第2話 変わる世界

「……つまり、悪魔・妖精・天使・妖怪等々人知を超えた存在を総称して『夢幻ヴィード』と呼ぶんだ。ここまでは大丈夫?」

「はい」

ステンドグラスから美しい光が差す。

日本から遠く離れた異国の地にある小さな教会で、私は講義を受けていた。

「俺達、『境界の守護者フロンティア・ガーディアン』は本来在るべき世界から俺達のいる世界に迷い込んでしまった『夢幻ヴィード』が一般人に見つからないように保護したり、人に害をなす『夢幻ヴィード』を討伐したりするのが主な仕事だね」

柔らかい口調と常に微笑んでいるように細められた目元は酷く優しげで、ここらでは珍しい見慣れた黒髪黒目と相まって、彼のことを無条件で信頼してしまいそうになる。

彼は言うなればレリックさんの同僚にあたるらしく、私に『境界の守護者フロンティア・ガーディアン』の一員として生きていく為に必要な知識や技術を教える事となったようだ。

「『境界の守護者フロンティア・ガーディアン』の内部構造は知ってる?……分かった、それも説明しよう。ざっくり分けると『境界の守護者フロンティア・ガーディアン』は四つの部隊で構成されているんだ。まず『夢幻ヴィード』と一般人が関わることのないように野良『夢幻ヴィード』の保護や隠匿をする防衛部隊、彼らを番犬と呼ぶ『夢幻ヴィード』も居るね。次に世界中から情報を集めて『夢幻ヴィード』の発生や場合によってはその弱点を調べる諜報部隊。隊員達の体調管理から怪我の治療までを一手に担う医療部隊。そして人間に害をなす『夢幻ヴィード』を速やかに排除する討伐部隊。防衛部隊と対比して猟犬とも呼ばれる。配属は基本的には本人の希望に沿うんだけど、特定の分野に高い適性があると有無を言わせず配属が決まることもあるよ」

説明を聞いていて疑問に思ったので尋ねてみた。

「安倍さんは討伐部隊なんですよね、自分で希望したんですか?」

この優しげな青年が好き好んで討伐部隊を希望するとは思えなかった。

「いや、俺は有無を言わせず配属が決まった方だね。……俺の実家がちょっと特殊でね、俺としては諜報部隊とか希望だったんだけど適性が完全に討伐部隊向きだったから……」

少し眉を下げて困ったように笑う姿に少し同情した。

「……疑問なんですが、『夢幻ヴィード』って死ぬものなんですか?」

討伐部隊、というものがあるのならきっと何か倒す手段があるのだろうが、人知を超えた存在を人がどうこう出来るのか、甚だ疑問だった。

「……それを説明するには、そもそも『夢幻ヴィード』とは何ぞや、という話になるんだけど」


曰く、彼の話を纏めると『夢幻ヴィード』とは、人の感情や欲望が寄り集まって生まれた存在、である。

例えば天使は信仰心や願いの集合体、悪魔は恐怖や嫌悪、欲望の集合体、といったように

そしてそれらに『名前』や『逸話』が付く____『個』を持つようになると、それらは非常に強力な『夢幻ヴィード』になる。

そして『夢幻ヴィード』は人の心から生まれたものである故か、人からどう思われているか、が存在を左右する。

「君が出会ったのは吸血鬼だったね、彼らは非常に高い知名度を持つ強力な種族だけれど、それ故に弱点や対処法が知れ渡っている。それに『吸血鬼』は有名でも、名前や逸話を持つクラスとなるとドラキュラ伯爵や女吸血鬼カーミラくらいに限られてしまう。結論としては『夢幻ヴィード』は消滅させることは可能だよ……それを死と呼ぶかどうかは別として」


夢幻ヴィード』はその存在の明瞭さにより五段階に区別される。

一番下がD級で、これは生まれたての『夢幻ヴィード』のようなもので名はなく知性すらない。

C級は知性や種族としての名前を持つが、自我は持たない。

B級以上になってようやく個体名と自我を持ち始める。

A級になると個体名の他に二つ名や逸話を持ち、非常に高い知性を持つ。

そしてA級より強力な『夢幻ヴィード』はS級と分類される。

しかしS級に相当するのは世界中に名の知れたほんのひと握りの存在だけで、ほとんど存在しないに等しいらしい。

「実在するかどうかは別として、S級に成り得る存在としては高い知名度を持つ悪魔や天使かな。それらは広く信じられているから」

逆に都市伝説や伝承などに出てくる怪物は酷く限定的な地域でしか知られていない為、強力な『夢幻ヴィード』が生まれることは珍しく、ましてやS級となることはほぼ不可能である。



