第32話 ある稼働都市からの脱出
「了解、トランスギアα起動開始します」
キャサリンの声が響き、計器類の窓が赤い輝きを放った。俺はシートに背を押しつけると、後ろの『荷物』に警告を放った。
「悪いが緊急事態だ、トランスギア形態になると後部席は真っ二つになってなくなっちまう、早く降りた方がいい」
俺が言うと、『荷物』は「嘘だろう?」と非難がましく叫びながら外へ飛びだしていった。
「少し狭くなるけど大丈夫?ピート」
「……ああ、問題ない。背も高くなるし足も長くなる。悪くない気分だ」
変形装置が稼働を始めると車体が山なりに折れ、運転席のシートが前に九十度回転した。さらに後部席が二つに割れて『腕』となり、車体の下に折り畳まれていた『脚』が伸びて腰から上を押し上げた。
そのままじっとしていると目線が上がり、フロントガラスが俺を包むように湾曲した。同時に左右から伸びたマニュピレーターのグリップが手に触れ、両手を握ると目の前にカメラ越しの景色が映し出された。
「トランスギアα、スタンバイOK」
『トランスギア』形態とは運転者を乗せたまま車が強化装甲になることを言う。変形が完了すると身長三メートル強のヒューマノイド型になり、戦車と近接戦闘を行う事も可能だ。
俺もキャサリンもまだ『トランスギア』を実行したことはなく、全てが未体験だった。
軍隊の攻撃でも受けない限り、運び屋が強化装甲を使う事などまずあり得ない。運河の外で『トランスギア』になったりすれば、逆にこちらが怪物扱いされるに決まっているからだ。
俺は柔らかな素材のグリップを、赤ん坊のように強く握りしめた。このグリップは俺の筋肉の動きを余すところなくギアの動力に伝えてくれるのだ。
「戦闘を開始するわ。準備はいい?」
「いいとも。君と手をつないでいれば怖いもの無しだ」
俺はカメラに映し出された重機型APを見据えると、脚を一歩踏みだした。敵の身長は四メートル近くあり、トランスギアになっても頭一つ分以上、こちらより高かった。
「さあこい、大入道。運び屋の戦いぶりを見せてやる」
俺はキャサリンを着たまま身を屈めると敵の下半身、駆動部めがけて突っ込んでいった。
懐に潜りこんでしまえばスモウレスリングと一緒だ、そう思った直後、左から脇腹を狙った一撃が飛んできた。やられる、そう思った瞬間、ギアの左手が敵の爪を掴んでいた。
「ふう、助かったぜキャサリン」
俺は爪を掴んだ手を右に強く引いた。逃れようともがくアームの動きを無視して思い切り身体を捻るとバチンという音がして火花が散り、アームがちぎれて路上に転がった。
「誤解しないでくれよ、暴力は嫌いなんだ」
俺は言い訳を口にしながら腋を締め、拳を握った。右手の指から特殊耐熱性の金属板がせり出し、赤く染まった。この金属は1000度以上の熱にも耐えられるのだ。俺は固めた拳を引くと、敵の頭部と思しき部分に叩きこんだ。
ごおん、という鈍い衝撃音があたりにこだまし、敵の上半身が大きく後ろにのけぞるのが見えた。
やったか?そう思った直後、敵の腹から飛びだした銛がギアの脇腹を貫いた。
「くそっ、鯨じゃねえぞっ」
俺は腹に銛を突き立てたまま距離を詰めると、左手の指を敵の鳩尾にあるつなぎ目にねじ込んだ。
「失礼するぜ、入道」
俺は指先を曲げると、敵の胸カバーを力任せに剥ぎ取った。同時に指の耐熱板が収納され、代わりに無数の鋭い刃が表面に現れた。
「大事なものを取り返すためだ。悪く思うなよ」
俺は右手をしならせると、内部が露わになった胸部めがけて回転する拳を叩きこんだ。
「ごおおおっ」
ギアの拳がケーブルを立ち切り、内部の機械を粉砕しながら突き抜けると敵は耐えかねたように火花を散らし、動かなくなった。
「……終わったぜ、キャサリン」
キャノピーの内側で荒い息を吐きながら、俺は一体化した相棒に語りかけた。
「そのようね。……でも、この状態じゃ滑走できないわ。どうにかして運び出さなきゃ」
俺はモニターに映る敵の骸に目を遣り、確かにここにいられたらまずいな、と思った。
「……待てよ、いい方法がある。キャサリン、ハッチを開けて俺を外に出してくれないか」
「どうするの?」
「うまく行けば君の腰を痛めずにこいつを運び出せるはずだ」
俺は開いたハッチから外に出ると、敵の首と思しき部分に近づいた。なじみのある蓋を開けると、予想通り再起動スイッチが目の前に現れた。俺はスイッチを入れると、家ほどもある重機に向かって呼びかけた。
