第22話 決別する。

 渋郎は静真が託した護符をきちんと娘に渡してくれていた。

 静真の術が編み込まれたそれは持ち主の居場所を正確に伝えてくれる。それでも最速で空をかけてももどかしかった。

 佐徳に術を向けられている時は、ざっと血の気が引いた。

 術を編む時間すら余裕もなく、ただ強引に娘をさらった。間一髪間に合って腕に抱えた娘は、まん丸に目を見開いている。

 その様子ならば命に別状のある傷はないだろう。そう思っていても聞かずにはいられなかった。


「大事ないか」


 地に降り立ちながら静真が問いかければ、答えの代わりのように衣にすがりつかれた。

 娘のぬくもりに一気に安堵が押し寄せてくる。

 しかし、静真の背後を見た陽毬が硬直するのを感じた。


「し、静真さ……つば、つばさが。血がっ」


 見れば青ざめた娘が静真の背にあるはずの左翼が切れ落ち、赤い血がしとどに流れていた。

 痛覚は既に絶っているが、あぶられるような違和は残っている。背中だから娘が血染めになることはないだろうが、止血しなければ今後の動きに支障が出るだろうと冷静に考えた。


「大丈夫だ」

「で、でも血が、大事な翼なのに」


 娘にそのように思わせていたのか、と静真は理解しつつも穏やかな心地だった。

 この翼だけが天狗であることの証しで、静真は何よりも固執していた。だがそれが呪縛だったことも気付いている。もう天狗であることにもこだわらなくて良い。

 静真は息は上がりきり汗みずく、さぞや無様な姿をしているだろう。翼を失うなど天狗にあるまじき醜態だ。

 だがそれでも、娘の窮地には間に合ったのだから。


「もう良いんだ」

 

 そう伝えても娘は首を横に振るばかりだ。本心からの気持ちだったのだが、娘はぼろぼろと涙をこぼしている。

 できれば泣いて欲しくなかったが、この娘は静真が考えているよりは強いとはいえ、このような修羅場は堪えるだろう仕方がないのかもしれない。


「静真!? なんでお前がここにいる!?」

 

 浸っていた静真は、佐徳の動揺した声音に振り向いた。

 そこには苛立ちと驚愕に顔をゆがめた佐徳と里の天狗がいる。

 土まみれの上、腕に怪我を負っているのは天狗達が原因だ。さらに言えば、娘をおぞましい方法で蹂躙しようとしていた。

 報復をしたい気持ちと一刻も早くここから娘を引きはがしたい気持ちが静真の中でせめぎ合っているが。静真は娘を抱えたまま告げた。


「俺は里と縁を切る。娘を贄にするのもあきらめろ」


 天狗達は戸惑いと驚愕に目を見開いていた。天狗達は里に対して絶対の自信を持っている。それを捨てると言われれば理解ができないのも無理はない。

 だが佐徳はどす黒い憎悪に染まっていた。

 そのすさまじい形相に娘が眉をひそめるのを感じたが、静真にはどうでもよかった。


「それが許されると思っているのか混ざり物!」

「許す許される以前に、静真さんのすべては静真さんのものです!」


 激昂した佐徳に負けぬ剣幕で娘が言い放ち、静真はこのような状況でも虚をつかれてしまった。

 だが目に涙があるとは思えないほど、怒りをあらわにする娘はたいそう鮮やかに見えた。

 娘は共に過ごす間に、そんなことはひと言も口にすることはなかった。そうすべて態度で示してくれていたのだ。選択権をすべて静真にゆだねて。

 どれだけ娘に守られてきたのだろうと、静真は今更気づく。だがそれを悪くないと思えるのはこの娘から注がれるものに心がほどかれていたからだ。

 無性に晴れ晴れとした気分で静真は地に落ちた己の翼を、佐徳に向けて放り投げた。


「混ざり物とはいえ天狗の翼だ、贄が必要ならそれで足りるだろう。それでも呪詛を退けられないというのなら、里の運命もそれまでと言うことだ。もう二度と、関わってくるな」


