二章 4
明かりを消してベッドに入ってからも、しばらく寝つけない。
ワレスのことを考えまいとすると、今度は廊下で出会ったブラゴール人のことを思いだした。弟に似ていた。名前は、クオリルと言ったか。
家族のことは愛しているが、あまり考えたくない。
思いだすのが、つらい。
——あんたなんて、けがらわしいブラゴール人の子どものくせに!
好きだった女の子に、そう言われたのは、七つのとき。
同じ屋敷に住む二つ年上の
父は貿易商の次男坊。
ブラゴールとの交易なら、ユイラでも五指に入るほどの大きな店で、父は結婚してからも、家業を継いだ兄の手伝いをしていた。
それは父のほうが、伯父よりブラゴール語が堪能だったせいもある。しかし、それより何より、父の明るくさばけた人柄が、ブラゴール人に好かれやすかったからだ。
ハシェドたち一家は、父の実家の敷地のなかに離れを建ててもらっていた。
州都の大公の宮殿への出入りもある店の構えは立派で、召しかかえていた使用人も多い。大勢の人間にかこまれて育ったが、居心地はいいものではなかった。
「ほら、あの子だよ。アリエルぼっちゃんが、ブラゴール女に生ませたっていう……」
「ほんとだ。ちっとも似てない。まったく、むこうの子どもだよ」
「ほかの子どもは、もうちょっと色が白いよ。顔立ちも、ぼっちゃんに似てるしね」
「あの子、ほんとに、ぼっちゃんの子なのかい?」
「さあ、どうだかね。ブラゴール女ってのは、男にさからわないらしいからね」
「ぼっちゃん、だまされたんじゃないのかねぇ。かわいそうに」
ささやかれる陰口が、家のなかのどこにいてもつきまとってくる。
決して、ハシェドを孫と認めない祖母。
祖父は可愛がってくれたが、父と母の仲を正式にゆるしてはくれなかった。
よく言い争っている父と祖父を見た。
「おまえがあの娘を愛しているというなら、それはいい。だが、結婚はユイラ人とするんだ。わが家は長きに渡り、大公家のおかかえだった功績により、特別に准男爵の位をいただいている。家名をよごすまねはできん」
「家名なんぞ、くそくらえ! お父さんが認めてくれないなら、僕は一生、結婚なんてしません。僕の妻はクリシュナだけだ」
「わからずやめ」
「わからずやで、けっこう。お父さんだって、ほんとはモーラおばさんを愛してるくせに! 家名のために愛してもいない母さんと結婚したんだ。僕や兄さんが、泣いてる母さんを見て、どれだけイヤな思いをしたと思う? 正直、父さんを殺したかったよ。僕は僕の妻や子どもに、あんな思いをさせたくない。お父さんに僕を縛る権利なんてない!」
成長してから知ったことだが、祖父にはブラゴールに愛人がいたらしい。家柄を気にして、愛のない結婚をしたのだ。
「ねえ、お母さん。ぼくはお父さんとお母さんの子どもだよね」
眠れない夜には、そう言って母を困らせた。
母はユイラ風の衣服が自分に似あわないことを知っていたからだろうか。それとも、ブラゴール人としての誇りだったのか。いつもブラゴールの衣装で、きらびやかに着飾っていた。
父がブラゴールから持ち帰った、ブラゴール人の信じる女神の絵のように、母は美しかった。
母がハシェドの頭をなでると、たくさんの腕輪がサラサラと優しい音をたてる。
「もちろんよ。ハシェド。あなたは、わたしとお父さまの大切な子ども。なぜ、そんなことを聞くの?」
「だって、ぼく、お父さんに似てないって……」
「それは、あなたがお母さまに似たからよ」
「ぼく、どうして、お父さんに似なかったのかな」
母は泣きだして、幼いハシェドはうろたえた。
「お母さん。お母さん」
「ごめんなさいね。ハシェド。お父さまに似せてあげられなくて」
ブラゴールにいれば、絶世の美女ともてはやされただろうに、母は息子が自分に似ていることをなげく。
「ごめんよ。もう言わないよ。お母さん」
「愛しているわ。ハシェド。ムドゥールもアブラハムも、みんな可愛い子ども。だけれど、あなたが一番、愛しい。あなたが一番、お母さまの子どもよ」
惜しみない父母の愛と、裏腹な他人のさげすみのなかで、ハシェドは育った。
父には従順な使用人も、ハシェドや母には冷たい。ましてや使用人の子どもは、あからさまにハシェドや弟たちをバカにする。
そのなかで、従姉のリメラだけは違っていた。
「ハシェド。台所からお菓子をもらってきたわ。いっしょに食べましょうよ」
「うん。いいよ。でも、リメラ。勉強の時間じゃないの?」
「いいのよ。あんなもの。どうせ、あたしはついで。ヴィクトリーのためなのよ」
ヴィクトリーは伯父の長男。リメラの弟だ。ハシェドと同い年である。
が、面とむかって、ハシェドに「ブラゴール人のおまえなんか、イトコじゃないからな! よるなよ!」と言う子どもだった。もちろん、ハシェドもヴィクトリーのことは嫌いだ。
「だけど、さぼってることがバレたら、また伯父さんに叱られるよ」
「お父さんなんて大嫌い!」
これは、リメラの口グセだ。
でも、ハシェドは知っていた。跡取りの弟ばかりを可愛がる伯父を、口では嫌いと言いながら、ほんとはリメラも、かまってほしいのだということを。
「いいわね。アリエル叔父さんは優しくて。お父さんなんて、いつも怒ってばっかり。女の子のくせにお行儀よくしなさいとか、おまえは誰に似て、そんなにオテンバなんだとか」
「だって、リメラはオテンバだよ」
「言ったわね!」
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