第31話 リバーサイド・チェイス
「どうやら蹴散らした連中は追ってこないようだな」
医療施設の敷地を出てジーナたちの居場所へ移動しながら、俺は後方の気配を確かめた。
「ピート、赤い印の場所まであと少しよ。姿を見かけたら合図して」
無人の往来を抜け、角を三つほど折れたところでキャサリンが言った。
「わかった。ガフは俺でなくてもわかるほどクラシックなタイプの車だ」
死んでも見逃すまい、そう胸に言い聞かせながら俺はガフたちのいる小路を目で探した。
「あそこを右に折れた場所が、マーカーの位置だわ」
あそこか、二人が三日間、隠れていたのは。俺が曲がり角に目線をやった、その時だった。急いたようにアクセルを踏みこむ音と共に、角から見覚えのある車両が姿を見せた。
――ガフ?
キャサリンが急ブレーキを踏むのとほぼ同時に、ガフを追うように角からパトカーが姿を現した。思わず後ろから中を覗きこんだ俺は「APだ!」と叫んでいた。
「あのパトカーを追ってくれ、キャサリン」
「オーケー、ボス」
俺が叫ぶと、キャサリンはいきなり加速を始めた。一瞬だが、パトカーのリアウィンドウからジーナの背中が素通しで見えた。ということはつまり、あのパトカーは人間の乗っていないAPだということだ。
「ピート、見つかっちまった!とりあえず逃げるよ」
ジーナの切迫した声が端末から飛びだした。俺は「後ろのパトカーだな?俺たちも追ってる最中だ。少しの間、頑張って持ちこたえてくれ」と早口で応じた。
「キャサリン、ルーフを半分開けてくれ。……姑娘、すまないが手伝ってくれるか」
「気にしなくていいよ、ボス。あのパトカーからは兄弟の匂いがしないもん、やるわ」
俺は姑娘を抱きかかえると、オープンになった屋根から上半身を出した。右腕に姑娘の尻尾が巻き付き、背中からブラスターの銃身が姿を現した。
「ひいいっ、何する気だ、あんた」
背後で『荷物』が悲鳴を上げた。そういえば屋根の上に乗せっぱなしだなと俺は思った。
「キャサリン、ルーフを全開にしてくれ。『荷物』を中に入れる」
俺がそう言うと、後部席の屋根がするりと開いた。
「わあああっ」
どすんという鈍い音と共に『荷物』が後部席に収まり、同時にブラスターのエネルギー弾がチャージされる音が聞こえた。
「荷物が割れものじゃなくてよかったぜ。……行くぞ偽警官」
俺がブラスターのトリガーを引くと、閃光がパトカーの後輪を直撃した。パトカーは煙を上げながら走り続け、俺はもう一方の後輪に狙いを定めた。
「……前方、カーブよ。気をつけて!」
俺は舌打ちをして銃を下ろすと、いったん車内に収まった。キャサリンがタイヤを軋ませながらカーブを曲がると視界が開け、突き当りに運河の水面が見えた。
「ジーナ、ガフ、運河だ!」
「落ちるのやだよう、怖いよう」
か細い悲鳴が端末から聞こえ、ガフの車がぎりぎりの速度で角を曲がり切るのが見えた。
「運河沿いの道で決着をつけよう。いくぞ姑娘」
にゃっという鳴き声と共に、右腕に巻きついた尻尾にぎゅっと力が込められた。
パトカーを追ってキャサリンが角を曲がり、俺たちは左に運河を臨む直線道路に入った。
「今度こそ仕留めてやる……そらっ」
俺は再びルーフから身体を出すと、ブラスターのトリガーを引いた。エネルギー弾はわずかに目標から逸れ、パトカーのリアウィンドウを貫通して計器を直撃した。
「……ちっ、仕損じたか!」
俺が叫んだ次の瞬間、パトカーが急に蛇行を始め、ガフのバンパーに激突した。
「わああっ」
ガフの動きがパトカーに押されるように左右にぶれ、パトカーともども左のガードレールに接触した。
「ガフ、危ない!右にハンドルを切れ」
俺が叫ぶと「やってるけど……曲がらないよう」という泣き声混じりの弱音が聞こえた。
「くそっ……止まれえっ!」
俺がパトカーに三発目のエネルギー弾を撃ちこむと、があん、という堅い音がして、車両が煙を噴きながら路面上でスピンした。
「……やったぞ!」
俺がそう叫んだ瞬間、激突音が聞こえ、ガフの車がガードレールを突き破るのが見えた。
「――ガフ、ジーナ!」
キャサリンが急ブレーキをかけ、俺は車外に飛びだした。運河を覗きこむとガフの車は大きく傾いた状態で、すでに半分ほど水中に没していた。
「ガフ、大丈夫かっ」
俺が呼びかけた次の瞬間、車体の周囲から見覚えのある『浮き輪』が現れ、みるみるうちに膨らんでいった。
