好きですけど」
「じゃあ、おたがいの好きなところをふれあわせよう。おれが一番好きなのは、おまえの赤い唇だよ」
ワレスの手がアーチの頭をひきよせ、導いた。アーチは彼のために心をこめて奉仕した。最初にこれを要求されたときは、かなりためらったが、彼の体で愛しくないところなんてないのだと、こうしていると実感する。
夜明けまで、彼の部屋ですごした。
別れぎわ、
「もう会えないの?」
どうしても我慢できなくなって、たずねた。ほんとはそれだけは言うまいと思っていたのだが。彼とはカンタサーラにいるあいだだけという約束だったのだから。
ワレスが気を悪くするかもしれないと思ったが、彼は怒ったようには見えなかった。
「そうだな。例の事件がまだ解決したわけじゃない。場合によっては、もう一度、こちらに来るかもしれない」
「じゃあ、そのとき、また会えますね?」
「ああ」
そう言っていたくせに、アーチをぬかよろこびさせて、ワレスは直後に事件を解決させてしまった。
もしかしたら解決の目処は立っていたのに、二度と会えないと言えば、あの場でアーチが泣きだしてしまうと思い、嘘をついたのかもしれない。
泣きだしたら面倒だったからだろうか?
あの小さな嘘のために、アーチがどんなに落胆したか、きっと彼は思いもしないのだ。
(優しくて……でも、冷たい人だ。あなたは。最後の約束さえ守ってくれない)
年齢なんてほんの五つかそこらしか違わないはずなのに、大人の手管でアーチを
今になって思うと、カンタサーラでの最初の夜、ワレスがなかなかアーチを部屋に入れなかったのも、城にいるあいだだけの関係でいいとアーチから言わせるための手段だったのかもしれない。
(あなたの心を包むガラスの壁。僕はそのなかに入れてもらえなかったのですね)
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