第64話 機械仕掛けの堕天使


 物売りのテントに囲まれた小さな広場にはすでに野次馬が多数群がり、その一角だけが騒然としていた。俺は中心にいる『救世主』の無事を確かめようと、必死で野次馬を掻き分けた。


 やがて野次馬の中心に棒切れを振り回したり、落ちている石を拾ったりしている人々が見え、俺はどうにかして『救世主』に近づこうと隙を伺った。が、興奮して暴徒と化した人々に近づくのは容易ではなく、俺はやむを得ずその場で助けだすチャンスを待った。


 ――なんとかうまく逃げてくれればいいんだが。


 俺がそう思った直後、背後で「やめろ」というジェイコブの怒声が響いた。すると暴徒たちの狂気じみた動きがぴたりと止まり、広場に一瞬、不気味な沈黙が横たわった。


「いったい何をしてるんだ、よってたかってひとりの人間を襲うなんて、それでも人間か」


 ジェイコブが叫ぶと、騒ぎの中心にいた暴徒が一人、また一人と後ずさり始めた。まばらになった人垣の隙間から袋叩きにされた『救世主』の姿が見え、俺は思わず駆け寄った。


「大丈夫か!」


 倒れている『救世主』を抱き起こそうと近寄った瞬間、俺は予想外の光景に目を瞠った。


「……これはいったい?」


 地面に横たわっている『救世主』の首が半分ほどちぎれ、その断面から電子部品と先端がちぎれたケーブルの束が覗いていた。


「まさか奴が機械だったとはな」


 背後からジェイコブが、顔を苦悶に歪めながら現れた。


「どうなってるんだ、これは。機械たちを屈服させようと人間たちをけしかけていた当人が機械だなんて、わけがわからないぜ」


「……多分この男は地下の人間たちを分断させるために『上級AP』たちの手で送りこまれたんだ。最初は信用させ、次に不信を抱かせる。こいつの目的は人間たちが疑心暗鬼にかられて自分を壊すことだったんだ。くそっ、まんまとしてやられた」


 青ざめているジェイコブに俺は「とにかくどこか修理できる場所に運ぼう」と提案した。


「ああ。そうだな……」


 俺は肩を落としてその場に蹲ったジェイコブの代わりに、戦意を失った暴徒たちに「そこを開けろ。この人殺しめ」と叫んだ。


「……ちがう、殺していない。だってそいつは機械だったじゃないか」


 暴徒の一人が言い訳を口にした瞬間、俺はそいつを睨みつけていた。


「人間だろうが機械だろうが命に違いはない。あんたたちは自分が危険だと感じたらよってたかって壊したり殺したりするんだ。違うか?」


「……違う、そいつは人間じゃない、そいつは……」


 俺は現実から逃れようとするかのように頭を振り続ける男に背を向け、ジェコブの方に向き直った。


「ジェイコブ、あんたも同罪だ。『救世主』の口を塞ごうと人々の憎しみを煽り、自分の手を汚さず片付けようとした結果がこのざまだ。これはあんたがもたらした結末なんだよ」


 俺は担架で運ばれてゆく『救世主』を横目に見ながら、吐き捨てるように言った。機能を停止し、白い煙を上げながら運ばれてゆく『救世主』は、確かに機械以外の何物でもなかった。だが人間だって死ねばただの肉塊だ。人の死と機械の死に何の違いがある?


「ジェイコブ。俺はこれから『付喪』と戦って俺の大事な者たちを取り戻す。だがそれは『上級AP』が憎いからじゃない。俺には奴らと戦わなきゃならない理由があるんだ」


 俺は魂が抜けて一気に老け込んだようなジェイコブをその場に残し、広場を立ち去った。


                 ※


 広場から離れ、再び地下都市の雑踏に戻ると俺の足は再度、セルゲイの工房に向けられた。ミハイルによれば『月弓荘』の存在はAPたちによく知られており、運が良ければ道案内のできるAPを捕まえられるとのことだった。


 俺が半信半疑で歩いていると、突然、屋台の陰から現れた小さな物体が俺に声をかけた。


「――やあ、黒猫ちゃんのお友達じゃないか。ちょうど今、すごいニュースが入ってきたところなんだ。友達が『常闇街とこやみまち』で猫ちゃんを見かけたらしいんだ」


 興奮した口調で訴えかけてきたのは、セルゲイの所にいた小型テープレコーダーだった。


「なんだその『常闇街』っていうのは」


「地上にある、一日中薄暗い区画だよ。下級APとか、IDのない人間が住んでるんだ。友達がそこの映画館で黒猫ちゃんを見かけたっていうんで、今から行くところなんだ」


「映画館……」


「大昔の、遺跡から掘りだしたような映画を一日中やってる建物で、陽の当たらない『常闇街』に住んでる下級APたちにとってはちょうどいい娯楽施設なんだ」


「そこに黒猫がいたのか?……俺もそこに一緒に行きたいんだが、案内してくれないか」


「オーケー。ただし地上はマネキンたちがうようよしてるから、言動に気をつけないと戻ってこられなくなっちゃうかもよ」


 俺が「わかった、気をつけるよ」と言うと、小型テープレコーダーはうんうんと頷いた。


「まあ、あんたは動きが機械っぽいから怪しまれないと思うよ。それじゃ早速、行こうか」


 そう言うとテープレコーダーは俺の前に立って歩き始めた。姑娘がいるなら、必ず近くにキャサリンたちもいるはずだ。なぜ映画館にいたのかはわからないが、合流しなければ。


 ――待ってろよ、みんな。俺が必ず『付喪』から、全員のディスクを取り戻してやる。


 俺は町外れの方へ跳ねるような動きで進んで行くAPを見ながら、自分自身に誓った。


             〈第六十五話に続く〉

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