第33話 報酬の名は恐怖


「戻ってない?……連絡も受けてませんか」


 工場の奥でビールケースに腰かけたハリーを前に、俺はがくりと肩を落とした。


「あいにくと、音沙汰なしだね。……運河に落ちたってのが本当なら誰かが見てるはずだが、噂すら聞こえてこない」


「ということは『サンクチュアリ』のAPが連れ去ったと?」


「可能性としてはあるだろうが、なんともわからんな」


「俺がふがいないばかりに……」


「あんたが気に病むことはない。あいつももう大人だ。自分の意志で関わった以上、どんな結果になろうと受け止めるしかない」


「もし二人が運河の向こう側にいるのなら、絶対に俺が助け出します」


「うん、その気持ちはありがたいが、あまり気負わん事だ」


 ハリーが出発前と変わらぬ口調で言い、俺は項垂れながら「はい」とだけ答えた。


 工場の敷地を出ると、どこからか明るいロッカバラードが聞こえてきた。往来を見ると、どうやら曲は窓を開けて停まっている車――キャサリンから聞こえてくるようだった。


「なんだかさえない顔だね、ボーイ。……気分を変えて仕事に行こうぜ」


 レディオマンの声と共にドアが開き、俺は運転席に滑りこんだ。


「曲はジョン・レノンの『スターティング・オーバー』だ。くよくよするよりこれから始まる出来事に目を向けたい君に、レディオマンからの贈り物だ」


 俺はハンドルにそっと手をかけると、後部席でうとうとしている『荷物』に目をやった。


「ありがとうレディオマン。ご忠告通り、仕事に行くとするかな。……キャサリン、一週間前にあの女が指定した『届け先』にやってくれ」


「了解、ボス。かなり期限を過ぎちゃったわね」


「まったくだ。こりゃあ骨にされるくらいじゃすまないだろうな」


 俺は端末を取りだすと、夜叉から教えられたアドレスを入力した。荷物を置いてゆくから好きな時に取りに来いとメッセージを送るためだ。


「まったく、こんな依頼を受けたお蔭で三途の川を渡る羽目になっちまった。もうあの女の仕事は金輪際、勘弁願いたいね」


 俺がぶつくさ不平を漏らしている間に、車は目的の建物に到着した。寂れた繁華街の一角にある雑居ビルは一階がしけたレストラン、その上は安アパートという典型的な場末の物件だった。


 依頼によれば『荷物』は地下のビリヤード場で受け取るという。俺は『荷物』と共に車を降りると、ビルに足を踏みいれた。


 薄暗い階段を降りて突き当りにある古めかしい扉を開けると、思いのほか開けたフロアが目の前に現れた。客はほとんどおらず、奥の暗がりで黒っぽいジャンパーに身を固めた不景気そうなグループが台を囲んでいた。


 俺はカウンターに近づくと、仕事もせずに端末の画面を眺めている店員に声をかけた。


「ちょっと聞きたいんだが『夜叉』は最近、来てるかい?」


 俺のストレートな問いに店員は一瞬「誰だ?」というように顔をしかめた。


「……ここ数日、見ないな。あんたも初めてみたいだが、あの女に何の用だ?」


「ちょっとした仕事を頼まれてね。ある荷物をここに運ぶよう、指示されたのさ」


「荷物……?一体どんな荷物だね」


「こちらの紳士がその『荷物』さ。名前は『チップマン』。さる機関の重要人物だ」


「……『チップマン』だと?」


 俺が『荷物』の名を口にした途端、店員の目つきが変わり、扉がロックされる音がした。


「悪いがその『荷物』ごとあんたの身柄を預からせてもらうよ」


 俺は店員の豹変ぶりに面食らいつつ「仕事の途中なんだ、またにしてくれ」と言った。


「気の毒だが『チップマン』の名を聞いた以上、そう言う訳にもいかない」


 俺と店員がカウンターを挟んで睨み合っていると、ふいに背後から女性の声が聞こえた。


「丸腰で来るなんて相変わらず不用心ね。それじゃ骨にされるくらいじゃすまないわよ」


 振り返ると、黒いジャンパーを脱いだごろつきたちが俺のまわりを取り囲んでいた。


「……医者に化けたかと思ったら今度はチンピラの仮装か。とにかく依頼は果たしたぜ」


 俺が『荷物』を目で示しながら言うと、女――夜叉は「期限オーバーね」と笑った。


             〈第三十四回に続く〉

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