第8話 はずす。
静真の言葉に、娘はこぼれ落ちそうなほど目を見開いて動揺を示した。
「し、静真さんが着いてこられるんですか!?」
「そう言っているだろう。俺ならば大方の妖には対処出来るしな。ありがたく思うが良い」
「でもでも、繁華街ですし……人が沢山いますし……」
「俺が居ては不満か」
「いえものすごくうれしいです静真さんとお出かけ! ただ、目立つのはご遠慮したいといいますか……」
ここまで己が譲歩をしていると言うのに、と静真がいらだっていたが、気まずそうにする娘の視線がたどるのは、静真の服装だ。
今日の静真も山伏の法衣に似た天狗装束だった。暑い日には薄物にしていたが、人には見られぬよう隠行をしていたため特に不都合はなかった。
が、人里の繁華街に出るには適しているとは言えないのも確かだ。
少し考えた静真は、ふとちゃぶ台に開きっぱなしになっていた雑誌に目が行く。
そこに載っていた人間の男を細部まで確認した後、印を結んだ。
ふ、と神通力が全身を通って行ったことを感じ、自分を見下ろす。記憶した通り、雑誌のジャケットとスラックスに変わっていた。
洋装は足や肩周りが窮屈であるし、背中が完全におおわれて居るため翼が出せないことが不自由だが、動けなくはない。軽く動かして不備がないことを確認していれば、目の前に居た娘が目を見開いて硬直していた。
「これで問題ないだろう」
「え、静真さん!? 洋服!? 雑誌のイケメンファッション? え、え?」
「術で服をそれらしく見せている。俺の神通力だから出来ることだがな」
「じんつうりきばんのう」
娘が呆然とこぼすのに満足した静真は、髪を払ってきびすを返した。
そう言えば、草履も変えなければならないか。洋装は面倒だが、やるなら完璧に整えるのが静真の流儀だ。
ベランダに置いた高下駄を回収して静真が振り返れば、顔を赤らめていた娘が顔を見上げたとたん困ったように眉を八の字にした。
「まだなにかあるのか」
「あの、面は、外せませんか」
初めて、娘が面を話題に出したことに静真は虚を突かれた。娘があまりにも自然に受け入れていたものだから忘れていたが、とっさに答えた。
「別にかまわんだろう」
「私が行きたいのは若い人が集まる街なので。なんなら写真とか撮られて悪目立ちしちゃいます。静真さんも目立つのは嫌、ですよね」
おずおずと娘にうかがわれ、静真は唇をこわばらせた。
娘の顔色が少し悪くなったのは、静真が不機嫌だと思ったからだろうか。
「ごめんなさい、とても大事なものでしたら無理にとは言いません」
それもなくはないが、一番の理由は娘に面を外せと言われても忌避感が湧かなかったからだ。
この面自体には、外れづらくするまじないと顔を認識しづらくなるまじないがかかっているだけだ。静真が言葉を尽くさずとも天狗だと主張するためのものであり、静真の天狗らしくない顔を隠すための道具に過ぎない。
そう、人に紛れる必要がある時には外してすらいるものだ。護衛を完璧にこなすためには外すのが順当だった。
にもかかわらずなぜためらっていたのか。
静真は胸の内に困惑を抱いたまま、ゆっくりと後頭部にあるひもをほどき、天狗面を外した。
注意深く造り込んでいたものの、外すとやはり視界が広がり、わずかに頼りなさを覚える。 が、表情には出さず、眼前に居る娘を見下ろした。
「これでいいか」
娘の瞳がこぼれんばかりに見開かれ、ぽかんと唇が開かれる。
いつまでも返事がかえってこず静真は眉宇を潜めた。この顔は里の者に唾棄され嫌悪され、付けろとよこされたのがこの面だった。
静真に人間の造作はわからないが、娘にとってもこの造作が不愉快なものならば、表に出すべきではなかった。
「……やはり隠そ」
「きれいですね」
天狗面を持った手に力を込めた静真に、娘がつぶやいた言葉が重なった。
ほれぼれとまるでまぶしいものでも見るように目を細める娘に、嫌悪の色はまったく見えない。
