第73話 私を故郷に連れていって


 F2フロアにたどり着いた俺たちは治療室へ続く廊下を前に立ちどまり、周囲の気配をうかがった。不気味に静まり返った廊下は逆に俺の警戒心を掻き立て、俺はキャサリンを促すと、慎重な足取りで奥へ進んでいった。


 集中治療室の前につくと、俺たちはいったん足を止めて中の気配をうかがった。戦闘が行われているような音は聞こえず、俺は意を決してドアの取っ手に手をかけた。


「いくぞキャサリン。十分注意しろ」


「……怖い」


 俺ははっとした。今までマネキンの襲撃にも取り乱さなかったキャサリンが、唇を小刻みに震わせていた。


「何が怖いんだ、キャサリン」


 俺が尋ねるとキャサリンは「わからない」というように黙って頭を振った。


「この部屋に拘束されていたんだから、怖いのはわかる。でもこの先に行かないと君の『心』を取り戻せないんだ」


 俺はキャサリンを宥めると、思い切って扉を開け放った。中に足を踏み入れた俺の目に最初に映ったのは、中央の施術台の上に仰向けに横たわっている人物の姿だった。


「……チップマン?」


 見覚えのある風貌に俺は思わず名前を呼ぶと、施術台に近づいていった。


「……チップマン、聞こえるか?俺だ、ピートだ」


 目を閉じたまま微動だにしない人影に向かって呼びかけると、ふいにどこからか「その人なら大丈夫です、生体チップの情報を消去して二度と起動しないようにしました」と声がした。


 はっとして顔を上げると、施術台を囲んでいる大型機器の陰から白衣に身を包んだ人影が姿を現した。


「――あんたは」


 俺は目の前の相手が誰であるかを一瞬で理解した。俺のよく知っている人物と同じ顔だったからだ。 


「あんたが『阿修羅』か」


「あなたはピートさんですね?『夜叉』から噂はかねがね聞いています」


 俺は重要なことを思い出し、ポケットから取りだしたある物を『阿修羅』に差し出した。


「ベティという女性から、あんたに渡すようにと預かった物だ」


 俺はそう言って『阿修羅』に『再生弾』を手渡した。


「……ありがとうございます。これで『付喪』を静かな状態に戻すことができます」


「あんた、本当に奴を相手にするつもりなのか?」


「ええ。今日しか機会はありません。今、この機会を逃せば『付喪』は『ノーバディ』になり代わってこの街のすべてを手中に収めるでしょう」


「その『ノーバディ』ってのはいったい、なんなんだい?」


「説明しても理解するのは難しいと思います。『ノーバディ』の実態を理解するには『スメールビル』の最上階に赴いてじかに会うしかないのです」


「そうか。……まあいい、俺は『付喪』の手からキャサリンたちのディスクを取り戻せさえすればそれでいい」


 俺が自分に言い聞かせるようにそう呟いた時だった。ふいにキャサリンがその場にしゃがみこみ、身体を震わせ始めた。


「大丈夫?」


『阿修羅』が近づいて声をかけるとキャサリンは「もう少し……あと少しだけ時間が欲しい」と呟いた。するとキャサリンのその声に反応するかのように、施術台の上の『チップマン』が身じろぎし、むくりと上体を起こした。


「――チップマン!」


「あ……『阿修羅』……私の『チップ』は?」


「安心して。永久に起動しないようにしたわ」


「では『付喪』の弱点は……」


「それもちゃんとこちらで保存したわ。『付喪』の弱点は……」


 『阿修羅』がそこまで言った時だった。凄まじい音と共に壁の一角が破壊され、外の様子が露わになった。穿たれた穴の向こうに現れた物体を見た俺は、思わずあっと叫び声を上げていた。四階の建物とほぼ同じ大きさのそれは、『月弓荘』で俺とキャサリンを襲った巨大APだった。


「お招きに預かり光栄です『阿修羅』さん」


 巨大APが伸ばしたアームの先端に立ってこちらを見ているのは『付喪』だった。『付喪』はアームの先からひらりと建物の方へ飛び移ると「全員、私と一緒に来ていただきます。……それとも、ここで命を落としますか?」と言い放った。


