第65話 常闇街行進曲
「ところでお前さん、名前は何て言うんだい?」
二十年前まで人間が使用していたという電動トロッコの終点で、地上への出口を探し始めたAPに俺は尋ねた。
「俺かい?俺はウォーキービートっていうんだ。ウォーキーでいいよ」
「オーケーウォーキー。その映画館って言う奴は、俺みたいな見た目が人間そのものの生き物が訪ねて行っても大丈夫なのかい?」
「ああ、大丈夫さ。『常闇街』はセントラルタワーのすぐ近くだけど、街の中に入っちまえばいたって安全さ。お日様の光が届かないせいか昼間も少々、薄暗いけどね」
そういうとウォーキーはコンクリートの壁面を弄り始めた。
「……ああ、あったあった。ここからすぐ隣を走ってる下水道に出られるんだ。そこからは梯子で地上まで一直線ってわけ。マンホールがうまく街中にあれば無事目的地に到着だ」
ウォーキーは鉄格子のような蓋を器用に外すと、もぐりこんで俺の前から姿を消した。
「……やれやれ、何だか心もとないガイドさんだな」
ウォーキーを追って狭い穴から向こう側へ抜けると、確かに向こう側は下水道らしき巨大な横穴になっていた。
「ほら、やっぱり梯子があった。ドンピシャだ。もうすぐ外の空気が吸えるぜ、お客さん」
ウォーキーはそういうと梯子をするすると上り始めた。後に続いて上ってゆくと、ほどなく天井の蓋に到達した。
「じゃあ、開けて外に出るぜ。どうかマネキンたちがいませんように」
ウォーキーがマンホールの蓋をずらすと、生ぬるい外気と柔らかな光が頬に当たった。
「ほうら、ちゃんと街中に出たぜ。ふんふん、やっぱり外の空気はうまいや」
ウォーキーの後に続いて恐る恐る外に出た俺は、『サンクチュアリ』らしからぬ薄暗さと低層ビルが軒を連ねる不景気そうな風景に、思わず目を瞠った。
「あそこの角を曲がった突き当りが映画館だよ。――ああ、早く愛しの黒猫ちゃんに会いたいなあ」
ウォーキーが跳ねるような足取りで角を曲がりかけた、その時だった。煤けたコンクリートの陰から、レジスター型のAPがひょっこりと姿を現した。
「わっ、何だ?……誰かと思ったらウォーキーじゃねえか。映画なら今日は終いだぜ」
レジスターは野太い声で言うと、ウォーキーと俺とを交互に見た。
「……ははあ、人間にせがまれてAPの街を案内しに来たわけか。……だがな、お人よしもほどほどにしといた方がいいぜ。さっきもタワーのマネキンたちがうろついてたからな」
「映画を見に来たんじゃないよ、バンク。切符売り場にいた黒猫ちゃんに会いに来たんだ」
「黒猫だと?……そいつは残念だったな、黒猫なら飼い主の女と一緒についさっき、辞めたばかりだぜ」
「飼い主の女?」
女という言葉に驚いた俺が思わず口を挟むと、レジスターがぴょんと飛びはねた。
「ああ、驚かせてすまない。俺はピートと言って、ウォーキーの友人だ。『サンクチュアリ』の外で運び屋をやっている」
「運び屋か……何を運んでいるのかは知らないが、このあたりをうろううろするのは危ないぜ。近頃のさばってる上級APときたら、俺たち機械だろうが人間だろうが見境なく攻撃してくるって話だからな」
「ああ、知っている。それより女と猫がどこに行ったか知ってたら教えてくれないか?」
「残念だが、どこに行ったかは知らないな。俺はただ、映画館の裏口から黒猫を抱いて出てくるところを見ただけさ」
「くそっ、ここまで来て……」
「劇場の支配人に聞けばわかるんじゃないかな、バンク」
「そいつはどうかなあ、何せ雇ったと思ったらさっさと辞めちまったみたいだからな。……面接の時に住所くらいは聞いてるかもしれないけどね」
バンクというAPの言葉に、俺は萎みかけた希望が一気に膨らむのをおぼえた。
「よし、行こう。支配人に会ってみようぜ、ウォーキー。……バンク、どうもありがとう」
俺とウォーキーはバンクと別れると、街の奥まった一角にある映画館へと足を向けた。
しばらく歩くとやがて、薄暗い袋小路に三階建ての映画館が建っているのが見えた。
「あれだよ、この辺のAPたちの社交場は」
ウィーキーがそう言って指さしたウィンドウには『フランケンシュタイン』『メトロポリス』といった見たことのない映画のポスターが掲げられていた。
「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」
『CLOSE』の札が下がったドアの前に立った俺は、薄暗い館内に向かって呼びかけた。
何度か同じ呼びかけを試み、もう駄目かなと思いかけたその時だった。ふいにドアが開き、中からところどころ錆の浮いたポップコーン製造機が姿を現した。
「誰だね騒々しい。上映なら今日の分はとっくに終わっとるよ」
俺が面食らっていると、隣のウォーキーが俺の脇腹をつつき「支配人だよ」と言った。
「あの、今日までこちらで働いていた、黒い猫を連れた女性を知りませんか」
俺が前置きなしでいきなり切りだすと、支配人は「ああ、いたよ」とあっさり答えた。
「だが近頃、素行の悪いマネキン連中がうろつき出したんで、急に怖がって辞めちまった。……まあ、無理もないがな」
「その女性がどこに住んでいるか、ご存じないですか」
「たしか『月弓荘』と言っとったな」
「『月弓荘』ですって?」
俺は思わず声を上げていた。『月弓荘』といえば、ミハイルから聞いた『阿修羅』の住まいではないか。思わぬ形で目的地が重なったことに驚き、俺は思わず支配人に問いを重ねていた。
「『月弓荘』っていうアパートはこの近くにあるんですか?」
「ああ、そこをまっすぐ言って右に曲がったところだよ。あんたの足なら十分もかからん」
「どうもありがとう。行ってみます」
「あのアパートは訳ありの連中が多く住んどる。くれぐれも揉め事を起こさんようにな。ここは少々薄暗いが、静かで平和な街なんじゃ」
俺は「覚えておきます」と言って頭を下げると、ウォーキーを促して映画館の前を離れた。
〈第六十六話に続く〉
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