言葉の意味が上手く頭に染みこまず、静真が硬直していれば、息を吹き返した娘がきらきらと表情を輝かせて騒ぎ出した。
「静真さんの素顔こんなにかっこいい方だったんですね! もうかっこいいなんて言葉だけじゃ言い表せませんよ、そうです私はいま、
「たかが顔だろうに、いつもよりうるさいぞ」
「私が想像していたよりもずっとかっこよくてびっくりしてるんです許してください! ……あ、もしかして神通力で顔を人に見せていたりしますか! でしたら静真さん美術もお上手なのですねっ」
「これが元の顔だ。俺は混ざり物だからな」
勝手にこぼれた言葉に静真は愕然とした。まさか自ら明かすようなことでもないのに、なぜ自分から言ってしまったかわからなかった。
とっさに娘を伺えば、娘はよくわからないと言わんばかりに小首をかしげていた。
「まざりもの、ですか?」
「俺は、天狗だが人の血が流れてるからな」
「はあ。そうだったんですか」
娘の予想外に淡泊な返事に静真は拍子抜けした。己にとっては重い事柄でも娘にとってはたいしたことはなかったのだ。
「……見苦しいのなら変えるが」
「全然おかしくないですよ!? 是非出していきましょう! このすてきなお顔を隠しているなんてもったいないです! このまま行きますよ静真さん、お出かけ付き合ってください!」
熱心に言いつのる娘の勢いに押されて、静真は素顔のまま玄関から外出することになった。
そういえば、隠行の術を使わずに町中へ出るのは初めてだったかもしれないと、静真は繁華街を出たとたん、多くの視線を感じたことで気がついた。
電車に乗車している最中も思ったが、顔をさらしている静真の反応は二分されているように感じた。
ひとつは、静真のことをまったく気にせず素通りする者。多数の人間がそれだったため静真の装いに不備はないと納得出来たが、一方で感じる熱を帯びた視線に困惑していた。
ある若いは己を見上げて目を見開き、女の集団からはすれ違った後に妙にせわしないささやき声が交わされる。
よほど振り返って理由を確かめようかと考えたほどだが、それでは静真が視線に気づいていると悟らせることになるため殺気を当てられない限りはやり過ごすことにした。
が、頻度が高すぎる。まだ静真が気づいていない不備があるのではないか。常になく素顔がさらされているせいで落ち着かない静真は己の顔がどんどんこわばっていくのを自覚したが、娘の護衛のためだと言い聞かせ彼女の隣を歩く。
すれ違う際にぶつかりそうになるほどの人が行き交う中、娘は危なっかしく歩いていたために、気をつけるべきことは山ほどあったのだ。
「静真さんがかっこいいからみんな注目してますね」
異国の言葉を聞いたような気持ちで、静真は傍らの娘を見下ろした。
娘がふわふわとした髪を揺らして、嬉しそうに笑みをこぼしていた。
「どういうことだ」
無視することも出来ず、だがどのような言葉を発すれば良いのかもわからず静真が硬質な声を返せば、娘は歩みを止めないままゆるりとこちらを見上げた。
「え、言葉のままですよう。静真さんの所作や佇まいはすごくきれいですから。皆さん目が吸い寄せられてるんだと思いますよ」
「は……?」
「もちろん、男性では珍しい長い髪、って言うのも目が吸い寄せられるし身長が高いのに均整がとれた体つきをされてますから見応えありますし、歩く姿も颯爽としてますもの。一つ一つの所作が花があるってこういうことを言うんでしょうか。顔立ちが整って居るのも相まって私も見とれちゃいます」
いつもの娘の無駄口に、静真は形容しがたい気分になった。
娘の口を無性に封じたい。しかしそれが本当だとすれば、ここまで見て感じていた視線に殺気がないこともただの興味だったからと納得できる。しかし素直に受け入れがたくもあり、ぐっと拳を握った。
「……人間に賞賛されたとして、それは俺が人間のようだと言うことだろう」