安倍さんと話し込んでいると、重厚な鐘の音が鳴る。

「おや、もうお昼だね。今日の講義はここまで、午後は地下の運動場で訓練だから動きやすい服装に着替えておくこと」

「はい、ありがとうございました」

この寂れた小さな教会の地下には、『境界の守護者フロンティア・ガーディアン』の基地とも呼べる空間がある。

ここは支部であり本部がどこにあるのかはまだ知らないが、世界中に同じように支部が展開されているらしい。

安倍さんの後を追って食堂へ行けば、意外と多くの人がいることをこの数日で学んだ。

「……そういえば、レリックさんはどこにいるんですか?」

私をここへ連れてきてから数回しか顔を見ていない。

「あの人は忙しいからね、多分任務で飛び回ってるんじゃないかな」

「同じ討伐部隊なのに一緒に行動しないんですか?」

「討伐部隊は個人主義でね、余程強力な『夢幻ヴィード』でも現れない限り、基本的には個人で行動している隊員が殆どだ」

安倍さんはともかく、レリックさんが誰かと一緒に協力して働いているところ、というのは確かにあまり想像がつかない。

「じゃあ、安倍さんも任務に行くんですか?」

「いや、俺は前の任務で足をやってしまってね、今は療養中なんだ。だから当分は君の教育係を務めることになってるよ」

「そうなんですか!?全く気付きませんでした。足は大丈夫なんですか……?」

歩いている姿に違和感は無かったが、療養するほどの怪我をしているならばかなりの重体なのではないだろうか。

「大丈夫、大丈夫。怪我というか呪いみたいなのだからゆっくり解くしかないけど、医療部隊のお陰で痛みはほぼ無くて済んでるし」

ちらりとズボンの裾から見えた足首は、どす黒い鎖のような痣があった。



安倍さんの足がすっかり治る頃、私はようやく一人前として認められ、そして初めての任務の命令が降りた。

支給された端末はこの教会がある町、ヴィルベイからそう遠くない所にある森を示していた。

森の中から奇妙な音がするという近隣住民の訴えと諜報部隊が森を調べた結果、C級相当の人に対して敵対的な『夢幻ヴィード』がいる、という確信が得られた。

肝心の『夢幻ヴィード』については可能性のあるものがいくつか絞られていたが、未だ確証を得るに至っていない。

この任務は私一人で対処する。

何故なら、私が討伐部隊の一員だからだ。

……私は諜報部隊や防衛部隊を志望したのだが、私の周りはそれを許さなかった。

私には悪魔が憑いてる。

それは寄生虫と宿主のような関係で、宿主である私が死ねば自分も危うい為、悪魔は多少私を守ってくれる。

といってもあくまで一方的な関係なので必ず助けてくれる訳でもなく、また悪魔は私の身を守ることはしても私の願いを叶えてくれる訳でもない。

しかし、他の人間に比べれば遥かに死ににくいのは確かだ。

これが契約となれば話は変わる。

契約は人間が対価を差し出し、悪魔が力を貸す対等な関係。

多分、レリックさんと『マモン』____おそらく七つの大罪の【強欲】を司る大悪魔____がその関係にあたる。

あの日以来、全く顔を合わせていない彼の人は複数の悪魔と契約して数々の『夢幻ヴィード』を討伐してきたと聞いた。

悪魔との契約で彼の人の身体は十五歳で時を止め、S級の『夢幻ヴィード』と契約しているという噂さえある。

閑話休題

ただでさえ危険な任務が多く、人材不足に悩む討伐部隊にとって悪魔に守られた人間というのは喉から手が出るほど欲しかっただろう。

結局私も安倍さんと同じように、半強制的に討伐部隊の一員となったのだった。

「はぁ……」

無意識にため息が漏れたのに気付き、気を引き締め直す。

目的の森はもうすぐだ。

秋と冬の境目の今、地面は色とりどりの葉で覆われ何の痕跡も見出すことは出来ない。

証言によれば、奇妙な音は森の中心部から聞こえるらしい。

慎重に森へと踏み入った。



