第63話 救世主と呼ばれた男
狭い礼拝堂は三十人ほどの地下生活者でごったがえしていた。人垣越しに奥を覗くと、中央にしつらえられた形ばかりの説教台に『救世主』の姿が見えた。
「みなさん。私たちはこの地下の街で機械との共存を夢見て忍耐の日々を送って来ました。ですがどうでしょう、いまだに人と機械が完全に歩調を合わせて生きるには至っていません。なぜか。それは私たち人間と機械では理想が異なるからです。これは『創造者』の意志であり、私たちはそれぞれ別の社会を生きるよう、定められているのです」
流れるような演説に拍手が起こるのを見て、俺は大したもんだと目を瞠った。
「人と機械、双方が互いの違いを埋めぬままともに生きようとし続ければ遠からず衝突が起こり、悲劇的な結末を迎えるであろうことは明白です。私たちは機械に先だつ存在として、目的を見失った機械たちを正しい道へと導く使命があります。愚かな機械たちに『創造者』の教えと真実の光を」
俺は熱を帯びた『救世主』の口上に圧倒されながら、同時に強引な論法だなとも感じた。
「どうだ?あれは説教なんかじゃない。大衆操作、洗脳だ。奴は地下の人々が機械を憎むよう、誘導しているんだ」
「俺もそう思います。でもあの演説に共感する人たちは機械に対して何らかの不満がある人たちですよね?だったら洗脳されるのは当たり前ですよ」
「そうだ。だから『救世主』騒ぎを収めるためには少々、強硬な手段を取らざるを得ない」
「強硬な手段?」
「人々の目が覚めないのなら、力づくで『救世主』の口を塞ぐしかない。だからこの先、俺が少々手荒なことをしても見てみぬふりをしていて欲しい」
俺は沈黙した。暴力は好きじゃないが、かといって地下の人々が機械に対する憎悪を膨らませるのを黙ってみているのも嫌だった。
「ジェイコブ、今日はこれくらいにしとくよ。気になることが出てきたら教えてくれ」
俺がそう言って暇を告げようとした、その時だった。礼拝堂の扉が勢いよく破られ、数名の男たちが室内に乱入するのが見えた。
「この似非『救世主』師が」
「俺たちをたぶらかして機械と戦争させようったって、そうはいかないぜ」
男たちは浴びせかけるように代わる代わる『救世主』を罵った。だが肝心の『救世主』はといえば、暴徒たちの脅しにも顔色一つ変えることはなかった。
「見ている風景が違えば、おのずと言い分も変わるものです」
超然とした態度を崩さない『救世主』に業を煮やしたのか暴徒たちは説教台へと詰め寄り、『救世主』を守ろうと身体を張る信者たちと非難の応酬を繰り広げた。
「ペテン師を倒せ」
「邪教徒を追いだせ」
俺はジェイコブに「悪いがこれ以上、不毛ないざこざにつき合っちゃいられないぜ」と言い置いて礼拝堂を飛び出した。
歩いているうちに落ちつきを取り戻した俺は、『メディカルセンター』の方向はどこだろうと思い始めた。しばらく市場を彷徨っていると、ふいに背後から俺を呼びとめる声が聞こえた。
「ピートじゃないか。また何かの用事で戻ってきたのか?」
振り返ると目の前にマシスンが立っていた。以前、一緒に『メディカルセンター』に赴いた医師だった。
「この間は逃げるような形になってしまって申し訳ない」
俺が騒ぎの後始末を押しつけたことを詫びると「気にしなくていい。幸い、我々の身に危険が及ぶことはなかった」と顔の前で手を振った。
「それより今日はどういった用向きでこの地下コロニーに?」
俺は仲間たちの『ディスク』が『付喪』によって奪われたことを手短に説明した。
「それは難儀だったな。――そうだ、全面協力とは行かないが、よかったらミハイルの居場所まで案内しよう」
「それは助かる。エレベーターの入り口まで連れていってもらえれば、後は何とかなる」