「命令だ。『玩具箱に戻れ』」
半信半疑のまま重機に命ずると、驚いたことに死んだように動かなかった敵が起き上がり、鈍い音を立てて向きを変えた。
もしかしたら、今にも振り返ってまた攻撃をしかけてくるのではないか――そんな思いに身を固くした途端、地面を揺るがすキャタピラの音と共に巨大重機は俺たちの前を去っていった。
「……ふう、これでようやく脱出できる。キャサリン、お疲れさん。車の姿に戻ってくれ」
俺が呼びかけるとキャサリンはあっと言う間にトランスギア形態から元の姿へと戻った。
「……すまないキャサリン。俺の戦い方が拙いばかりに君に不要な怪我をさせてしまった」
俺はキャサリンの脇腹――後部シートに開けられた穴の痛々しさに、思わず項垂れた。
「いいのよ別に。それより早く脱出しないと、ぐずぐずしてたらまた新手がやって来るわ」
俺は頷くと、袋小路の奥でへたり込んでいる『荷物』に「待たせちまったな」と言った。
「あああ、あんた本当にただの『運び屋』なのか?」
「普通の運び屋じゃあないな。人間を運ばされたり、機械と戦わせられたり雑務が多めだ」
腰が抜けたのかなかなか立ちあがろうとしない『荷物』に、俺が肩を貸そうと身を屈めた時だった。ふいに『荷物』の背後にある大型のゴミ箱ががたんと音を立てて倒れ、中から人影が姿を現した。
「……君は!」
路上に力なく倒れ伏した人物を見て、俺は思わず驚きの声を上げた。人物――いや、人物を模したその物体は、少し前に施設で別れたキャサリンのヒューマノイドボディだった。
「たしか『玩具箱に戻れ』、そう命じたはずだが……」
絶句している俺に『荷物』が「何かの不具合でしょうな。面倒な事になる前に行きましょう」と言った。俺がもう一度、再起動を試そうか試すまいか迷っていた、その時だった。
「ピート、お願いがあるの。その人を連れて帰ってもらえないかしら」
ふいにキャサリンの声が響き、俺ははっとした。もちろん、今、語りかけて来た方が本物のキャサリンには違いない。……だが、この姿だけのキャサリンをこの場に置いて行けるかと問われれば、できそうもないというのが本音だった。
「……わかった、一緒に連れていこう。――チップマン、車に乗せるのを手伝ってくれ」
俺と『荷物』は意識を失くしてぐったりしているキャサリンの身体を担ぎ上げると、車の方へと運んでいった。
「トランクに積んでも大丈夫よ。再起動させない限り、冷蔵庫やテレビと同じだから」
キャサリンが冷静な口調で言った。人間の女をトランクに積むという行為に抵抗がないわけではなかったが、キャサリンのきっぱりとした口調に押され、俺は言われるままトランクに身体を積み込んだ。
「……さて、これで散々難儀な思いをさせられた『サンクチュアリ』ともしばしお別れだ」
「行くわよ、ピート。しっかりつかまってて」
ジェットエンジンに点火する気配があり、車がゆっくりと動き始めた。キャサリンが翼を広げると速度が一気に増し、運河が目の前に迫った。あわや転落かと思われた刹那、車体がふわりと宙に浮き、気がつくと俺たちは空中にいた。
「やったぜキャサリン!脱出成功だ」
真下に運河を臨みながら俺は快哉を叫んだ。キャサリンは川幅百メートルの運河を易々と飛び越えると、そのまま滑空して小高い公園の一角に着陸した。
「どうやら無事に帰ってこれたようね。……ありがとう、ピート、姑娘、レディオマン」
キャサリンが、心なしか声を震わせて言った。俺は息つく間もなく端末を取りだすと、ジーナを呼びだした。
「ジーナ、ガフ。聞こえるか?俺だ、ピートだ。たった今『サンクチュアリ』からの脱出に成功した。そっちはどうだ?無事にこっち側に戻れそうか?」
俺は早口でまくしたてると、返答を待った。……だが、しばらく待ってもジーナの端末から応答はなかった。
「……くっ、駄目か。無事に運河から救出されて工場に戻っているとばかり思ってたのに」
「まあそう気を落としなさんな、旦那。仕事ってのは一つ一つ片付けるしかないんですよ」
後部席の『荷物』が宥めるような口調で言った。認めるのは癪だが、そうかもしれない。
「……何だかひどく長い旅だった気がする」
俺はシートに凭れ、遠くに霞む『サンクチュアリ』のビル群を眺めながらそう漏らした。
〈第三十三回に続く〉
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