第72話 黒いコートの女騎士
『メディカルセンター』の地下でエレベーターを降りた俺たちが目にしたのは、弾痕だらけの壁と散乱したスクラップの破片だった。
「こりゃあひどいな」
本来ならミハイルが仕切っているはずの空間が滅茶苦茶に荒らされ、ミハイルの姿はどこにも見えなかった。
「こうなったら施設の内部に侵入するしかないな。……キャサリン、俺から離れるな」
俺はキャサリンにそう言い置くと、施設に通じる階段を上り始めた。扉そのものがAPだという入り口にも生命の気配はなく、俺は思い切ってキャサリンと共に『メディカルセンター』に足を踏みいれた。
扉の向こうはエレベーターホール同様に人の気配がなく、不気味に静まり返っていた。
「おかしいな。職員の気配すらないというのは」
俺が警戒を強めつつ廊下を進み始めると、キャサリンが「待って」と俺を呼び止めた。
「どうしたんだ、キャサリン」
俺が足を止めて振り返ると、キャサリンが下げていた鞄から黒い影が飛びだし、俺の肩に飛び乗った。
「……なるほど、敵が現れたら即座に応戦しろってことか。わかったよ、姑娘」
俺は姑娘を肩に乗せたまま、再び廊下を歩き始めた。
俺の耳が重い物の倒れるような音を捉えたのは、巨大な処置フロアの入り口前を通りかかった時だった。
――何だ?
俺は足を止め、処置フロアの入り口である引き戸を開けた。室内に入った俺の目に最初に飛び込んできたのは、フロアのそこかしこで山をなしているマネキンの手足だった。
「なんだこれは……ひどい虐殺の後みたいだ」
俺とキャサリンが周囲に気を配りながら進んでゆくと、フロアの真ん中あたりでパーティションに囲まれた処置ブースから、人影が床に倒れこむような形で姿を現すのが見えた。
「――ミハイル!」
血と油にまみれた無残な姿で目の前に倒れ伏していたのは、紛れもなくミハイルだった。
「どうしたんだ、その身体は?」
ミハイルの車椅子型下半身は、車輪と駆動部を失って電子機器とちぎれたケーブルが露わになっていた。
「見ての通りじゃよ。わしと下半身とでマネキンたちを迎え撃ったのさ。相撃ちにはなったが、わしとしてはよく戦ったほうじゃよ」
「その身体じゃあ、動くこともできないだろう」
「まあな。連中の狙いが『阿修羅』と知って、年甲斐もなく騎士を気取った挙句がこのざまじゃ…ううっ」
ミハイルが激し苦咳き込むと、下半身のちぎれたパイプから黒い液体がごぼっと溢れた。
「教えてくれ『阿修羅』はどこだ?」
「『夜叉』が『チップマン』を連れて自分に会いに来たと聞いて、探しに行ったそうだ。無事に会えたかどうかはわからんがな」
ミハイルはそこまで言うと、再び激しく咳き込んだ。
「大丈夫か、ミハイル」
俺が崩れそうなミハイルの身体を抱き起こそうと身を屈めかけた、その時だった。
ふいに長く冷たいものが俺の首に巻きつき、すさまじい勢いで絞め上げ始めた。
「……ぐうっ」
立ちあがって振り向くと、口から伸縮性のカーボンロッドを伸ばしたマネキンの姿が見えた。ロッドの力は凄まじく、俺は気道を塞がれ一瞬で呼吸の自由を奪われた。やがて目の前が暗くなり、両肺が酸素を求めて激しく喘ぎ始めた。
「ぐああ……あっ」
俺が辛うじて上げた腕の上で仔猫がブラスターに変形を始めた、その時だった。轟音とともにマネキンの首から上が吹っ飛び、あたりが煙に包まれた。
「――なんだっ?」
マネキンが床に崩れ、俺は激しく咳こみながら煙の中で揺らいでいる人影に目をやった。
「まったく成長してないのね、坊や。碌に準備もせずに来るからこういう目に遭うのよ」
「……夜叉!」
俺の前に立っていたのは、ばかでかいプラズマライフルを携えた黒づくめの女――夜叉だった。
「あんたも『阿修羅』を探しに来たのか」
俺が尋ねると夜叉は長い黒髪を手で払い、含み笑いをしてみせた。
「探す必要なんてないわ。私には『阿修羅』がどこにいようとすぐわかる。私はあの子が『チップマン』を必要としていたから、届けに来ただけ」
「『チップマン』を必要としていた?どういうことだ」
「あの子が『付喪』を倒すのに『チップマン』の助けがあったほうがより、楽に戦えるってことよ」
夜叉はそう言うと、いきなり「伏せなさい坊や!」と叫び、ライフルを撃った。轟音と閃光が間近でさく裂し、俺は思わずその場にしゃがみこんだ。
「いきなり何をするんだ!」
俺が抗議すると、夜叉は涼しい顔で「後ろを見なさい」と言った。俺がこわごわ振り返ると、背後で顔面を吹き飛ばされたマネキンが仰向けに倒れようとしていた。
「このライフルはあなたのブラスターの何倍もの威力があるわ。ここは私に任せて、あなたは二人と合流なさい。取り返したい物があるんでしょ?」
「見くびってもらっちゃあ困るな。俺のブラスターだって出力を最大にすれば、戦車くらいは吹っ飛ばせるんだぜ」
「それはできないわ。……あなたの大事なお友達に負荷ががかかるようなことを、あなたは決してしない」
夜叉はなにもかもお見通しと言わんばかりの口調で言い放った。
「……まいった、降参だ。で、二人はどこにいる?」
「F2フロアの集中治療室。彼女にとってもっとも戦い易い場所よ」
俺ははっとした。確かキャサリンとレディオマンが囚われていた部屋ではないか。
「わかった。行ってみる。『阿修羅』が苦戦するようなら、俺が代わりに『付喪』を倒す」
俺が言い放つと夜叉は一瞬、虚を衝かれたようになり、それからふっと笑みを浮かべた。
「……好きになさい」
俺は再びライフルを構えた夜叉に別れを告げると、キャサリンと共にその場を離れた。
〈第七十二回に続く〉
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