俺はマシスンの案内で、コロニーの奥にある旧ゴミ処理施設に向かった。ミハイルがいる上の階に行くためエレベーターに乗り込むと、マシスンは「私はここで失礼する。うまく行く事を祈ってるよ」と言い置いて俺に背をむけた。
「ああ、ありがとう。助手のベティによろしく」
俺は一人になると、エレベーターでミハイルのいる階へと向かった。箱が止まり、外に出ると以前、訪れた時と同様に殺風景な空間が目の前に現れた。
「ミハイル!……いたら返事をしてくれ」
スクラップだらけの部屋をうろつきながら、俺はミハイルに向かって呼びかけた。すると上体を折るような格好で、電動車椅子の男性が物陰から姿を現した。
「ミハイル……おぼえているか?ピートだ。この前は電磁鞭をありがとう」
俺が声をかけると、ミハイルはゆっくりと身体を起こした。心なしか以前、会った時より顔色が悪くなっているようだった。
「ああ、あんたか。どうやら無事に戻ってこられたようだな。……それで今回は何の用だ?」
「実は、俺の友人たちが『ディスク』を奪われて、取り返すために『阿修羅』という女に会う必要があるんだ。あんたは『阿修羅』と親しいそうだが、居場所を知らないか?」
「『阿修羅』だと……あんたはあの人とどう言う関係だ?」
「俺の知りあいで『夜叉』という女がいる。『阿修羅』はその双子の妹らしい。『スメール・ビル』にいる『付喪』という上級APと戦うためには『阿修羅』の力が必要なんだ」
「随分と大それたことを考えるものだな……まあいい、『阿修羅』は下級APたちが住むアパートに身を隠している。『
「ありがとう。……しかしそんなに簡単に打ち明けちまっていいのかい?」
「わしは知っていることを口にしたまでだ。お前さんがいく頃にはもうおらんかもしれん」
ミハイルはそう言うと、げほげほと咳き込んだ。
「それにしても『付喪』と戦うとはな。いよいよこの街もおしまいかもしれん」
「何か知っているのか、ミハイル」
「わしが、というよりこの下半身がな、何かを感じているようでしきりに怯えとるんじゃ」
「怯えている……?」
「機械と人間……『サンクチュアリ』のバランスが崩れ始めている。審判の日は近いと」
「審判の日……」
「さあ、行くがいい。ここにも時々、上級APらしき者が現れることがある。見つかったらせっかく教えた居場所が無駄になる。急ぐんじゃ」
「ありがとうミハイル。長生きしてくれ」
俺はエレベーターに乗り込むと、『月弓荘』か、と今しがた聞いた建物の名を繰り返した。
エレベーターを降り、再びコロニーの雑踏に戻った俺は、どこかに『月弓荘』の場所を聞けそうなAPはいないか、あたりを見回しながら歩き始めた。市場の近くまで戻った時、遠くで人だかりがしているのが見えた。
――なんだろう?
俺が訝っていると、近くの店から出てきたらしい二人組がひそひそと交わしている会話が耳に飛び来んできた。
「あいつ、やっぱりペテン師だったらしいぜ。大勢で取り囲まれてやがる。ありゃあ一種のリンチだな」
「なまじ信じてただけに、裏切られた怒りは半端なもんじゃないぜ。ひょっとすると殺されるかもしれねえ」
――『救世主』か?……しかしいったいなぜ?
「あの、ひょっとすると『救世主』とかいう人の話ですか?騒ぎはどこでおきてるんです?」
俺は思わず噂話をしていた二人組に声をかけた。二人組は俺に訝しげな目を向けつつも「あっちの広場だよ」と奥の開けた一角を指さした。
「ありがとう、ちょっと気になるから見に行ってみます」
俺は二人組に礼を言うと、『救世主』が吊し上げられている広場に向かって駆け出した。
〈第六十四話に続く〉
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