第2話

また、しばらくの沈黙。

バーンは初めて自分の目の前に現れた臣人のことを思い出していた。あの頃の臣人は抜き身の刃のような危うさがあった。近寄ることすら拒むような雰囲気と触るものを傷つける、目に見えない尖った何かを纏っていた。関西弁すら喋っていなかった臣人を思い出していた。

それは死者の魂が愛するものたちの元へ帰ってくる、日本のこのお盆という季節のせいかもしれなかった。

「……臣人」

「ん?」

車の窓に手をかけ、車体により寄りかかりながら生返事をした。

「長いな……」

「何が?」

グイッとビールを飲む。暑さのせいか、さっき一口目を飲んだ時より、ぬるくなっている気がした。飲んでいるそばから汗になって噴き出してきそうだ。

「おまえとの付き合いがさ、」

「なんや急に、かしこまって。気持ち悪ぅ」

ちょっと臣人は照れ隠しに頭をかいた。

「High Schoolの頃からだから。7?8年弱の付き合いに…なるんだな。」

何を思ったのか、昔のことを想い出すようにそう呟いた。いつものバーンならこんなふうに昔話はしない。彼にとって『過去』の話はつらいことだらけなのだから。

だが、今日の彼は少し違っていた。ほんの少しお喋りになっているようだった。

「おまえ、ホント変なヤツだよな…」

感嘆を込めてそう言った。

「なんやねん。どういうこっちゃ」

眉をひそめながら困った顔だ。

「ん。俺なんかに付き合って…さ」

こんな話、今までにない展開だったので臣人は押し黙ってしまった。

そんな臣人の様子を横目で眺めつつ、バーンも黙ってしまった。

「さっ、最初に言うたやろ、それは。別におまえと一緒におることが好きなんやからええやろ。ったく何を言い出すかと思えば」

怒ったような素振りを見せながら、顔は赤くなっていた。バーンに背を向け、明後日の方向を見てビールを流し込んだ。こんな会話になるとは思っていなかったので、夜でよかったと思った。

「いまつくづく最初の印象と違うな…と思ったんだ。」

「そんなんあたりまえやろ。一体、わいの第一印象は、どんなや?」

臣人の言葉にちょっと考え込んだ。

あの当時を想い出してみた。ラシスに連れられて、自分の前に立った臣人を。

「わがままそうなヤツ」

第一印象は確かに最悪だった。

「そりゃ、非道いでぇ。わいかて小さい頃は神童の誉れも高かったんやからな。『生き神さま』なんて言われてな」

上がってしまったテンションとは裏腹に、バーンの背中を見ながら、子供の頃を思いだしていた。昔のことを思い出すたびに心の奥底が疼いた。昔の自分は今の自分から全く想像ができない別人だったのだと。

「まあ、確かにそうやった時期もあったけど」

物心ついた時から、自分は円照寺にいた。あの場所が自分の『家』だと疑わずに少年時代を過ごした。何の疑問も感じずに術と技の修行に明け暮れた日々。そこに両親の姿はなかった。記憶に残っているのは厳しい祖父の姿。そして、自分は知ってしまった。帰る場所がないことを。本当の『家』はここではないことを。

「あの頃は、ちゃんと袈裟を着てたし……とても同い年には見えなかった」

バーンの言葉は止まらなかった。

「そうか? じじいの代わりにアメリカに来て仕事してたときやったな。お前にうたんは。」

何事のなかったような素振りで受け答えをしていたが、臣人は自分の心が苦しくなっていっている気がした。それを断ち切るように、寄りかかった車体から体を離すと、後方へ回り、バタンッとトランクを閉めた。

「サングラスもしてなかった…な」

その台詞に思わず臣人は、ビールを吹いてしまった。

「ぐわっ!そんな反則な話。わいの素顔知っとるのじじいとお前くらいなもんやで。頼むからそれ以上言うな!」

臣人はグビグビ~ッとビールを一気飲みした。バーンは少し笑ったようだった。

この明るさに何度助けられたか。

寄せる波音が近くなるほどに、水平線の向こうに見えていたイカ釣り漁船の灯りが遠くへと移動していった。あれだけ明るかった浜辺から光が消え失せ、辺りは再び闇に包まれた。

バーンは足をくの字にして、ひざの上にビールの缶を持った腕を預けた。缶をゆっくりと回し、昔を想い出しながら少しずつ空けていく。彼女と過ごした日々を想い出していた。

夏。

16才の夏休み。

彼女の存在を意識して初めて迎えた夏。春先にあったあのことも海辺での出来事だった。光り輝く砂浜で彼女に伝えられた事。

自分の右眼を見ても彼女は驚きもしなければ、恐れもしなかった。ただ、事実としてすとんと受けとめてくれた。他の人と同じように、持っている個性のひとつだと言ってくれた。そういってくれた彼女を自分は受け入れようとはしなかった。どうしていいかわからなかった。

あの頃は彼女を自分から遠ざけようと必死になっていた。言い争いはしょっちゅう。必要以上に彼女に冷たくあたった。過敏なまでに彼女との接触を断っていた。

学校にいても、授業を受けていても、何をしていても。それでも彼女は…。

辛そうにしながら、バーンはビール缶を持つ手に力を込めた。

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