苦し紛れに言ったつもりだったがそれが自分の本心であると気づいて、どろりとしたよどみが腹の底に溜まる。しかし、娘はきょとんと目を瞬いた。
「え、でも静真さんだって鳥を見てきれいとか、お空見て素敵ー!とか思いますよね。それと一緒ですよ。そうですねえ妖っぽいのできれいだなと思ったのは雪女さんですね。女の私でもぞくぞくするくらい美人でした。妖狐さんの毛並みもさわらせていただいたことがあるんですけどものすごくきれいで、ふええってなりましたし。あ、あとかわいいと思ったのはけうけげんですね」
「まて、けうけげんは埃と病魔を呼び寄せる妖だぞ」
「はい、弟にめちゃくちゃ怒られました。けど外見はふわふわしててかわいいんですよねえ」
言葉が聞き捨てならず思わず言った静真だったが、娘はのんびりと頬に手を当てていて言葉が響いた風はない。
静真は少し脱力したが、雪女も妖狐も美しいとよく言われる妖であったと思い出す。娘の感性はずれている部分もあるが、美醜に関してはそれほど的外れではないようだ。
それは、つまり。
「美醜って人でも妖でも違いますけど、静真さんが静真さんだからきれいだって私は思ったんですよ」
あっけらかんと娘に続けられた静真は、返す言葉が見つからず黙り込んだ。
しかし静真が言葉を返さないのは日常であったため、娘は特に気にした風はなく別の話に移っていった。
「じゃあ、先ずは本屋さんと、そこからお洋服屋さんとそうだ。せっかく静真さんがいらっしゃいますし、食器売り場も行きましょうか。その前に久々にお外でお昼を食べるのも良いですね」
いつもよりもこころなしかはずんだ娘に引き連れられて、入ったのは大型商業施設だ。そこで娘の目的がすべて果たせるらしい。
娘はあまり運動神経は良くなかったが意外に体力はあった。
輸入食料品店で食材を吟味し、食べたことないものを見せられた。店内の通路が狭いために娘がぶつからないか気になったが娘はそんな気も知らず、静真に無邪気に箱を持って訊ねてくる。
「静真さんどっち食べてみたいですか?」
「食べたことがないものをわかるわけないだろう」
「パッケージが気になったとかでも良いんですよ。ね!」
静真がぎゅ、と眉を寄せれば、娘は静真を見上げて表情を緩ませた。
「よし、どっちも買いましょう。こう言うのって大体二人ぶんなので、一人だとちょっと食べづらいんですよ」
ならなぜ俺に聞いたと静真は思ったが、娘はさくさくと会計すると今度は食器売り場へ立ち寄った。まっすぐ向かったのはカラフルな箱がならぶ一角だ。
「……何を選んでいる」
「静真さんのお弁当箱です。ご飯茶碗は私が買ってしまいましたけど、持ち歩くなら好きなもののほうが良いですよね」
「は?」
「私が出かけることが多くなってしまうので、すれ違いそうな時はお弁当を持って行ってもらうのもいいかなと思いまして、どうです?」
食事が目的だったわけではないため、そのような提案をされると思っておらず静真は娘が掲げた無骨な弁当箱をみた。
「こんな箱は邪魔になる」
「そうですか。確かに静真さんいつも荷物少ないですもんね。折りたためるやつとかのほうが良いでしょうか」
「そもそもお前の部屋以外でゆっくり飯など食わん」
「うえっ!?」
再び吟味し始めた娘がぎょっとしたようにこちらを見上げた。
その頬がほのかに赤く染まっているのを、静真は怪訝に思った。
「どうした」
「あっ、いえじゃあおにぎりとかを小風呂敷で包んだほうが良いです!?」
「……必要ないとは考えないのか」
「私が食べさせたいです」
そこだけは目をきっと真剣にして娘は譲らなかったため、静真はため息をついた。
娘は静真を見つめていたかと思うと、ふんわりと微笑んだ。
「じゃあ小風呂敷選びに行きましょうか」
「好きにしろ」
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