第7話 クイーンの身代金
「……ねえ、何かおかしいと思わない?」
走り出してほどなくキャサリンが言った。
「ああ、気に入らないな。現れるタイミングが絶妙すぎる。完全に動きを読まれてるな」
前をゆくワゴン車は一定のスピードで走っていた。おそらく相当なチューンナップがなされているはずだが、振り切ろうという気配が見えない。俺たちから『荷物』を奪うだけなら苦もなくできるはずだった。
「もし『チップマン』が脱走することまで見越していたとすれば、身柄を確保した時点で任務終了だ。わざわざ追いかけっこをする必要などない」
「ピート、まさか敵の狙いはあなただって言いたいの?」
「わからん。とにかく深追いは禁物だ。夜叉はこんな面倒なオプションが付いてるなんて言わなかった。キャンセルしたところで罰はあたらないさ」
俺は努めて冷静に言い放った。大事な相方を不用意に危険にさらす必要はない。俺はただの運び屋であって、おまわりでもやくざでもないのだから。
あえて距離をつめずに追っていると突然、ワゴン車が車線の多い道路から細い小路に入るのが見えた。慌てる必要はない、と俺は思った。罠かもしれないからだ。
僅かに遅れて角を曲がると、先の丁字路で一時停止しているワゴン車が見えた。車内が見える距離まで近づいたとき、ふいにキャサリンが声を上げた。
「……見てピート、『チップマン』が乗ってないわ」
「なんだって?……しまった、ダミーだ。キャサリン、本物は後ろだ」
俺が叫ぶとキャサリンがブレーキをかけ、その場で車体をUターンさせた。おそらく手前にあった十字路で入れ替わったのに違いない。本物はどっちにいった?右か、左か?
「たぶん右よ。ちゃんと追うから心配しないで」
キャサリンが子供をあやすような口調で告げた、その時だった。小路の入り口から大型トレーラーがこちらに尻を向けてバックで侵入してくる様子が見えた。
「くそっ、あの車幅で入ってこられたら道を塞がれたのと同じだ。……やっぱり罠か」
俺とキャサリンは減速し、トレーラーの挙動を固唾を呑んで見守った。次の瞬間、コンテナの後部がいきなり左右に開いたかと思うと、中から捕鯨船の銛を思わせる物体が姿を現した。キャサリンがギアをバックにいれた瞬間、衝撃と共にコンテナから撃ち出された物体がボンネットを直撃した。
「大丈夫か、キャサリン!」
「ええ、ちょっと穴が開いただけ。でも女性の扱いがなってないわ」
運転者がウィンチを巻く気配があり、俺たちは有無を言わさぬ力で引っ張られ始めた。
「キャサリン、無理するな」
エンジンが唸りを上げ、車体がウィンチに対抗するように全力でバックを始めた。力任せの綱引きが続き、やがて銛が刺さったボンネットが湾曲して口を開けた。逃げ切れるか、そう思った瞬間、車体が一気に引き寄せられ、衝撃と共にコンテナに乗り上げていた。
「キャサリン、ボンネットを外せ!」
俺が叫ぶと、ボンネットが銛と一緒にはじけ飛んだ。
「そのままバックで飛び出せ。俺のことは気にするな」
再びエンジンが唸りを上げ、俺は落下の衝撃を覚悟した。だが、アクセルを目いっぱい踏みこんだにもかかわらず、俺たちの車は微動だにしなかった。
「なんだっ?」
思わず運転席を飛びだした俺は、自分の目を疑った。車体の後方に、車を後ろから押さえこむような形で巨大な爪がつき出していたのだ。その時俺は、敵の目標が俺ではなく相方であることを直感した。
「くそっ、好きにさせてたまるかっ」
運転席に戻ろうと身体の向きを変えかけた、その時だった。今度はコンテナの床全体が傾き、バランスを失った俺はそのまま路上に転がり落ちた。
「キャサリン!」
起き上がった俺の目の前で、荷台の車を隠すようにコンテナが元の箱に戻っていった。
アイドリングの音が小路に響き、トレーラーが前進を始めた。俺が追いかけようと足を踏みだしかけた、その時だった。突然、轟音とともに何かが目の前に落下し、砕け散った。
「なんだこれは……」
俺の前に行く手を阻むように散らばっていたのは、雑居ビルの袖看板と空調の室外機だった。はっとして前方に目を向けるとにすでにトレーラーの姿はなく、俺はその場に呆然と立ち尽くした。
――このスクラップにもしAPが搭載されていたら……『猿回し』の仕業か?
最大の理解者をなすすべもなく奪われた俺は、灼けつくような思いをこらえながら端末を取りだした。
「王、聞こえるか?キャサリンが敵の手に落ちた。どんな手を使ってでも奪還するぞ」
俺は王の「本当か?」と狼狽える声を聞きながら、トレーラーの消えた闇を見つめた。
――キャサリン、待ってろよ。君がどこにいようと、必ず見つけて連れ戻すからな。
〈第八話に続く〉
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