「笑わせるな」


 俺がブラスターを構えようと右腕を上げた瞬間、『付喪』の指から放たれた爪が回転しながら俺の脇を掠め、切り裂かれたポケットからウォーキーが床に転がり落ちた。


「ウォーキー!」


「……痛た、だ、大丈夫だぜ親分」


 俺が膝をついた状態で身構えると、『付喪』は「まだご自分の立場がよくわかっていないようですね」とせせら笑った。


「……『付喪』さん、残念ですがあなたを初期化します」


 はっとして声のした方を見ると、いつの間に出したのか『阿修羅』が、『付喪』に向けて拳銃を構えていた。


「ほほう、面白い。それを私に撃ちこんだとして、果たして効果がありますかな」


 銃を構えたまま微動だにしない『阿修羅』に『チップマン』が「『付喪』の弱点は……」と言いかけた、その時だった。外のAPが放った巨大な爪が『チップマン』の身体を捉えたかと思うとそのまま後ろの壁に運び、凄まじい力で押しつけた。


「ぐああっ……」


 内臓を圧迫された『チップマン』の顔面はみるみるうちに白くなり、今にも気を失いそうな表情になった。


「まずはあなたから来ていただきましょうか『阿修羅』さん」


『付喪』がそう言い放つとAPのアームが室内へ伸び、『阿修羅』に迫った。


「……ここが私の『お城』だという事をご存じないようね、哀れなお人形さん」


「……どういう意味です?」


『付喪』の目に訝るような光が宿った瞬間、『付喪』の両脇の医療機器から無数の細いアームが伸び、身を引こうとした『付喪』の自由をあっと言う間に奪った。


「……ぐっ」


「あなたの弱点は『くるぶし』よ」


『阿修羅』がそう言い放つとアームの一つが『付喪』の右のくるぶしを挟んだ。


「や……やめろっ」


 アームの爪がくるぶしの骨を押した瞬間、足首とふくらはぎの間が開き、隙間から内部の配線が覗いた。


「……そこね」


『阿修羅』がそう口にするのと同時に銃声が響き、『再生弾』が『付喪』の足首に命中した。


「ぐああっ」


 叫び声とともに『付喪』の身体のいたるところに継ぎ目が現れ、火花が散り始めた。


「今だっ」


 俺がエネルギー弾を立て続けに見舞うと継ぎ目が火を噴き、『付喪』の顔面が溶け始めた。


「私に立てつくとは……愚かな下級AP共だ」


『付喪』が膝から床に崩れるとポケットから数枚のディスクこぼれ、あたりに散らばった。


「――ディスクだ!」 


 そう叫んで駆け出そうとした俺に、『チップマン』を捉えていた爪が襲いかかった。爪は逃れようとする俺の動きを読んだかのように足を挟みこむと、床の上に引き倒した。


「……しまったっ」


 どうにか体勢を立て直そうともがく俺の耳に、ふいにウォーキーの声が飛びこんできた。


「親分、再生スイッチを入れてくれ。ヴォリュームはフルで」


 声のした方に顔を向けると、すぐ傍の床にウォーキーが転がっているのが見えた。俺はウォーキーを拾いあげて再生ボタンを押し、ヴォリュームを最大にした。するとウォーキーのボディから聞き覚えのあるメロディが流れ出し、同時にアームの動きがぴたりと止まった。曲はいつかの倉庫でレディオマンがかけた『星に願いを』だった。


「……そうか、この曲は重機型のAPをおとなしくさせる曲だったんだ」


 俺はアームの爪から逃れると、「助かったぜ、ウォーキー」と礼を言った。俺は『付喪』の傍に歩み寄ると、ディスクを拾いあげた。


「大事な仲間たちの『心』、確かに返してもらったぜ」


 俺がそう言って機械が露わになった『付喪』の頭部を見下ろした、その時だった。


「……メヲサマセ、オロカモノ」


 抑揚のない声が機械の頭部から漏れ出すと同時に、巨大APのアームが鎌首をもたげた。


「なにっ」


 振り向いた俺の目に、先端を閉じた爪が回転しながら襲いかかって来るのが見えた。


「――危ない、ピート!」


 尖った爪が目の前に迫るのを見た直後、誰かが俺を勢いよく突き飛ばした。


「きゃああっ」


 尻餅をついた状態で振り返った俺が見たのは、巨大な爪に身体を貫かれているキャサリンの姿だった。


「――キャサリン!」


 俺が悲鳴に近い叫びを上げた次の瞬間、APから伸びた二本のアームが『付喪』と『阿修羅』の身体を捉えていた。不意を衝かれた『阿修羅』の手から拳銃が落ち、アームはそのまま有無を言わせぬ力で『阿修羅』の身体を建物から引きずりだし、AP本体の中へと運び去った。


