第6話 偽者たちのゲーム


 『夜叉』のファイルに記されていた病院は、まるで要塞だった。


 治安管理局で労働災害の認定を受けた傷病者に特化した病院、つまり機密に触れた職員が外部の目に触れる前に運びこまれる特殊病院というわけだった。


 正面玄関前は広く整備されているが、一般の病院のように救急車の姿がなく、職員や看護師の姿も見られなかった。つまり関係者はどこか別の「出入り口」を使っており、外部の人間が入院患者と接すること自体、困難ということらしかった。


「これは監禁というんじゃないかね、キャサリン」


「まさしくそうね。人間じゃなくてよかったわ」


 キャサリンが醒めた口調で言った。ロビーから先に進むにはそれなりのセキュリティを抜ける必要があるだろう。いかに精巧な偽造IDがあっても俺に抜けられるとは思えない。


「まあ、やるだけやってみるさ。留守を頼むぜ」


 俺は車を降りると、正面玄関からロビーに足を踏みいれた。ファイルの情報によれば『チップマン』は週に一度、ロビーに現れるという。ただし、何らかの扮装、変装はしているとのことだった。俺はファイルの顔写真を徹底的に頭に叩きこみ、女装くらいでは惑わされないという自信を持っていた。そして俺自身もまた、製薬会社のプロパーに扮していた。


 ――と言っても本物の製薬プロパーなんて見たこともないが。


 体の前にわざとらしくブリーフケースを置き、俺はエレベーターから降りてくる人影に注意を払った。すでに看護師や職員と一緒の患者が何組か目の前を過ぎていったが、俺の記憶にある顔と一致する者は皆無だった。


 ロビーに設置されたカメラには、外来患者の外見から素性を特定する機能がある。つまり少々、見かけをいじってもデータベースにある不審な人物と一致すれば、たちまちセキュリティに報告がいくというわけだ。


 ――そろそろ出直さないと、怪しまれるな。


 俺がソファーから腰を浮かせようとした、その時だった。少し前に俺の前を通り過ぎた作業服姿の二人組が、俺の脳裏に蘇った。二人のうちの一人の目許が記憶にある『チップマン』に酷似していたのだ。俺は立ちあがると、二人が消えた角に向かって移動を始めた。


 角を曲がった瞬間、俺の目に映ったのは、人気のない廊下をく二人の後ろ姿だった。


 しめた、チャンスだ。俺は二人に駆け寄ると「あの、すみません」と声をかけた。


「……はい?」


 俺は振り返った人物に、胸のうちで詫びながら一撃を見舞った。見知らぬ男に鳩尾を殴られ、作業服の人物はその場に崩れた。変装しているが『チップマン』と思われるもう一方の人物に俺は「味方だ。悪いようにはしないからここで待っていろ」と言い置くと、気絶した人物を近くのトイレへと引きずりこんだ。



 ――てっきり職員と患者の組み合わせだと思いこんでたぜ。よもや『チップマン』に作業員の格好をさせるとはな。


 俺はぐったりしている人物の服を手早く脱がせると、自分のそれと交換した。一度くらいビジネスマンの気分を味わうのもいいだろう、そんな言い訳をしつつ俺はトイレを出た。


「あ……あの」


 トイレの前で所在無く立ち尽くしている『チップマン』に俺は「予定変更だ。正面玄関から出るぞ。怪しまれるような動きを見せるんじゃないぜ」と釘を刺した。


 俺たちは向きを変え、ロビーを突っ切ると何食わぬ顔で自動ドアをくぐった。よし、キャサリンのところまで数十メートルだ。俺は『チップマン』が助けを求めて声を上げるのではと内心、びくつきながら車までの復路をたどった。


 見慣れた黄色い軽自動車が視界に入ると、待ちかねていたかのように後部ドアが開いた。


 俺は『チップマン』を座席に押しこむと、運転席に身体を滑りこませた。


「よし、上々だ。出してくれ」


 俺が声をかけると、返事の代わりにエンジンが唸りを上げ始めた。俺の耳が奇妙な言葉を捉えたのは、その直後だった。


「……違う」


「違う?……一体何が違うんだ」


 言葉を発しているのは後部席の『荷物』こと『チップマン』だった。


「俺……『チップマン』……じゃない」


「何だと?どういう意味だ」


 シート越しに振り返った俺の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。『チップマン』が顔を両手で覆うと、目のあたりの皮膚を勢いよく剥ぎ取ったのだった。荒い息を吐きながら再び上げられた顔は『チップマン」とは似ても似つかない、違う人物のそれだった。


「しまった、引っかかった!」


 俺はリアウィンドウ越しに正面玄関の方を見た。すると製薬プロパーの格好をした人物が、あたりをうかがいながら駐車場を横切ろうとしているのが見えた。人物は立ち止まると、自分の顔面を手で覆い、何かをむしり取った。下から現れたのは紛れもない『チップマン』の顔だった。


 敵は二人の格好を同じにするだけでなく、作業員に『チップマン』のメイクを、『チップマン』に作業員のメイクをするという凝った仕掛けを施していたのだ。


「くそっ、追うぞ!……悪いがあんたはここで降りてくれ」


 俺は開いた後部ドアから気の毒な職員を車外に押し出すと、ドアを閉めて『チップマン』を捕えるべく車を発進させた。だが向こうもこちらの動きを察したらしく、俺たちが動くより一瞬早く駆け出すとあっと言う間に正門から敷地外に飛びだし、姿を消した。


「無駄だ。車と競争する気か?」


 俺は失態を取り返すべく、『チップマン』の後を追った。だが十秒ほど遅れて往来に出た俺の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。『チップマン』の行く手を阻むように一台のワゴン車が現れたかと思うと、中から出てきた黒っぽい服装の人影が『チップマン』を車内に引きずりこんだのだった。


「くそっ、ひとの『荷物』を横取りする気か?……追うぞ、キャサリン!」


 どうやら病院の人間ではなさそうだ。……ということはあのトレーラーとドローンの一味か?急発進したワゴン車の後を追って、俺たちの車はアクセルを踏みこんでいった。


               〈第七回に続く〉

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