第69話 脱出口に進路を取れ


「――危ない、キャサリン!」


 俺がキャサリンを抱えたままもつれるように転がると、俺たちのすぐ近くでアームの一つが爪を合わせる音が聞こえた。


 ドアの穴から覗いているAPの姿は二本の尖塔を持つ石造りの古風な建物だった。だが、そのアーチ形の窓からは禍々しい爪のついた多関節アームが伸び、俺たちのいるアパート以上の巨躯にもかかわらず、建物全体が『美趣仁庵』と同じAPであることをうかがわせていた。


「ピートさん、私があのAPを引きつけている間に、助手さんと一階に逃げてください」


「あんたはどうするんだ」


「どうにかして時間を稼いだ後、あなた方と合流します」


「馬鹿なことを言わないでくれ。助けてもらった恩人を見捨てろって言うのか?」


「ご心配には及びません。勝てないまでも、そうやすやすとやられる私ではありません」


「――わかった、くれぐれも無茶はしないでくれ」


 俺は弥勒に後を託すと、キャサリンとと共に入り口近くの死角へと移動した。俺たちの姿が消えたことに業を煮やしたのか、二本のアームは伸び縮みしながら部屋の中へ代わる代わる侵入すると、爪をがちがちと鳴らしながらでたらめな動きを見せた。


「狙うならこっちだ。……だが、やみくもに襲うだけではこの私は倒せぬぞ」


 弥勒はそう言い放つとアームの付け根にショットガンを見舞った。次の瞬間、アームの接合部で火花が散り、のたうつアームの爪先が鳥籠を直撃した。


「しまった!」


 弥勒が叫ぶのとほぼ同時に壊れた籠から『ガルダ』が外に飛びだすのが見えた。『ガルダ』はアームの動きをかいくぐるように飛ぶと、たちまちドアの外に姿を消した。


「……キャサリン、次にあの腕が引っ込んだら、一緒に外へ飛びだすぞ」


 俺がそう囁くと、キャサリンは室内で暴れるアームを見つめながらこくんと頷いた。


「どうした上級APとやら。私はここだぞ」


 弥勒が挑発するように叫ぶと、攻撃を仕切り直すかのようにアームが引っ込められた。


「よし、今だキャサリン!」


 ドアの穴から飛びだした俺たちは山のようなAPを横目に外廊下を駆け抜けると、一心不乱に階段を駆け下りた。


「店の中を横切って裏の通りに抜けよう。そうすれば敵は迂回せざるを得なくなる」


 俺は店内に通じるドアを開け放つと、キャサリンと共に飛び込んだ。カウンターの外に出ると、マネキンたちが折り重なるフロアでベティが放心したように立ち尽くしていた。


「さっきの音……なにがあったんです?」


「裏通りに巨大APが現れたんだ。今、弥勒が時間稼ぎをしてくれている。君も俺たちと一緒に地下へ逃げるんだ」


「『阿修羅』さんは?」


 ベティは不安げな表情のまま、天井を見上げた。どうやら『阿修羅』に会いにこの店までやって来たらしい。


「ここにはいない。いったん地下に戻って出直すんだ」


「弥勒……さんは?」


「地下で合流する。……ウォーキー、案内を頼むぜ」


 俺はヘッドフォンを外すと、ポケットからウォーキーを出して床の上に置いた。


「合点だ、親分!」


 ウォーキーは威勢良く返すと、戸口の方に向かって駆けだした。


「俺たちも行こう。あのテープレコーダーが、地下への入り口まで案内してくれるはずだ」


 俺たちは連れ立って店を出ると、ウォーキーの後を追って通りを駆け始めた。映画館のある路地の前を横切ると、マンホールまでは一直線だった。


「頑張れ、あと少しだ」


 ひと足先にマンホールに辿りついたウォーキーが小さな身体で蓋を開けるのが見え、俺たちは安全圏に到着したことを確信した。


「さあ、ついてきな。ちょっとばかし薄暗いが、なに、すぐ慣れるって」


 ここからは俺の縄張りだと言わんばかりに鼻を鳴らすと、ウォーキーは穴の中に姿を消した。俺はベティとキャサリンに先に行くよう促し、二人が相次いで穴に入るのを確かめて背後を振り返った。通りに弥勒の姿はなく、俺は焦れて立ったり屈んだりを繰り返した。


 ――弥勒、悪いが先に行かせてもらう。怪物と遊ぶのはほどほどにして、早く来いよ。


 俺が待つことを断念し、マンホールに飛び込もうとした、その時だった。轟音とともに一区画ほど先の小さな店が破壊され、瓦礫を押し退けながら巨大APが姿を現した。


「――弥勒!」


 巨大APに目を向けると、アームの上に乗った弥勒がバランスを取りながら本体を狙い撃ちしているのが見えた。俺はなんとかして加勢する手立てはないか思案した。が、やみくもにアームを振り回す敵と、その上で死闘を繰り広げている弥勒を助ける方法は見当たらなかった。


 ――いくら元殺し屋の弥勒でも、このままじゃ振り落とされて一巻の終わりだ。


 俺が己の無力さを噛みしめた、その時だった。足元に黒い仔猫が現れたかと思うと俺の身体を駆け上り、右腕に手足を巻きつけた。


「……姑娘!いくらお前でも一撃であのデカブツを倒すのは無理だ」


 俺がそう語りかけると黒猫の尻尾が大きく曲げられ、巨大APの方を向いた。尻尾の先に目をやった俺は、そこにある物を見てはっとした。尻尾が示していたのは、二本の尖塔を繋ぐ棟の上にある翼の生えた魔物像だった。


「あの中にアームの制御回路があるって言いたいのか?」


 俺が尋ねると、黒猫は「にゃっ」と鳴いた。


「よし姑娘、APのことはAPに任せろだ。お前の勘を信じるぜ」


 俺が右腕を上げて中央棟の魔物像に狙いをつけると、腕の上で仔猫がブラスターに変形した。弾のチャージが完了すると同時に魔物像がロックオンされ、俺は引鉄を引いた。


「――南無三!」


 エネルギー弾が魔物像の頭部を砕いた瞬間、それまで狂ったような動きを見せていたアームがだらりと下がり、バランスを崩した弥勒が転げ落ちるのが見えた。


「――弥勒!」


 空中に放りだされた弥勒の身体は地面の上を二、三度跳ねた後、勢い余ってガードレールに激突した。俺は煙を上げる巨大APを無視して駆け出すと、ぐったりしている弥勒の身体を抱き起こした。


「大丈夫か、弥勒」


 俺が耳元で叫ぶと、弥勒はうっすらと目を開け「大丈夫です。私は古い機械ですからね。見た目よりも頑丈なはずです」と言った。


「よし、敵の動きか止まっている今のうちに、地下に逃げよう。歩けるか?」


「あそこのマンホールですね?たとえ片足をもがれたとしても辿りついてみせますよ」


 弥勒はそう言うと、ふらつきながら立ちあがった。俺は弥勒に肩を貸すと、巨大APの存在を無視してマンホールへと急いだ。


 ――何が上級APだ。俺の大切な仲間たちを、こんな目に遭わせやがって。


 俺は弥勒が穴の中に降りてゆくのを眺めながら、膨れ上がる敵への怒りを飲み下した。


              〈第七十回に続く〉

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