森に入って一時間は経った頃、私は一つの確信を得ていた。

馬の足跡、私の頭より高い位置にある複数の切り傷、これらから導き出されるものは……

馬の嘶きが聞こえる。

あぁ、荒々しい蹄の音が迫ってくる。

「首無し騎士……!!」


デュラハン、スリーピーホロウ、数多くの名前を持つそれの本質は『死を告げる者』。

死を予言し、執行する妖精としての側面と生者を憎み、その首を狩る不死者アンデッドとしての側面を合わせ持つ存在。

今回は、不死者アンデッドとしての要素が強い個体と思われる。

……このまま放置すると一般人が襲われる可能性が高い、決して逃がさず討伐しなくては。

蹄の音が止む。

首無し騎士は、もうすぐそこまで来ていた。

悼ましい姿だった。

時代錯誤の古びた鎧と血と脂で汚れた身の丈ほどある大きな刃。跨る黒馬は騎手と同じく首が無い。そして何よりも左手で脇に抱えられた血の滴る頭!

紛うことなき怪物がそこにいた。


基本的に不死者アンデッドを討伐する方法は酷く限られる。

銀の武器で身体のどこかにある核を破壊する、もしくは再生が追いつかない速度で焼く、など。

通常、首無し騎士の核は頭の部分にある。

どうにかして頭を奪い取り、破壊しなければ。

『Aaaaaaaaaaaaa!!!!』

怪物の咆哮が開戦を告げた。



叩きつけるように振り下ろされる刃を後ろに跳んで躱し、体勢を整える。

首無し騎士の一撃は強力ではあれど、その分大振りで隙が多く狙いも大雑把だ。

それを回避し続けるのは難しくないが、それだけでは怪物は倒せない。

再び振り下ろされる刃を、今度は後ろに跳ぶのでは無く逆に前へ踏み込む。

「今だっ……!」

攻撃直後の硬直を突いて首をもぎ取る。

兜に詰まった青白い頭に銀のナイフを振り下ろす。

柔らかい腐った肉を裂く感覚とその中で薄いガラスが割れるような感覚。

『Aaa、Grrrraaaaa!!!』

首無し騎士の咆哮が苦しそうなものに変わる。

核は破壊した、直に崩壊が始まるだろう。

痙攣する頭から離れてふっと息を吐く。


……その時、女性の笑い声が聞こえた。

「……え?」

振り返ってももちろん誰もいない。

でも確かに小さな、本当に小さな笑い声が聞こえたのだ。

「何なの……」

気味が悪いと思いながらも首無し騎士に向き直ると、そこには何も無かった。

「…っ!」

突如、背後から風を切る音がする。

咄嗟に前方へ跳ぶと、足に鋭い痛みを感じる。

いつの間に背後に、いやそれ以前に核を破壊された状態でここまで動けるものなのか。

振り返った先にいる首無し騎士は、異様だった。

全身に罅が入り今にも崩れてしまいそうなのに、全身から黒い霧のようなものを噴出しながら此方へ向かってくる。

足が熱い。

逃げようとしても力が入らない。

甚振るようにゆっくりと近付いてきた首無し騎士が、上段の構えをとる。

振り下ろされる刃がスローモーションのように見える。

……黒く染まる視界の中、私の前に立ちはだかる人物と長い鮮やかな金髪が見えた気がした。




目を覚ますと、見慣れた教会の地下にある自室の天井だった。

「あれ、私……」

「目が覚めたな、大丈夫か?」

簡素な木の椅子に、天使が____いや、レリックさんが腰掛けていた。

「……天使かと思いました」

「頭は打ってないはずなんだが……まぁ元気そうだな。足の傷もそう酷くはない、後遺症も残らないらしい」

今更に毛布の下の足を見ると、包帯が巻かれていたが大した痛みは無い。

「それで、どうした?今回の任務はC級の首無し騎士だった、そうそう遅れをとる相手じゃないと思うが」

此方を見つめる静謐な蒼い瞳にだんだんと記憶が戻ってくる。

「核を破壊するまでは順調でした。その後、女性の笑い声が……聞き間違えかもしれないんですけど聞こえて、それに気を取られていたらいつの間にか背後に首無し騎士が居て、避けたつもりだったんですけど……」

