第2話 狼と鬼たちの午後
「さて、俺のいたいけな愛車をどこに連れていこうってのかね、お姉さん」
俺は小刻みに動くハンドルを見つめながら、当たり前のように助手席に収まっている女に問いを放った。
「ジャンクタウンにある重病患者のためのリハビリ病院よ」
「なんだって?俺にいったい何を運べっていうんだい。ヤクや死体ならお門違いだぜ」
「そうね、そんな可愛らしい物じゃないことは確かよ、ピート」
夜叉は急に馴れ馴れしい口調になって囁いた。俺の通称『ピート』は玄鬼の親父がつけてくれた名だ。ピーター・フォンダに似ているからだと思っていたら、ピーター・フォークを思わせる体形だかららしい。早いところ本当の名前を思い出して、このやくざな稼業ともお別れしたいところだが、なかなかそうはいかないのが辛いところだ。
「『チップマン』の噂は聞いてるわね?人工人格の外部メモリとして幽閉されている人々」
「聞いたことはあるが、本物にお目にかかったことはない。ただの都市伝説じゃないのか」
「それが違うのよ。人工人格のケアスタッフとして治安管理局に勤務していた技術者が重要なデータを保管している『チップマン』を連れて逃亡したらしいの。技術者は行方不明だけど『チップマン』は病院にいるわ。ただ彼の中にあるデータを取りだせる者がいない」
「それで?そいつを病院から連れだしてどこへ連れて行こうってんだい」
「消えた技術者の弟子筋にあたる人物が協力してくれることになったのよ。ところが病院の医師たちも秘かに彼の中のデータを狙っていて、そう簡単に退院させてくれそうにない」
「そこで病院から強引に連れ出してあんた達に引き渡せってか?冗談じゃない。犯罪だぜ」
俺はシートの上で四肢を投げだした。胸のうちでは、キャサリンが一気に全部のドアを解放して礼儀知らずの客人たちを放りだしてくれることを期待していた。
「とりあえずこれを渡しておくわ。病院のデータと逃走ルート」
夜叉はタブレットケースからキャンディーのようなスティックメモリーを取りだすと、俺の口に押しこんだ。
「いいこと、期日と時間は厳守よ。一秒でも遅れたらあなたは骨に、お仲間は鉄くずになると思いなさい」
依頼を終えた夜叉が前方に目を向けると、置き去りにして来たはずの黒い車が脇道から前を塞ぐように姿を現した。
キャサリンが車を停めると、夜叉とボディガードたちは乗りこんできた時同様、無言で立ち去っていった。俺が夜叉の置き土産をシートの上に吐き出すと、突然、カーラジオが目を覚ましたように音楽を鳴らし始めた。
「おいおい。レディオマン、いくら嫌な連中が来たからってこの選曲はないんじゃないか」
スピーカーから流れだしたのは『ジョーズのテーマ』だった。
「いやあ、驚かせてすまない、坊や。どうも何かが迫ってるようなんでね。及ばずながら警告代わりに選曲させてもらったよ」
「何かが迫ってる?何かって何だい、旦那」
俺がレディオマンの返事を待とうとした、その時だった。突然、キャサリンがギアをバックにいれた。ハンドルにしがみついた俺の目が捉えたのは、視野を横切って大鉈のように倒れこむ街灯だった。
「くそっ、何だってこんな物が倒れて来やがるんだ」
俺は状況をあらためようと車を飛びだした。愛車の鼻先数十センチのところに横たわっていたのは、監視カメラのついた街灯だった。同時に視界の隅に視線を感じ、顔を上げると一区画先の交差点に、黒っぽい服装をした人物がこちらを向いて立っているのが見えた。
――あの野郎がやった?……まさか。
俺が首をひねった途端、人物は身を翻し建物の陰に姿を消した。駆け出そうとした俺の前に、今度はやたらと角ばった黒い車両が姿を現した。
「こいつは……親父の車だ」
蒔絵を思わせる金模様を散らした悪趣味な車体から降りてきたのは、いかつい禿げ頭の僧侶だった。
「これはまた、奇妙な現場に出くわしたものだ。街灯が勝手に倒れてなんでも屋の行く手を塞ぐとは」
「久しぶりだな、親父さん。なんでまたこんなところに?」
俺が呼びかけると、恩人で元・マフィアのボスでもある玄鬼はふふんと鼻を鳴らした。
「なに、近頃、このあたりに悪い気が噴き溜まっていると檀家に言われてな。忙しい合間を縫って来てみたら案の定、これだ。……ピート、『猿回し』に何か恨みでも買ったのか」
俺は首をひねった。『猿回し』というのは人工知能の思考を外部から読むことのできる、異能者たちのことだ。近頃では街角にある信号や看板にまでAPが組みこまれていることがある。あの人物が『猿回し』だとすると、この街灯にもAPが組みこまれていたのか?
「せっかく生き返ったんだ。長生きしたければあまり物騒な仕事には手を出さぬことだ」
玄鬼が街灯と俺の顔を交互に見ながら言うと、背後の車から長身の人物が姿を現した。
「……おひさしぶりです『運び屋』さん。今回はまた、面白いドラマになりそうですね」
深いブルーのスーツに身を包んだ男性は玄鬼の傍らをすり抜けて俺の前に来ると、艶然と微笑んでみせた。彫像を思わせる人間離れした美貌は、玄鬼の実の息子とは思えない。
「いいのかい、伝説のボスと二代目が一緒に出歩いたりして。ヒットマンに狙われるぜ」
「大丈夫ですよ。マフィアだろうがなんだろうが、父子水入らずを邪魔する権利はない」
玄鬼の息子、ルシファーはそう言うと俺の目を正面から覗きこんだ。危機を感じた俺は、無意識のうちに半歩後ずさっていた。この美青年は女性にまったく興味がないという、極めて危険なやくざなのだ。
「しかしAPを使った犯罪が増えるとなると、マファイアも出る幕がないな。俺が目を覚ました三年前は、まだ撃ったり刺されたりの物騒な風景が残っていたもんだが。……いまとなってはいにしえの極道、風と友に去りぬか」
俺が皮肉を言うと、レディオマンが窓から映画音楽を流し始めた。『タラのテーマ』だ。
「やめてくれよ、笑えない冗談は。……全くこんな依頼はさっさと片付けちまいたいね」
趣味の悪い車に乗り込んで去ってゆく恩人親子を眺めながら、俺はろくでもない運命の歯車が不吉な音を立てて回り始めるのを感じていた。
〈第三回に続く〉
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