一章 4


 言いすてて、廊下へ出る。

 両手をふっているエミールを残して歩きだすと、ハシェドがつぶやいた。


「……恥ずかしいです」


 ワレスもヤケだ。


「だから、言ったろう? おれは節操がないんだ。寝るだけなら広間の戦神の像とだって寝てやるさ。もう肉体の愛には飽き飽きだ。目下のところ、精神のつながりに興味がある」


 ちろりと、ハシェドを見る。


(もっとも、おまえの体にだけは興味がある)


 と考えて、顔をあげたハシェドと目があったので、ワレスはドキリとして目をそらした。


 ハシェドが口をひらく。


「おれのことを大切な友人だと言ってくださったことは嬉しいですよ。だけど、隊長なら、これまでにも、いくらでも友人がいたんじゃないですか? 学校のころの学友とか」


 それには苦い思い出がある。

 十年以上も前から、ずっと、ワレスの胸の奥にトゲのようにつき刺さった記憶。


 今でも思いだすのが、つらい。

 その記憶から逃れるためにジゴロになり、けっきょくは砦まで流れる要因になった。


(こうして考えると、学校での思い出には、ルーシサスのいない風景はない。おれはあの数年間、つねに、ルーシィのことしか思ってなかったんだな)


 たぶん、これまでの人生のなかで、もっとも深く愛したのは、ルーシィだ。彼の死にかたが特殊だったこともあって、この想いは一生、ワレスをしばり続けるだろう。


 ルーシサスが死んでしまった今となっては、学友なんていないに等しい。みんな、うわべだけのつきあいだったから。

 のちに、ジゴロ時代に再会したジェイムズも、学校時代の記憶のなかでは、あいまいだ。


(ルーシサスを失って絶望していたおれを、ジェイムズが励ましてくれた。そして、ルーシサスを思う気持ちを、そのまま、ジェイムズにぶつけて、重荷に思われ、見限られた。ハシェドを愛したのは、ハシェドがジェイムズに似ているからだ)


 ジェイムズと同じ、人を思いやる心を持っているハシェド。

 また、負担に思われるのだろうか?

 ハシェドにも、いつかは。


 長い吐息とともに、ワレスは答えた。


「……それが不思議といないんだ。おれのまわりによってくるヤツは、男色家か、いかに自分が恵まれた立場かを認識するために、おれを必要とするか、自分より強い個性の下に逃げこんで、自分を守ろうとする弱虫かのいずれかだった。ほんとに心をゆるせる友人は、ほんの二人」


「ほら、いるじゃないですか」


 ハシェドをふりかえると、さびしげな表情をしていた。

 そのおもてを下からすくいあげるように、のぞきこむ。


「一人は死んで、一人はおれを見すてて逃げた」


 ハシェドが返答に窮する。

 ワレスは続けて言う。


「まあ、両方、おれが悪かったんだけどな。おれの愛は重すぎるらしい。まともに受けとめようとすると、常人には、そんなふうにしか応えられない。おまえもそうなりたくなければ、今のうちに逃げておくべきだ」


 ハシェドは憤然とした。


「バカにしないでください。そんな脅し、ききませんよ」

「おれがこんなふうに言ってるうちに、自由になっておくべきなんだがな。きっと、おまえは後悔する」

「後悔なんてしません」


「ジェイムズがなんで、おれから逃げだしたか、教えてやろうか? ジェイムズを許嫁いいなづけにとられたのが悔しくて、泥酔させて、ベッドにひきずりこんだんだ。翌朝、ほうほうのていで帰っていったアイツは、そのまま別れも告げずに、ブラゴールへ旅立った。今ごろはまだ、大使の任期中だ」


 一瞬、ハシェドはなんと言っていいのか困惑するように、さまざまな表情を見せた。口をパクパクさせて頭をかかえたあと、うなり声をあげて、笑いだす。


「そりゃ、隊長がいけません! だって、友人でしょ? そんなの反則だ」

「そう。だから、反省して砦に来た」

「屈折してるなぁ。でも、隊長らしい」


「おまえも笑っていられるのは今のうちだぞ。そのうち、どうなっても知らないからな」

「やめてくださいよ。からかうのは」


 ハシェドは赤くなって視線をさまよわせていたが、急に大きな声をあげる。


「あ、ちょっと、あんた!」


 かけだしていくので、ワレスも歩いて、そのあとを追う。


 これから食堂へ行くようすのブラゴール人が二、三人、こっちへむかってくる。

 ハシェドはそのブラゴール人たちにかけよっていく。が、近づくと、急にまた笑いだした。早口のブラゴール語をまくしたてる。


「違った。人違いだ。そりゃそうか。すまない。弟とまちがえた。こんなとこにいるわけないのに」


 廊下のさきに大きな明かりとりの窓があり、逆光になっていて、ワレスからはブラゴール人たちの顔は見えない。ハシェドに答える声だけは聞こえた。


「いえ、かまいません。分隊長のマントをしているね。あんた」

「おれは、ハシェド。第四大隊、ワレス小隊のハシェドだ」

「おれは第三大隊のクオリル。よろしく」

「クオリルか。変わった名前だな」


 ハシェドは彼らと別れて、ワレスのところへ帰ってきた。そのあとをゆっくり歩きだして、ブラゴール人が三人、ワレスの前を通っていった。


「おどろきました」と、ハシェドは言う。

「なにしろ、故郷にいるはずの弟によく似ていて」

「弟か」


 それなら、今のブラゴール人、もっとよく見ておくべきだった。ハシェドのことなら、なんでも知りたい。


「ええ。上の弟です。父親に似てハンサムなんですよ。もちろん、隊長ほどじゃないですが」

「バカ。世辞はいい」


 エミールにしたのと同様に、ハシェドの頭もコツンと指でたたく。ハシェドはてれたようだ。


「……隊長。文書室に行きますか?」

「ああ」


 本丸に来たのだから、ついでだ。

 ワレスたちの宿舎の内塔へは帰らず、そのまま、文書室へ反古紙をもらいに行くことにする。二階への階段をのぼりかけたところで、うしろから声がした。


「ワレスさん」


 甘くて可愛い少年の声。

 カナリーだ。

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