 静真が淡々と告げれば、佐徳はぶるぶると震えたかと思うと、激昂した赤い天狗の顔がどす黒く染まり、醜く歪む。

 そういえば、佐徳は誰よりも静真を目の敵にしていたなと思い出した。


「人間にでもなるつもりか」


 侮蔑をにじませる佐徳に静真は思わず笑った。おかしいことを言うものだ。


「いいや人が混ざっていようと、天狗の翼があろうと俺は俺だ。そもそも天狗にこだわる必要がなかったと気付いただけだ」

「静真さん……」


 娘が惚けたように静真を見上げるのがわかった。時間をかけて教えたのはこの娘なのだが。

 だがそれをわからない佐徳は激しい憎悪をむき出しにして声を荒げた。


「許さん、許さんぞ静真! お前が恵まれるなんてあっちゃいけないんだよ!」

「許さない、と言うのならどうする?」

「は?」


 戸惑いをあらわにする佐徳に、静真は悠然と言って見せた。


「貴様らの誰が、この俺に勝てる?」


 確かに静真は片翼を失い、疲労も濃い。だがそれすらもハンデにならないといいのける静真に、周囲の天狗は一気にひるんだように後ずさっていた。

 無理もなかった。なぜならば里の中で誰よりも神通力に優れ、武技の研鑽をし、何より外で実践を積んでいたのは静真だったのだ。この場にそろう天狗の誰もが、静真に敵わないことを思い知っていた。

 しかし、佐徳だけは憎悪をむき出しに刀を抜いた。


「なんで、なんで落としても落としても這い上がってきやがる。親父だってそうだ。俺の方が優秀なのになんで俺を見ない! 目障りなんだよ!!」


 そのまま、翼を駆って刀を振りかぶった。

 静真は娘に結界符を押しつけると、抜いた刃で佐徳のそれを受け止め流す。

 たちまち激しい応酬となった。


「静真さんっ」


 結界符は静真が用意できる中で一番強固なものだ。とはいえ戦意を喪失していてもほかの天狗がいるし余波で壊れる前に決着をつけねばならない。

 佐徳は消して弱くはない。里の中でも上位に位置する実力を誇っている。常の静真でも手こずる相手だ。

 さらに片翼がないせいで静真の体の感覚が狂っていた。

 それをわかっている佐徳は顔を歪ませて、的確な猛攻を加える。天狗特有の翼を使った身軽さと豪腕で静真を押していった。

 静真の髪が一房切られ、膝をつく。


「その翼じゃ飛べないだろう!? 女と共に死ねえ!」


 佐徳の頭上からの振り下ろしが襲いかかる。静真は地を蹴ると同時に力強く羽ばたかせた。

 一気に空へと逃れたせいで、空振りに終わった佐徳が体勢を立て直す前に、静真は佐徳の頭上をとっていた。


「片翼でも、飛ぶことは出来るさ」


 静真は軽やかに言い放った。

 なぜならば、天狗が飛ぶときに使うのは、翼ではなく神通力だ。

 姿勢を保つために翼がある方がずっと安定するが、極論なくとも飛べるのだ。


 心底悔しげな佐徳が、無理な体勢で振る刀を弾き、返す刀でその首に峰打ちを落とした。

 佐徳は地面へと墜落すると、動かなくなった。


 慈悲でも何でもない。天狗は身内が殺されれば総出で報復しに来る。殺した方が面倒なのだ。

 静真は刀を納めると、未だに混乱している娘を結界から取り出し腕に抱え直す。


「ひゃっ」

「二度と関わるな。と言っておけ」


 静真は立ち尽くす天狗達にそう言い残すと、片翼を広げ飛びだった。

 やはり飛びづらさはあるがゆっくりであれば問題ない。

 衣服は血で汚れ、ただ片翼のみのその姿。しかし当然とばかりに顔を上げる静真は誰よりも誇り高く美しかった。

 そのゆっくりとした飛翔を阻む者は居なかった。

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