二章 2


「は、はい! 亡霊のウワサが立ったのは、かれこれ三ヶ月前からです。しかし、前庭の変死ですとか、その……ほかにも、いろいろありましたので……」

「ワレス小隊長は盗人だとかいうウワサだな」


 兵士は困ったように笑う。笑ってから、マズイことしたかなというように、ワレスをうかがいみた。正規兵では、それほど上下関係が厳しいのだろう。


「かまわん。続けろ」

「はい。じっさいに死体が出たのは、今回が初めてです。被害の起こる間隔もひらいておりましたから、それほど大きくさわがれてはいませんでした」

「で、どんなオバケが出るんだ?」


 さきをうながすと、兵士の表情がこわばる。


「壁から女が出てくるというのです。それが、あっというまに近くにいる者をひきこんでしまうのだとか。女ともども壁のなかに消えて、あとには何も残りません」


 ワレスはリリアを思いだした。

 ワレスが砦で見た、ゆいいつの幽霊だからだ。


「どんな女だ?」

「私は見たことがありませんので、なんとも……」

「女の霊……か」


 考えているところに、背後から、すうっと手が伸びてきて、ワレスの首にまきつく。


「わッ」


 おどろいて立ちあがろうとすると、

「ああ……気持ちいい」

 抹香くさい匂いは、ロンドだ。


「きさまか。離せ」

「イヤですぅ……離れません」

「うっとうしいヤツだな。なぜ、そう、おれにベタベタするんだ」

「なぜにとおっしゃるのですかぁ……?」


 答えを聞くのが、妙に怖い。


「いや、いい。ミミズみたいなヤツに好きだのなんだの言われたら、うなされてしまう」


 何がおかしいのか、ロンドはクスクス笑った。やっぱり、気持ち悪い。


「ミミズですか。あれは清潔な生き物ですね。土しか食べません」

「いいから、離せ」


「そのお話なら、わたくしも聞いておりますよ」

「離せと言ってるんだ! この妖怪タコ人間!」と言ってから、ハッとワレスは気づく。


「何を知ってるだって?」

「さきほどの亡霊のお話です。それって、砦に古くからいる霊じゃないんですよね」

「古くからって……どういうことだ?」


 うふふふふと笑って、ロンドは布ごしにワレスのうなじに口をつけてきた。あきらかに体温がさがるほど、ゾォッと寒気がする。亡霊より、こっちのほうが怖い。


「——早く言え!」

「ああーん。どうせ、わたくしは妖怪タコ人間ですからぁ」


 しっかり聞いていたらしい。


「……あやまる。すまない。教えてくれ」


「じゃあ、言いますけど。わたくしは司書ですから、砦の文書は網羅もうらしております。先輩がたからも、こもごもお話をご教授いただいておりますし、文献に残る有名な霊は、全部、知っております。名前も出る場所も、出る原因も。でも、そのウワサに該当する亡霊はございません。霊だとしても、真新しいものでしょう」


 ジョルジュが青くなる。


「やなこと言うなぁ。この砦には、そんなにたくさん……アレがいるのか?」

「それはもう。お教えしましょうか?」と、ロンド。

「ぎゃあッ。やめろ! やめてくれェ!」


 ジョルジュが耳をふさいて、やかましく叫びたてる。

「こっちは見えないんだから、知らないほうがマシだぁー!」


 ロンドは残念そうだ。

「そうですか?」


 ワレスは顔をしかめた。

「おれには、ロンド。おまえのほうが薄気味悪い。おまえにさわられると、なんというか、こう……ゾッとする」


 ロンドはワレスの襟足をさすりながら笑う。


「あたりまえです。わたくし、こうやって、あなたの精気を吸いとっておりますから」

「化け物ッ!」


 思いっきり、ロンドをつきとばす。

 しかし、ロンドは嬉しそうにクネクネしていた。

 ワレスはロンドを無視することに決めた。


「わかった。とにかく、そういうことなら、今夜から泊めてやろう」

「まあ、うれし……」


 無視できなかった。

 言いかけるロンドを、かぶりぎみに制する。


「おまえじゃない。ジョルジュだ」


 指をくわえるロンドのそばで、ジョルジュはホッと安堵する。

「助かる。そうさせてもらうよ」


「ハシェド。寝台が一つあいていたな?」

「はい。みんなの荷物が置いてありますが、すぐにおろします。ふとんは予備が物置部屋に」


「じゃあ、夕方によせてもらうよ」と、ジョルジュは言った。


「ああ。クルウやアブセスにも話しておく。おれがいなければ、勝手に入って休んでくれ——それで、ロンド。反古紙は?」

「あーい。あなたのためですから、特別にィ……」

「あんまり近よるな」

「そんなに離れてると、精気が吸えません」

「吸わなくていいんだ!」


 反古紙をうばいとって、ワレスは文書室から逃げだした。

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