「こ、怖いけど何とか大丈夫だよう」
ガフの震える声が聞こえ、俺はひとまず胸をなでおろした。
「ピート、悪いけどこうなったら別々に脱出しよう。このまま下流に行けば『壁』にぶち当たるから、そしたら爺ちゃんに迎えに来てもらう。あたしたちのことは心配せずに、あんた達はあんた達でなんとか逃げおおせて」
ジーナの気丈な声が端末から聞こえ、俺はやむなく「わかった。必ず運河の外で会おう」と応じた。俺は車に戻ると、がくりと項垂れた。あれだけ世話になっておいてこのざまか。
「ボス、外に出るルートを教えて」
「……レディオマンに聞いてくれないか。アンダーパスまでの道順を記憶しているはずだ」
俺が力なく言うと、沈黙の後「わかった、この倉庫に行けばいいのね」と応答があった。
キャサリンが出口に向かっている間、俺は安堵感と無力感がないまぜになった複雑な思いをぼんやり噛みしめていた。……だが車が倉庫の前に到着した途端、そんな感傷は跡形もなく吹きとんでいた。
俺たちが出てきた倉庫はシャッターのみならず、外壁と屋根までもが大破し廃屋同然となり果てていた。
「なんだこれは。……一体この三日間に何があったんだ」
俺が呆然としていると、倉庫の潰れた屋根の下から巨大な黒い影がゆっくりと首をもたげるのが見えた。それは三日前に俺たちを襲った巨大重機だった。
「こいつ……三日の間に周りのAPを取りこんでさらにでかくなりやがった」
ぎいぎいと耳障りな音を巻き散らしながら巨大な爪のついたアームをいくつも振り回している重機は、さながら金属でできた異形の獣だった。
「ピート、ここは逃げましょう。相手にしていたらそれだけ脱出が難しくなるわ」
キャサリンの声が響き、俺はそうだったと思い直した。ここに来たのはAPどもと戦うためじゃない。キャサリンを無事に『サンクチュアリ』の外に連れ戻すためだ。
「わかった、アンダーパスは諦めてひとまず逃げよう。……だが、どこに行けばいい?」
俺は珍しく弱音を吐いた。……駄目だ、キャサリンがいると思うと、つい甘えてしまう。
「……飛んでいきましょう。運河の幅なら超えられると思うわ」
「飛ぶ……」
俺ははっとした。確かにキャサリンは短い時間なら飛行することができる。だが、それには滑走路として使える長さの直線道路が不可欠だ。
「キャサリン、ここに飛び立てるだけの直線道路があるか?」
「右手にある路地を使うわ。見てて」
キャサリンはそう告げると突然、凄まじい勢いでバックを始めた。首をねじ曲げて行く先を眺めていると、車はバックのまま角を曲がり、路地へと吸い込まれていった。バック走行は突き当りの袋小路でようやく止まり、車体の左右から翼が伸び始めた。
「行くわよ、シートベルトをしっかり締めてて」
キャサリンの警告と共に小型のジェットエンジンがせり出し、車体がゆっくりと前に進み始めた。俺は思わず後部席の『荷物』に声をかけた。
「おい『荷物』さんよ。シートベルトを締めてくれないと運河に放りされるぜ」
「ひ、ひいいっ」
背後でベルトを装着する音が聞こえ、エンジンの音が空気を震わせたその時だった。
「ピート見て、あれ」
キャサリンが短く叫び、加速がやんだ。前方に目を遣るといつの間に現れたのか、運河へと続く道の途中に先ほどの重機が通せんぼをするように立ちはだかっていた。
「意地でも外には出さないってわけか。なら力づくで通らせてもらうまでだ」
俺が重機を睨み、パトカーの時と同様にルーフから身体を出しかけた時だった。ふいに耳に飛び込んできたキャサリンの声が、俺の動きを止めた。
「ピート、こうなったら『トランスギア』を使いましょう」
「トランスギアを……」
思いもしない提案に、俺は一瞬言葉を失った。『トランスギア』はキャサリンが今の姿になって以来、まだ一度も使用したことのない能力だったからだ。
「キャサリン、君はまだ『トランスギア』の形態で戦ったことがない。無謀じゃないのか」
「あの大きさの敵と戦うには、それしかないわ。……お願い、協力してピート」
俺は唸った。運河はもう目の前だ。あの怪物を倒さなければ、超えることはできない。
俺は目を閉じ、呼吸を整えると「わかった、キャサリン。トランスギア起動」と言った。
〈第三十二話に続く〉
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