一章 5
ワレスはハシェドに命じた。
「さきに行っていろ」
そして、自分はあともどりして階段をおりていく。
さっき、エミールのことを悪魔、カナリーを天使と誰かが言っていたが、言い得て妙だ。
エミールの赤毛に対して、カナリーの髪はふわふわした綿毛のようなブロンドだ。瞳はあわいブルー。顔立ちも愛くるしい。
「ごめんなさい。ワレスさん」
ワレスは廊下を見まわし、エミールがいないことをたしかめた。
「謝罪はいい。話は手短かにしろ」
言いながら、階段のほうへ引き入れる。
カナリーは恨めしそうに、ワレスをにらんだ。
「約束はどうなったの? このショールがそうだっていうなら、ぼく、返すよ」
盗賊団を捕まえ、事件を解決した手柄により、城主のコーマ伯爵から
だが、二人とも最初は喜んでいたくせに、今になって、カナリーは返すと言うし、エミールはカナリーと同じものなんてイヤだと文句を言う。
正直、ワレスはウンザリしていた。
「約束は約束だ。守るとも。おまえは、いつがいい?」
「そんなお義理で抱いてくれなくてもいいよ」
「おまえは可愛いと思うぞ。その見目なら、おれにこだわらなくとも、いくらでも客はとれるだろう。可愛がってくれる者も多いだろうに」
左右の目の色が違うエミールと異なり、カナリーの容姿は万人に好かれる。食堂の給仕のなかでも一番人気だ。ワレスに執着していることをあからさまにできるのも、そこのところに自信があるからだ。
「ぼくは、あなたを好きなの」
ワレスは嘘をついた。
「かんたんに
「それって、さっき話していた人のこと? ブラゴールに逃げたって」
「聞いてたのか」
説明がめんどうだったので、これ幸いと、うなずいておくことにした。なんといっても、まぎれもなくジェイムズは、かつて愛した人だ。
「ああ。そうだ」
「その人、エミールに似てる?」
「いや、おまえにも、エミールにも、似ていない。あの人は特別だ」
「そのこと、エミールは知ってるの?」
「ああ」
「じゃあ、ぼくとエミールは対等だね。お願い。今夜、来て。今夜は誰もお客をとらずに待ってるから」
「わかった。どこへ?」
「以前の小部屋。食堂よこの。約束だよ?」
「ああ」
カナリーはショールのすそをひらひらさせて去っていく。嘆息して、階段をのぼりかけたワレスは、ギョッとした。二階のあがりはなに、ハシェドが立っていた。
「すみません。聞くつもりはなかったんですが」
どこまで聞かれたのだろう?
「人が悪いな。さきに行っていろと言ったぞ」
「すみません。ウワサを思いだして……」
申しわけなさそうに、ハシェドは頭をかいている。
「ウワサ?」
「昨日、話した、男の死体のことです。たぶん、発見されたのが、このへんだと思うんです。それで隊長に知らせておこうと……すみません」
「べつにいいさ。いつものことだろ」
「おれ、てっきり、隊長の恋人は、いつもの手紙の人だと思っていたので、ちょっと混乱してしまって……」
毎回、ワレスに手紙を送ってくる、皇都の女友達のことを言っているのだ。ワレスが皇都に持つ屋敷の管理などをたのんでいる。
(今でも、ジェイムズが、おれの特別な人だと勘違いしたのか)
まあ、それもいいかもしれない。
ハシェドにはそう思わせておくほうが、ハシェドのためにも、ワレスのためにもいい。
ハシェドの気持ちに応えることは、永遠にできないのだから。
(おまえが、おれの特別な人……)
ワレスは切ない気持ちで、ハシェドを見つめた。
「彼女はおれの母親みたいなものだ。ジェイムズの近況を教えてもらっているんだ」と、嘘をついた。
「そうですか……」
ハシェドの表情が暗く沈みそうだったので、ワレスは急いで話をそらした。
「もういいだろ? 中隊長の暗殺計画を聞かれたというのなら、おれもあわてるが」
「そんな冗談言って、知りませんよ。誰かに聞かれても」
「冗談なものか」
声をそろえて笑ってから、ワレスはあたりを見まわした。
「それで、死体があったのはどのへんだ?」
「おれも、はっきりとは。でも階段のあがりぐちと聞いたので、このへんでしょう」
ボイクド城は古い城なので、階段やあがりぐちは中央がすりへって、わずかだが石がくぼんでいる。
その床に上半身だけの死体が倒れずに立っていたとなると、よほどバランスよく、くぼみにおさまっていたのだろう。
ワレスはそのあたりを念入りに検分した。
「血だまりがなかったというのも、ほんとらしいな。見たところ、新しい血のしみはない。人の仕業でないことだけは、たしかなようだな」
「内塔で起こらなくてよかったですね」
「ああ。行くか」
歩きかけてから、ワレスは妙なことに気づいた。ふたたび、床にひざをついて、ながめる。
「どうしたんですか? 隊長」
「このあとは、なんだろうな?」
階段は窓から離れていて、少し暗い。だから、初めは気づかなかった。
「ここだけ、いやに石の色が明るくないか?」
ちょうど腕くらいの太さだろうか。
床の石畳に丸いあとがある。といっても、切れめがあったり、液体をこぼしたようではない。
ハシェドもワレスのそばにしゃがみこんできた。
「そう言われてみれば、まわりと少し色が違いますね。模様みたいに見える」
こすっても、指につくのは砂だけだ。
「塗料でもないな」
「わかりませんね」
しゃがみこんでいるワレスたち二人に、
「ジャマだ。どけ」
背後から声がかかった。
食堂に近い階段だから、人の通りが多い。
正規兵なのだろう。ワレスの知らない男だ。
ワレスと同じ小隊長のマントをつけ、肩をそびやかして追いこしていく。
「感じの悪い小隊長ですね。まんなかをふさいで、こっちも悪かったけど。いくらでも、よけていけるのに」
ワレスは肩をすくめた。
「どうせ、もう会うこともないさ」
傭兵と正規兵が任務でかかわることは、まずない。
ワレスたちは男のことなど気にもせず、文書室へむかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます