第3話

臣人がバーンの隣にやってきて、あぐらをかいて座った。

「最近、少し明るくなったとちゃうか。」

「さあ?」

自覚がないのだろうか?不思議そうな顔でバーンを見ていた。

「そうか?わいは変わってきてると思う。」

「………」

「昔みたいに人とのつながりを全く!完全に!!否定して、断っていたお前と比べたら、雲泥の差だと思う。」

その言葉に昔の自分が甦った。

昔の自分。臣人の言う昔の俺。知り合って間もなかった17才の俺。ラシスを亡くしたばかりの頃は確かにそうだったかもしれない。

自分の周りにいる人間が疎ましかった。もちろん自分自身の存在も。こうしてそばにいる臣人も。何もかもが疎ましかった。

「わいとも会話すらなかったやん」

臣人はビールをすっかり飲みきった。そして、小さなため息をついた。

「劔地たちのおかげかいな。なんにせよ、いい傾向や」

ニヤリと意味深に微笑んだ。本当にうれしそうだった。

バーンは何も言わず、また一口、ビールでのどを潤した。その様子を横で見ていた臣人が、ちょっと真剣な顔つきになった。

「なぁ、こんな機会、もうないような気がするさかい。さっきの話な、ほんまのこといおか」

臣人は空になったビール缶をねじって、小さくつぶした。音もなく缶はつぶれてしまった。今まで口にしたことのないことを話そうとしていた。一度もバーンに伝えたことのない自分の正直な気持ち。どうしても言えなかった自分の本心。あの時からずっと自分の心の奥底にしまっておいた本音を言う決意をした。

臣人の声のトーンは沈んでいった。

「自分でいうのも何やけど、わいは小さい頃から『術』も『技』も何でもそれほど苦でなくこなす子やった」

「………」

バーンは臣人の横顔を見ていた。

「子どもの頃は妙に大人びいて、『世の中でわいのできんことはない』、そう思とった」

その小さくなった缶をもてあそびながらさらに続けた。

こんな臣人をバーンは見たことがなかった。彼も初めて見る臣人だった。いつも底抜けに明るくて、冗談ばかり言って浮かれている彼ではなかった。

「何をするのもつまらん。きっと天狗になってたんやろな。」

「………」

缶をもてあそんでいた手が止まっていた。バーンの視線は臣人の横顔から砂浜の波打ち際に向いた。

そこまで話して、臣人は黙り込んだ。暗い声で、ひとつひとつの言葉の重さを感じているようにまた話し始めた。

「いつも、何かが足りん。わいはいったい何のために生きてるんやろ? 何を成すためにいるんやろ?と、疑問は膨らむばかりやった。」

「臣人」

バーンは暗がりの中で彼の横顔を見ていた。臣人は少し顔を上げて海の方を見つめた。

「17才でじじいの代わりに、大きな仕事任されて、アメリカに来た。そのとき彼女に会うた」

「………」

「ラティからお前の退魔行の依頼を受けたとき、初めて会うたとき、直感したんや」

「………」

初めて臣人がバーンと視線を合わせた。

「わいとお前は似たもの同士やと」

「………」

「鏡に映る右と左や」

「臣人…」

「人とは違う『力』を持っとることもあるけど、ほんとうに欲しいもんがあるのに、どうすることもできずにもがいてる。…そんな気がした」

臣人は視線をはずすとまた下を向いた。

「あの時、」

7年前のあの出来事を思い出していた。自分の横をすり抜けて走り去っていったラティの姿を思い出していた。一瞬の差で、彼女は。

バーンの方へ駆けていく彼女の後ろ姿。後にはほのかに、オレンジの香りが残っていた。

「わいの結界から飛び出していった彼女の肩を、…腕を、この手でつかまえられていたら」

臣人は自分の両手をぐっと握りしめて、見ていた。悔しそうに。唇を噛みしめたまま。

「彼女を引き止めることができていたら、彼女も死なずにすんだんやないやろか?」

(あのことがわいにとっては、人生ではじめての、最大にして最悪の…)

あの夜、自分が間違っていたことに気がついた。自分の生き方も、考え方も。何もかもが崩れた。後悔しても後悔しきれない。もう後戻りはできない。そんな思いだけが残った。

それは人ひとりの命を奪い、もう一人、彼の人生を狂わせてしまった自分自身に対する怒りでもあった。

バーンはうなずきもあいづちもせず、臣人の話を聞いていた。

「もし、わいがっ」

「もう、言うな…」臣人の言葉を途中で静かに遮った。

「バーン」

驚いたように彼の顔を見返した。バーンは冷静に、淡々と話し始めた。

「いくら言ったって、あいつは還ってこない。俺が生きていようが、死のうが、もう二度と…あいつには逢えない。」

彼は、遠い眼をしながらつぶやいた。

彼女の姿を追っているように彼方を見つめていた。

「そやけど、」

臣人は言葉に詰まった。その原因を作ったのは紛れもなく自分だと思っていた。だが、バーンの言葉は止まらなかった。

「輪廻転生の輪からもはずれてしまってる…。それに」

臣人は叫ぶような声でくいさがった。

「そやけど!!あの時、わいにもっと力があったら、結果は違ってたかもしれへん」

(こないにまで、お前を。こないにまで、お前を苦しめずにすんだんやないんか?)

最後は言葉にならなかった。言葉そのものを飲み込んでしまった。

7年前、あの洋館の庭で泣き叫びながら、彼女を抱きしめていたバーンの姿が甦っていた。

バークレーの自宅で真っ暗な部屋の中、ソファにひとりたたずんでいたバーンの姿を思い出していた。死んだラシスの顔もバーンの泣き顔も脳裏に鮮明に焼きついていた。そんなことを思い出しながらバーンの表情を表さない横顔を見ていた。

7年間ずっと心に秘めていたものが言葉になった。後悔し続けてきたことが、初めて言葉になった。こんな気持ちになるのは初めてだった。あの時の決心が揺らぎそうになっていた。

自分がバーンのそばに居続ける意味。自分がバーンと行動を共にする意味。彼が日本にいることの本当の目的。

寄せては返す波音だけが遠くから近くから聞こえ続けた。時折、足元まで迫ってくる波音に彼らは包まれていた。それ以外の音は聞こえなかった。

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