「ん?核を破壊した後に後ろに移動されたのか?」

「はい、本当に速くて切られるまで気付きませんでした。……あと、何か黒い霧みたいなのが噴出していて崩壊寸前に見えるのに恐ろしく強かったです」

「……女の笑い声、黒い霧、崩壊寸前……」

「でも、レリックさんが助けてくれたんですよね。迷惑をかけてごめんなさい…でもどうして私の居場所が分かったんですか?」

「いや、お前を助けたのはそいつだ」

レリックさんが指差す方を向くと、中世の貴族のような服を着た白髪の青年がいた。

……空中に。

「やぁ、ちゃんと会うのは初めてだね」

そう言って青年は片眼鏡モノクルの奥の赤い瞳を細めて微笑んだ。

「オレはダンタリオン、ソロモン七十二柱序列七十一位の情報と幻の悪魔……そして、十二年前に君に封印を解いてもらった者だ」

「封印……?」

「君、僕の封印されてた本に血を垂らしたんだよ。それで二百年ぶりに外に出られたからね、お礼に君を守ってあげようと思って憑いてたんだ…まぁ助けてあげる対価にちょっとした不運に見舞われるのはご愛嬌だよね」

昔、見慣れない外国語の本を孤児院の図書室で見つけた。

小さかった私はその本を読もうとして、ページで指を切ってしまったことがあった。

……まさか、それが?

というか私の不運には原因があったのか。

助けてくれたことを喜ぶべきか、不運をもたらしたことを恨むべきか。


呆然としていると、レリックさんがため息を吐いたのが聞こえた。

「B級以上の気配はしていたが、ダンタリオンか……面倒だな」

「そんなにダンタリオンは強いんですか?」

「単体の戦闘能力で言えば、首無し騎士より断然弱い。が、ダンタリオンの能力は思考操作と幻術、それに加えて高い知能と教養を持つ……敵に回すと厄介なことこの上ない」

「そんなに褒められると照れてしまうな」

にこにこと笑う姿は普通の人間のようで調子が狂う。

「で?何で今になって出てきたんだ。契約する気にでもなったのか?」

「宿主が危険だったからって言うのもそうだけど、不思議な魔力を感じたんだよね。美味しそうというか魅力的というか……これが欲しいな、って思ったんだ」

「……不思議な魔力?」

「『何』とは言い難いんだけど、言うなれば透明で何にでもなれる原初の魔力、かな」

「それは……」

ダンタリオンの言葉を聞いて、レリックさんが考え込むように視線を下げる。

あの蒼い瞳が今何を写しているのか、私には到底分かりえなかった。



「それで?お前はこれからどうするんだ。またこいつに憑き続けるのか?」

「オレ?……そうだね、特に何かしたい訳じゃないんだ。この子に憑いてて退屈しないしね」

意を決して口を開く。

「あの、ダンタリオン……私と契約して欲しいの!」

「それは構わないけど……どうして急に?」

「急じゃない、ずっと思ってた。……私は強くなりたい、誰かを____大切な人を守れるように」


この数ヶ月、訓練して改めて思った。

人間は脆い。

夢幻ヴィード』に対して人間はあまりにも弱く、小さい。

ほんの少しの油断が自分の、そして何の罪もない人々の死につながる。

「その為に一番の近道があなたと契約することなの」

「……ふふふっ良いね、君は頭の回転が速くて度胸も据わってる。悪魔と契約することの意味は知っているだろう?」

「当然」

悪魔と契約した人間は歳を取らない。

そして対価を差し出さなくてはならない。

……それがどんなに大切な物だろうと。

「気に入った、君をオレの契約主にする。対価は……【知識欲】」

「【知識欲】?」

「そう、オレは人間の好奇心や知識欲で構成された悪魔だ。……君はこれからずっと何かを『知りたい』という欲を抱えて生きていくんだ」

「元々好奇心は強い方なの」

「それはそれは」

ダンタリオンがパチンと指を鳴らすと複雑な紋様の魔法陣が現れる。

「君の名前は?」

「栞です、萩原栞はぎわらしおり

「うん、良い名前だ」

ダンタリオンの指が私の額に触れる。

『Dantalion nomen meum、Dux magna ex inferno, qui in crimen artis et scientiae Vide autem Information manipulate robustas calumniando domum et homo voluisse illudere Shiori Hagiwara、tu redde possibile Omnis scientia evanescet Usque ad id tempus, nomen meum et virtus mea Ego offerre』

聞き慣れない言葉を歌うように連ね、私の額に紋様を描いていく。

『posthac eGO vos gladio、vos clypeus Et,Quidquid disciplinam!』

ダンタリオンの詠唱が終わった瞬間、心臓がドクリと大きく鳴った。

「何なりとご命令を、主殿」

そう言って傅くダンタリオンを見て、あぁ自分は本当に『悪魔』と契約したのだな、と今更ながら思った。

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