アーチネスの初恋3



 だから、だろうか。

 森のなかで昼食の休憩に入ったとき、馬の背中から自分で荷物をおろすワレス小隊長を見て、アーチは声をかけずにはいられなかった。


 ワレス小隊長はわずか二人、自分の部下をつれていた。が、これが下品でガサツで粗暴な六海州の男たちで、下っぱの自分たちがすべき作業を小隊長がしているのを黙って見ているようなボンクラなのだ。馬を走らせていたときも下世話な話ばかりしていた。もっとも、こっちのほうが傭兵としては普通だが。


「ワレス小隊長。よろしければ、こちらへどうぞ。昼食をごいっしょしませんか?」


 アーチが声をかけると、彼は笑った。

 アーチはまた頰が熱くなるのを感じた。ほんとに自分はどうしてしまったのだろう?


 昼食をともにとったことで、ワレス小隊長が冷たく見えるほど端麗でありながら、思っていたよりずっと、きさくな人物であることがわかった。

 機知に富み、会話は洒脱で、知識が広範なので話題が豊富だ。とても魅力的な人だった。ときおり、かいまみせる自信家で傲岸ごうがんなそぶりさえも他者を惹きつけた。


 でも、少し話しているうちに気づいたのだが、彼にはその表面上の滑脱かつだつな人柄のすぐ下に、ガラスの壁のようなものがあった。笑顔にどことなくかげりがある。それに会話も変だ。たとえば故郷や家族のことに話がおよぶと、いつのまにか、さらりと別の話題に変えられている。

 不思議に思って、アーチネスはしつこく聞いてしまった。すると、ワレス小隊長は白皙はくせきをわずかにしかめて、端的に告げた。


「家族は、みんな死んだよ」


 こう聞いたとき、アーチネスは胸の奥が、きゅッと痛んだ。


 だから、こんなにさみしそうに笑うのか……。


「申しわけありません……」


 消沈するアーチの肩を、小隊長のほうが元気づけるように叩いた。


「こうなることがわかってるから、この話題は好きじゃないんだ。おれは気にしていないんだが」


 気にしていないなんて嘘なんでしょう?

 あなたが他人に壁を作って、心の奥を見せないのは、ほんとに信頼できる人がいないからではないのですか?


(この人は、孤独なんだな……)


 むしょうに悲しい。

 こんなに素敵な人が、どうしてたった一人でいなきゃならないんだろう。


 そのあとの行軍のあいだ、アーチネスはずっと無意識にワレス小隊長の姿を目で追っていた。そんなアーチのようすに即座に気づいたのは、マリクだった。


「アーチ。おまえ、ワレス小隊長はやめておけよ」


 その日の夜営地である木造の無人砦(通称、丸太の城)についたあと、夕食前にマリクと二人きりになる機会があった。各宿舎に暖炉用のまきを用意する係だったのだ。二人でまきをかかえて各部屋をまわっていると、とつぜん、マリクはそんなことを言いだした。マリクの語調はなんでかアーチを責めているようだ。


「やめるって、何をだよ?」

「ワレス小隊長はきわめつけの遊び人だよ。おまえみたいな初心うぶなやつは、火傷して泣くのがオチさ」


 真顔で言うマリクを見て、アーチは腹立たしくなった。


「な……何バカなこと言ってるんだ。僕が小隊長になんだって? 僕はそういう趣味はないって言ってるだろ」

「ああ」


「だいたい、小隊長には恋人がいるって、昼間に話してたじゃないか」

「だから遊び人なんだって。あの人、絶対、百人同時にだって遊べる。貞操感なんてゼロだよ」


「何言ってるんだ。小隊長に失礼だぞ」

「ほんとのことさ」


「なんで、そんなことわかるんだ」

「わかるさ。だって、あの人、男娼だろ」


 カッとなって、アーチは平手でマリクをぶった。


「言っていいことと悪いことがあるぞ」

「でも、あの目、男娼の目だ。おまえを値ぶみしてた」


 アーチにぶたれても、マリクが一歩もひかないので、アーチは宣言した。


「絶交だ。君とはもう口もききたくない」


 マリクの目がどこか悲しげにアーチを見つめる。


「……それでも、ワレス小隊長はやめたほうがいい」


 アーチはマリクを無視して次の部屋へまわった。


(なんだよ、マリクのやつ。あいつ、自分がさきに小隊長に目をつけてたもんだから、あんなこと言うんだ。僕がちょっと親しくしてもらったのをやっかんで……)


 とは思うものの、さっきのマリクの悲しげな顔を思いだすと、なんとなく悪いことをしたような気がして落ちつかない。

 絶交は言いすぎだったろうか。マリクは男色家ではあるが、アーチの恩人だし、今回も心配してくれたのかもしれない。アーチは世間知らずだから、マリクのほうが人を見る目は絶対に上だ。


 それでも、あんなに誇り高い(それは少し話しただけですぐにわかった)ワレス小隊長が、こともあろうに男娼だなんて、たとえ憶測であろうと言っていいことではない。


 アーチは本気で腹を立てていたのだが、男娼はともかく、アーチを値ぶみしていたというマリクの言葉だけは、その日のうちに証明された。

 夜、城内で眠っていると、ワレス小隊長に起こされ、井戸の場所を教えてくれと言われた。それを鵜呑みにして庭に出たアーチは、ねぼけているところをいきなり抱きすくめられて、いっぺんに眠気もふっとんでしまった。抵抗するまもなく、幾度も濃厚なキスをされて、なんだかもうどうでもよくなってくる。


(ワレス隊長となら、どうなってもいい)


 マリクがあんなことを言うから、かえって反発する気持ちもあったのかもしれない。

 あれほど男色を毛嫌いしていたのに、その夜、アーチはワレス小隊長にすべてをゆるしてしまった。初めての経験には多少の痛みをともなったが、おどろいたことに、それさえも心地よかった。これまでの女の子たちとのことなど遊びにすぎなかったように。


 たぶん、ワレス小隊長がとても、うまかったのだと思う。

 そのことがまたマリクとの口論を思いださせた。同性に捧げてしまったこと、自分がそれに対してこんなにも歓喜する人間だったのだと知ったこと、それやこれやで感極まって、アーチは泣いてしまった。


 ワレス小隊長はそんなアーチを優しくなぐさめてくれた。彼は故郷へ帰れば忘れると言ったが、それが不可能なことはアーチが一番よく知っていた。

 彼を……ワレスを受け入れたとき、何かが自分のなかで変わってしまった。


 ミダスタッチ——


 その手でふれたものを黄金に変えたという王の伝説のように、ワレスのくちづけは黄金よりもっと大きな変化をアーチにもたらした。彼のキスを全身で感じたとき、アーチの体は彼だけを思ってふるえる、そんなふうに造りかえられてしまった。


(あなたに恋人がいてもいい。今夜のこと、忘れたくない)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る