第70話 天国に一番近い生物
「ひどい……いったい何があったというんだ」
地下の広場に戻った俺が真っ先に目にしたのは、あちこちで蹲って呻いている負傷した人々と、その傍らで半ばスクラップと化して哀れな姿をさらしている無数のAPだった。
「本当にひどい……地下の街がこんな風に荒されるなど、あってはならないことです」
弥勒が普段は無表情に近い端正な顔を、苦悶に歪めながら言った。
俺はかろうじて商いを続けている薬売りの女性に「なにがあったんです」と尋ねた。
「私にもわからないよ。いきなり身体のあちこちから機械をはみ出させた連中が現れて、人や機械たちに見境なく危害を加え始めたんだよ」
俺は薬売りの話にふと、『メディカルセンター』で見た『アートマン』を思い浮かべた。
「自警団が慌てて出動したけど被害があっと言う間に広がって、半日足らずでこの有様さ」
「弥勒、どう思う?機械と人間が融合した奴らと言ったら『アートマン』だと思うんだが」
俺の問いかけに弥勒は珍しく首をひねった。
「しかし『アートマン』が人や機械に危害を加えたという話は聞いたことがありません」
「たしかに、こんな野蛮な真似をする連中には見えなかった……よし、セルゲイに会って聞いてみよう」
俺は市場の女性に礼を述べると、上級APや『阿修羅』について詳しい情報を持っていたセルゲイの工房へと足を向けた。見覚えのある工房のドアをくぐった俺は、作業台に肘をついてうかない表情をしているセルゲイを見て、はっとした。
「セルゲイ……その怪我は?」
頭に包帯を巻いたセルゲイの痛々しい姿を見て、俺は一瞬、言葉を失った。
「見てのとおりだよ。うちのAPたちをいかれた『アートマン』から守った結果がこの、名誉の負傷というわけだ」
「なぜ『アートマン』が暴走を?」
「人間の心とAPの心を一つの身体でうまく共有できず、身体の取り合いになったからだ」
「身体の取り合い……」
「互いを敵だと思いこみ、混乱した『アートマン』は凶暴化し、人間を襲ったかと思うと次はAPを襲う……というでたらめな行動をとるようになった。まさか地下までやってくるとは予想もしていなかったが」
「ここの次は『メディカルセンター』というわけですか」
「それはまた別の連中だ。奴らは『阿修羅』を探している」
「奴らというと『付喪』の部下ですか」
「そうだ。奴らには『阿修羅』と『チップマン』を拘束しなければならない理由がある」
「その二人が『付喪』の命取りになるから……」
「それだけではない。『付喪』はこの街全体を支配する存在『ノーバディ』にとって代わろうとしているのだ」
「なんです?その『ノーバディ』というのは」
「『スメールビル』の最上階にいる生き物……人間でも機械でもない、第三の存在だ」
「『アートマン』じゃないんですか」
「違う。元々、治安当局は人間と巨大なコンピューターによって管理されていた。だが上級APが現れて人間を追いだした後、人間と機械の両方を理解できる新たな生命体を作りだし、管理者としてビルの最上階に据えたのだ」
「それが『ノーバディ』……?」
「まず彼らは人間の細胞を元に疑似細胞をこしらえ、培養した。そしてその人工生物をコンピューターと接続した。こうして人間でも機械でもなく、意志も持たない生物が産まれた。『チップマン』は自ら志願して『ノーバディ』のサポートを行った最初の人間だ。そして『阿修羅』は『ノーバディ』のメンテナンスを行える唯一の人間なのだ」
「それに『付喪』が取って代わろうとしているということは……つまり最上階にいる『ノーバディ』を破壊しようとたくらんでいるということですか」
「そういうことだ。『付喪』はAPにとっての神である『創造者』と『ノーバディ』が会話できると思いこんでいる。奴の望みは自分が『創造者』から『ノーバディ』の後継者として認められることだ。そのためには『阿修羅』『チップマン』そしてあんたの力が必要なのだ」
「どうして俺が……」
「それは『付喪』か『ノーバディ』に直接、聞くのだな」
俺が思わず唸った、その時だった。工房に見覚えのある顔が現れ、俺の名を呼んだ。
「ピート君、ベティが君と話したいと言っている。ちょっと来てくれないか」
手招きしながら俺にそう呼びかけたのは、クリスだった。
「わかった、すぐ行く」
俺は即座にそう答えると、セルゲイに一礼して工房を出た。クリスが俺を誘った先は以前、ジェイコブたちと打ち合わせをした会議室だった。
「ベティが君に何か頼みたいことがあるようだ。……こういっては何だが、彼女は非常に優秀な助手だ。できれば危険にに巻きこむような事は避けてくれないか」
神妙な顔つきで懇願するクリスに俺は「もちろん、そのつもりだ」と返した。中に入るとベティがこちらに顔を向け、「すみません、わざわざ」と頭を下げた。
「何か頼みたいことがあるようですね。でも俺にできることなんてたかがしれてますよ」
俺があらかじめくぎを刺すと、ベティは当惑したように眉を寄せた。
「ピートさんは『阿修羅』さんを探してらっしゃるんですよね?実は私があのアパートを訪ねたのも『阿修羅』さんに会うためだったんです。私が以前『メディカルセンター』に勤務していたとき、機械に適応できない人間の患者さんが多くいらっしゃいました。どう接してよいか戸惑っていたわたしに、『阿修羅』さんは機械が物事をどう捉えるかを噛み砕いて説明してくれました。それからずっと、あの方は私の憧れなんです」
「しかし『阿修羅』は今、居場所を頻繁に変えている。そうまでして追う必要があるんですか?」
「近頃、『上級AP』とかいう人たちが『阿修羅』さんを追いかけているって聞いて、どうしても会いたくなったんです」
「あの店に現れた連中を見たでしょう?追うのはいいが今は危険すぎる。止めた方がいい」
「……わかりました。ではせめて、もし『阿修羅』さんに会うことがあったらこれを渡してくれませんか」
そう言ってベティが俺の前に差し出したのは、先端に短い針がついた弾丸型の物体だった。
「これは昔、私が『阿修羅』さんから預かった『再生弾』です。これで撃てば「邪な魂が生まれ変わる」のだそうです。『阿修羅』さんはこれを私に託した時、「場合によってはすべての機械たちを初期化することも厭わない」と思い詰めたような表情で打ち明けてくれました。
私もできれば、誰よりも機械の心を理解している『阿修羅』さんにそんなことをさせたくはありません。……でも『上級AP』に『阿修羅』さんを殺されるくらいなら、いっそすべての機械を生まれた状態に戻した方がいい。そう思ったのです」
「そうか、わかった。これは預かっておくよ。『阿修羅』がメディカルセンターにまだいるかどうかはわからないが、仮に『スメールビル』に行っていたとしても、必ず探し出してこの『再生弾』を渡すつもりだ」
俺がそう告げると、ベティは「ありがとうございます」と両手で顔を覆って泣き崩れた。
〈第七十一回に続く〉
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