第5話
数分後。息を荒げながら、臣人は携帯のスイッチを切った。
「好き勝手なこと抜かしくさって!エロじじいがぁ!少しは遊ばせろって。」
バーンはいつのまにか臣人のそばにはいなかった。もう運転席に座って準備万端で彼が乗り込むのを待っていた。
窓越しに臣人が近づいてくるのを視認するとキーを回し、エンジンをかけた。臣人が乱暴にドアを開け、助手席に乗り込んできた。まだブツブツ文句を言っている。
バタン!と力任せにドアが閉められた。よほどおもしろくなかったのだろう。顔が紅潮したままである。
二つ折りに閉じた携帯をまじまじと見ながら、それをそのまま後部座席に放り投げてしまった。ガツッと何処かにぶつかって、下に落ちた音がした。
ふたりとも口を開かなかった。臣人は頬杖をついて外を見ていた。
バーンもハンドルに両腕を預け、そこにもたれ掛かりながらぼんやりと前方を見ていた。エンジンは動いていたが、ヘッドライトは点けられていなかった。車は海の方に向けられていた。フロントガラスを通して見えるのは、真っ暗な砂浜とほんのり明るく見える水平線だった。時折、向きを変える漁船のライトが登る太陽のように夜空に人工の光を放っていた。そのかすかな光が暗闇の中に薄っすらと二人の顔を浮かび上がらせてた。
「臣人、」小声でバーンが呼んだ。
臣人は首を傾げた。
「ひとつ、きいてくれるか?」
「なんや?」
ため息をつくように言葉がバーンの口をついて出た。
「俺、」
ハンドルに額をつけるようにうつむいた。顔を臣人に見られたくなかった。どんな顔をしているのか自分でもわからなくなっていた。ただ、あんなのことを言った臣人に影響されたことだけは確かだった。バーンも初めて言葉にする思いだった。
臣人が自分のそばにいるようになって、気がついたこと。日本に来てから変わったこと。
そして、
「お前が死ぬところだけは見たくない」
(そうなるくらいなら…)
「バーン?」
「殺されるほうがいい。お前に」
臣人はギョッとした。どうしてもバーンは自分の命を軽く見る傾向があった。自分が咎人であるという意識が強いのだ。生きていてはならない存在だと思い込んでいる。それは取りも直さず常に人の死に直面し続けた結果かもしれない。自分の周りにいる人間は必ず死ぬと、そう思っている。そう思い込んでいる。
「あほ! 何いうとんねん。縁起でもない」
バーンの言葉が終わるか終わらないうちに、臣人が畳み掛けるようにそれを否定した。そんな彼を少しでも変えたくて自分は一緒にいる。そんな彼を少しでも護りたいと思ってそばにいる。彼女がそうしていたように。少なくとも彼女は信じていなかった。バーンの所為で人が死ぬということを。もちろん自分も信じてはいない。彼が悪いのではない。それは一緒にいてみて、初めてわかったこと。どこかしっくりこなかった。
何かが違っていた。何かが狂わされている気がした。バーン自身の問題というよりは、何か別のもののような気がしていた。他の何かが彼をそう思わせているような、そんな気がしていた。見えない何かに邪魔されている気もした。
そう思っていても、どうしてそう思うのかは言葉では説明できなかった。強いていうなら、勘。それしかなかった。
「わいがそうそう簡単に死ぬわけないやろっ。こんなええ男が!」
ドンとゲンコツで自分の胸を叩いた。演技がかった大声でアピールした。バーンの心配をよそに、臣人は平然としていた。今度は少し抑えめのドスの利いた声で言った。
「いつも、自分のまわりの人間が死ぬなんて思うたらあかんで! 絶対に!」
そう言いきる臣人の顔をバーンは面をくらったように見ていた。半分さっき言ったことを後悔していた。同時に不思議な気分だった。
なぜ、あそこまで自分の感情を素直に臣人に言ってしまったんだろう?と。今まで、そうするまいと頑なに拒否し続けてきたことを。自分の感情に従う。自分の想いを伝える。
最もバーンにとっては縁遠いこと。最もバーンにとっては苦手とすること。それが素直にできたのだから。
「お前のその『力』は大事なもん守るためにだけあるんや。不幸を呼ぶためやない」
きっぱりと言い切った。臣人はそう確信していた。そう言っても、バーンは信じないのだろうが。バーン自身、それを自覚するにはまだまだ長い時間と多くのきっかけが必要だと臣人は思っていた。
「それに、どうせ殺されるなら、男にじゃなくとびきりええ女に殺されるのがいい決まっとる」
臣人がバーンに顔を近づけ、口の端だけで笑いながら冗談ぽく言った。『俺はタダでは死なん』とでも言いそうな勢いだった。その言葉を聞いて、バーンはおそるおそる臣人の顔を見ようと身体を起こした。そこにはいつもの臣人がいた。7年前から変わらず、ずっとそばに居続ける臣人がいた。ずっと彼を見守り続け、共に行動してきた臣人がいた。
少し間をおいた。バーンを勇気づけたくて、臣人は自信ありげに言った。落ち着いた口調だった。静かに諭すような口調だった。
「そんくらい信用してや。自分の身は自分で守れるくらいの『力』はあるで」
「…ん」バーンは何か言葉を発した。『すまん』と詫びたような気もした。臣人の言ったことに対して同意したようにも聞こえた。
が、潮騒と海風と車のエンジンの音にかき消されよく聞き取ることはできなかった。バーンは少し迷いが晴れたように、背筋を伸ばして座りなおした。
「臣人。これからも腐れ縁の悪友、よろしく」
「おお。気色悪いから『ずっ~と一緒におる』なんてクサイ台詞はいわんで」
臣人がうなずいて見せた。その言葉にバーンも少し雰囲気が穏やかになった気がした。ここまできてようやく臣人はバーンのいる位置に気がついた。
「ところで、お前、何で運転席におるんや?免許持っていたっけか?!」
怪訝に思ってたずねてみた。バーンは眼を見開いた。そして素直に聞き返した。
「免許?」
だんだん臣人の顔色が変わってきた。いやーな雰囲気なってきた。車の運転は常に臣人の役目だった。バーンはいつも助手席におとなしく乗っていたのに。
なぜ今日に限って?運転席を陣取っているのか?
バーンは、シートベルトをたぐり寄せ、装着するとギアをDに入れた。臣人の方は見ないで、ただ前方を見ていた。
「ない。」
(日本で運転できる国際免許はな)そう言うやアクセルを踏みこんだ。車は勢いよく発進した。
「なんやてーーーーー!!」
「早くじーさんのところに行かないと、ヤバイんだろ?」
「だからってお前が運転することあらへん!」
知らん顔しながら、ハンドルを切って松林の中を疾走している。
「こらぁ、聞いてるんか、バーン!!」
何も答えず、何も聞こえないふりだ。
「まだローンも残ってるさかいにー(ToT)?やめてーな!!」
あとには、ただ満天の星空が静かに広がっていた。
すべてはルーンの導きのままに・・・
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