二章 3

 *



 その夜——

 二刻ばかりの読み書きの勉強を終えたあと。

 ハシェドが卓上を片づけていると、ワレスが言った。


「少し、留守にする。もし何か起こったら、食堂わきにある小部屋に来てくれ。朝までにはもどる」


 そう言い残して、部屋を出ていく。

 金色のふさをつけた緑色のマントをはおるワレスのうしろ姿を、ハシェドは見送った。


(隊長。今夜は、あの子のところか……)


 階段をおりていくワレスの足音を聞きながら、ハシェドは扉をしめた。


 アブセスが声をかけてくる。

「小隊長をお一人にしていいのですか? 夜の一人歩きは危険だと思うんですが」


 そんなこと言われても、どうしろというのか。


(ついていくわけにもいかないじゃないか。情事だっていうのに)


 ハシェドはムリに笑った。

「心配することはないさ。建物の外へ出るわけじゃない。さあ、もう寝よう。明かりを消すぞ」


 ワレスのキセルを勝手に拝借して、煙をくゆらせているジョルジュが口をはさんだ。


「あんたたちの生活って、傭兵じゃないみたいだな。正規兵だって、上官の目を盗んで、カードくらいはするぞ。まあ、おかげで、おれは助かるんだが。今年の終わりまでに、たくさん金をためなきゃいけないんでね」


 そう言って、ことんと灰皿に灰を落とすと、ジョルジュはふとんにもぐりこんだ。


 儀礼的に、ハシェドは問いかえす。

「事情があって、皇都を追いだされたってのは知ってるけど、なんでそんなに金がいるんだ?」


 ジョルジュは笑った。


「小隊長から聞いてないのか。妹が結婚するんだ。白の月に。おれの可愛いクラリスが嫁に行っちまうのはさみしいが、ここは兄として、花嫁衣装でも買ってやらなけりゃ。だから、小隊長に女侯爵の後見の話をつけてもらったけど、もうしばらく、こっちにいるんだ。自分のことは、それからでいい」


 ワレスが皇都の貴婦人に、ジョルジュの窮地を救ってやってほしいと手紙を書いたらしいことは、ハシェドも聞いていた。


(後見の女侯爵って、いつもの手紙の人だよな? おれの母親みたいな人って、昼間、隊長が言ってた)


 ジョルジュなら、ワレスが話していた、ジェイムズという男のことも知っているだろうか?


 ハシェドは自分の知らないワレスを知っているジョルジュに、皇都にいたころのことを聞いてみたい気がした。が、やめておく。おかしく思われるかもしれないし、それに、どうせ聞けばヤキモチを妬いてしまう。


 皇都でジゴロをしていたというワレス。

 美しい花のような貴婦人たちの遍歴へんれき


 なのに、なぜ、愛したのは同性の友人だったのだろう?

 以前、ワレスは、どちらかといえば女のほうが好きだと言っていたが。


(そうか。つまり裏返せば、どっちでもいいのか。だから、どちらかといえば、なんだな)


 それは、なんとなくわかる気がした。


 ハシェド自身は、自分が同性を好きになることなんて絶対にないと、つい最近まで確信していたが、ワレスのように特殊な生きかたをしていれば、そんな価値観なんて生まれるはずがない。


 六つや七つで孤児になって、各地を放浪しながら、たった一人で生きてきたのだから。


 あんなに綺麗きれいな子どもが、守ってくれる人もなく一人でさまよっていれば、どんなめにあうかは想像できる。


 ユイラは世界的基準でいえば安全な国だが、それでも強盗もいれば人さらいもいる。

 綺麗な子どもは、さらわれて外国に売りとばされる。ワレスほどの美貌なら、変質者にも目をつけられるだろう。

 むしろ、大人になるまで、ぶじに生きてこられたことのほうが驚愕に価する。


 親に守られた、ふつうの子どもにとってのあたりまえが、あたりまえではない。

“生きる”という、ただそれだけのことに、いったい、どれほどのツライ試練があり、それに対する惜しみない努力が必要だったことだろうか。

 それは言葉に表せないほど苛酷な日々だったろう。


(おれもたいがい、なまじっかの人よりは苦労してきたほうだと思っていたけど、たぶん、隊長はおれなんて比じゃなかったんだろうな)


 今になって、半年前、砦に来たばかりのころのワレスの態度に納得できる。


 砦に来るのは、みんな深いわけのある人間ばかりだ。

 それにしても、ワレスの態度は、なみの傭兵以上に硬質だった。

 世の中に信用できる者など一人もいないのだと、その目が言っていた。生きていくためには、相手を殺すか、自分が死ぬしかないのだとでもいうように。


 あれほどまでに徹底的に他人を排除する者は、砦でもめずらしい。たいていは故郷に愛する家族がいて、貧しさゆえに出稼ぎに来ている者たちだ。


 ワレスはそんな傭兵のなかでも異質だった。


(ずっと、神経をはりつめて生きてきたんだな。隊長は)


 おれの愛は重いとワレスは言ったが、それもとうぜんだ。


 ワレスには生きることじたいが戦いだったのだから、そんな日々のなかで、かるい気持ちで他人を愛することなんてできるはずもない。

 できるとすれば、ワレスの生命を相手にあずける覚悟での愛なのだ。つまり、それだけの信頼を得なければ、愛を受ける資格も持てない。


(どおりで変だと思った。隊長がエミールを本気で愛してるわけじゃなさそうだとは、薄々、気づいてた。だから、カナリーが本命なのかと思ったけど……)


 ワレスのカナリーへの態度は、エミールと同じ。やはり二人に対しては、本人が言うとおり、節操がないだけのことのようだ。肉体的な愛は、ワレスにとっては、もう愛ではないのかもしれない。


(……まだ心は、昔の友人の上にあるのか)


 昼間は気軽に話してくれたが、ふられたから砦に来たというのだから、その想いは生半可なものではない。そうかんたんに忘れられるわけがない。


(同性だから、おれがイヤだとか、そんな単純なものじゃなかったんだな)


 ジェイムズという過去の友人ほどには、まだワレスの信頼を得ていないのだと、ハシェドは思った。


 おれなら、あなたのどんな愛だって、受けとめてみせるのに。あなたが、おれを必要としてくれるのなら……。

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