「くくく……『阿修羅』を助けたければ『スメールビル』に来い」


 アームに掴まれ空中に持ち上げられた『付喪』が、機械の顔であざ笑うように言った。


「……しまった、遅かった!」


 突然、背後で聞き覚えのある声が響いたかと思うと、プラズマライフルの弾が巨大APに撃ちこまれた。


「夜叉!」


 強力な攻撃を食らったAPは一瞬、のけぞるような動きを見せた後、ゆっくりと向きを変えて逃げ始めた。


「逃がさん!……くっ、エネルギー切れか」


 夜叉は何度もライフルのリロードを試みた後、力尽きたようにがくりと項垂れた。


 俺は腹に穴の開いたキャサリンを抱き起こすと、何度も名前を呼んだ。


「キャサリン……キャサリン、頼む、死なないでくれ」


 俺が必死で呼びかけると、やがてキャサリンがうっすらと目を開いた。


「ピート……大丈夫『キャサリン』は無事よ」


「どういうことだ?」


「ごめんなさい……今まで黙っていたけど、私はキャサリンの『本体』じゃないの。あなたが『サンクチュアリ』から助けだしてくれた後、キャサリンの『本体』はずっと私の中でお休みしていたの」


「じゃあ……君はキャサリンの『身体』の方なのか」


「そう……『入れ物』にすぎない私にも、バックアップのための思考回路がついている。あなたと過ごすうちに、もっと一緒にいたいという気持ちが芽生えたのを『本体』が気づいた。そして「ピートがあなたといる時はあなたが『キャサリン』よ」と言ってくれたの」


「そうだったのか……」


「だからこの身体が死んでも、キャサリンは死なない。『本体』を私から外せばいいだけ」


「駄目だ、『入れ物』だろうとなんだろうと、俺にとってはどちらもキャサリンだ。頼む、お願いだから死なないでくれ、キャサリン!」


 俺が泣き叫びながらすがりつくと、キャサリンは瞳にうっすらと微笑みを浮かべた。


「ありがとうピート。私、生まれてきてよかった。あなたと一緒にいられてよかった」


 笑顔でそれだけを告げると、キャサリンは静かに目を閉じた。同時にキャサリンの首筋にあるハッチが開き、モーター音と共にキャサリンの『本体』がゆっくりとせり出した。


「こんなのってあるか……どうして俺の前からいっちまうんだ、キャサリン」


 俺が泣きじゃくっていると、背後から歩み寄ってきた夜叉が「これでよかったのよ」と言った。


「何がよかったというんだ。死んじまったんだぞ、キャサリンの『身体』は」


 俺がこれ上ないほどの憎悪の視線を向けると、夜叉は頭を振って「あの子は故郷に還ってきたのよ」と言った。


「あの子はこの部屋で造られ、役目を果たして帰ってきたの。ここで死なせてあげなさい」


 俺は夜叉の説得に力なく頷くと、キャサリンの『身体』を施術台の上に寝かせた。すると周囲から無数の細いアームがキャサリンに向かって伸び、腹の穴を塞ぐ作業を始めた。


「そうか……みんな、キャサリンの仲間なんだな。せめて綺麗な姿で逝かせてやってくれ」


 俺は夜叉の方に向き直ると「俺は『阿修羅』を救出に行く。ディスクは戻っても、こんな半端な気持ちのまま街に戻るわけにはいかない」と言った。


「そう。……ありがとう、ピート。私も後から行くわ。『スメールビル』で会いましょう」


「やっと呼び名が『坊や』からピートになったか。俺も少しはましになったというわけだ」


 俺が精一杯の皮肉を口にすると、夜叉は「ほんの少しだけね」とわずかに口元を緩めた。


              〈第七十四回に続く〉

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