第7話 ほどこす。

 はじめは川魚だった。

 天狗の里の近くには沢があり、川魚がよく釣れるのだ。

 幼いころの静真が空腹に耐えかねて手製の罠で捕まえて川原で焼いたことを思い出し、試してみれば、あっという間に捕まえられた。

 罠に入った岩魚に満足したところでなぜこんなことをしているのかと我に返ったが、娘は今までになく興奮した調子で喜びをあらわにした。


「いわな! さま! 焼きましょうめっちゃ焼きましょう! ああああ炭火が使えないのが残念ですが全力でおいしく焼きますっ。ありがとうです静真さん!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねんばかりに喜んでいた。静真はすこしこそばゆさを覚えた。

 どうやら人里では手に入りづらい食材だったらしい。結局なぜ岩魚を様付けするのかはわからずじまいだったが。


「山の幸はすごくおいしいけど買うとちょっとお高いんですよね……」

「ほかになにかあるのか」

「ぎんなんは近所の公園で拾えるんですけど、松茸とか、アケビとか、山芋とか。あ、あと栗とかクルミとかですね」


 それから静真はなんとなく目についたものを持って行くことにした。

 兎をつり下げて行った時は卒倒せんばかりに驚かせたようだが、捌き方を知らなかっただけらしく、静真が皮を剥げば心なしか面白そうに西洋風の煮込みにしていた。

 焼くくらいしか知らなかった静真は驚いた。

 娘が作るものは多種多様だった。


「なんか名前を聞くと食べてみたくなっちゃうので、試しに作ってみるんですよう」


 洋食というのは醤油の味がせず、バターやオリーブオイルで味付けしたこってりしたものだと知った。

 海向こうの料理には、静真が知らない食材の組み合わせで不思議な味がする。

 見慣れないものが来るたびに身構えるが、とりあえず新しい料理を持ってくる時の娘のわくわくと期待するような顔は気に障ったため、意地でも平静に食べている。


「静真さんあんまり強烈な味わいのものは好きじゃないんですね」

「しせんふうまーぼーどーふだったか。ああいったものを毎日食す国というものはわからん」

「……ほんとうにあれはごめんなさい。花山椒の量を間違えちゃって。でも静真さんよそった分は絶対食べきってくださいますよね」


 はじめこそ自分の名を呼ばれるたびに胸がざわざわとしていた静真だったが、最近は少し落ち着いていた。

 申し訳なさそうに上目遣いをする娘に、何を言っているんだと呆れる。


「食事を共にすること、と言ったのは君だろう。食べられぬ味で出されたことなどないのだから完食するのは当然だ。強烈でもまずくはないのだから」


 そう付け足せば、娘の顔がじんわりと赤く染まっていた。


「ふえ、そのありがとうございます……」

「事実だろうが。おかわり」


 うろうろと落ち着かなさそうに視線をさまよわせる娘に茶碗を差し出せば、娘はくすと笑って受け取った。


「あと静真さん、ごはんも好きですよね。ガパオライスにあんなに食いつくとは思いませんでした」

「鶏挽肉のそぼろだったか。さじで食べるのは野蛮だが合理的だったな。香りも慣れれば悪くはない」

「白米を炊き直すことになるとはおもいませんでしたけどね! あ、そろそろきのこがおいしい季節になりますし、炊き込みご飯とか作ってみますか」


 次の話をする娘に、静真は箸を使う手を一瞬止めた。

 娘は杖を使わなくなって居ることには気づいていた。しかし娘はいまだに足を少し気にする様子を見せる。

 更に言えば静真は対価を持ち込んでいるのだ。ならば食事をする権利はある。


「茸か。松茸なら採れる場所があるな」

「静真さんさらっと言ってますけど高級食材ですよ!?」

「良いではないか、普段口に出来ぬものが味わえるぞ」

「それはそうですけど……ううう静真さんが持ってくるもの全部おいしくて困るんですう」


 驚く娘の顔に満足して、静真は今日の菜である鶏ささみのピカタを切り分けた。

 季節は夏から秋に入り始めていた。




 *




 仕事は一度完遂した後は、万が一にでも穢れを持ち込まぬために数日は離れにこもるか、里に近づいてはならないことになっていた。

 以前はぼんやりと山の中で瞑想をして過ごしていたが、今は娘の元を訪れることが多かった。


 茸はうっかり種類を間違えると死に至ることは経験則で知っていた。

 静真は幼少のころ、佐徳とその取り巻きに食わされた茸で生死を彷徨って以降は見分け方を山の獣に教わっていた。しかし人の娘では特に気をつけなければなるまい。


 静真が松茸をはじめ吟味した茸の包みを持って訪れると、娘は鏡に向かって何かをしていた。すぐに静真に気づいて窓を開けるが、ふわ、と甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 菓子の匂いではない。女が身にまとう化粧の香りだった。

 時折押しかけてくる里の女や妖相手の遊郭に引きずり込まれた時に遊女から香ったものと似ていた。

 よく見てみるまでもなく、娘はうっすらと化粧をしていた。

 服も普段のゆったりとしたものではなく、少し華やかものを選んでいるらしい。

 少し幼さが残ると思っていた娘が少し違って見えて、静真が無言で立ち尽くしていれば、娘はこちらに気づいた。

静真が持ってきた籠に目を留めて一瞬嬉しそうしたが、申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「静真さんごめんなさい。久しぶりに遠出しようと思ってまして。お夕飯でも良いですか?」


 そう申し出られるのは初めてで、少し面食らった静真は瞬いた。


「遠出、とは」

「だいぶ足も良くなってきたので、電車に乗って秋物のお洋服とか、本とか買いに行こうかなあと」

「あの殺人的な乗り物に乗るのか」

「いえそんな物騒な乗り物じゃないですけど……あれ静真さん、電車を知ってるんですか」


 娘に意外だと言わんばかりに目を丸くされて、静真は少しむっとした。


「知っているし乗ったこともある」


 いくつか前の標的を尾行するために、何度か利用したことがあった。

 時間帯によってひどく不愉快な代物になった記憶が強烈で、人間社会とはなんと面倒かと思ったものだ。

 それよりも、だ。あのような乗り物に乗るには娘は脆弱過ぎるのではないか。


「お前は己が脆弱なことを忘れていないか。用事はあんな乗り物に乗ってまで行く必要があることなのか」

「大丈夫ですって、大学だって普通に行ってるんですよ?」


 秋に入ってから娘の生活習慣が変わり、日中留守にする時はあらかじめ告げられるようになっていた。一度、静真は彼女の通う”大学”とやらに行ったことがある。森深い場所にあり姿もとれぬ魑魅魍魎が、若い人間達の欲望を餌にするために集まっていた。

 静真が刀で話を付けなければ、取り込まれていただろうに。


「そもそも、だ。お前は妖魔に好かれ易すぎるだろう。守護の効かない場所で無事で済むと考えて居るのなら甘いぞ。俺が何度雑霊を祓った?」

「ええと、その節はありがとうございました?」


 ごまかすように頬をかく娘は、妖にどれほど自分が魅力的に映っているかわかっていないのだろう。

 渋郎のほかにも、娘の元を訪れる妖はいた。たいていは菓子や小さなおむすびをもらって去って行くが、中には明らかにそれ以上を望んでくるたちの悪いものも混ざっていた。

 娘を取り囲む呪具のために近づけないこと、そして天狗である静真の気配と通力の強さを感じ取ればたちまち去って行くために大事になっていないが、それがない場所へゆけばどうなることか。


「でも、買い物は必要ですし……ちょっと電車に乗るだけなんですけど」

「仕方ない。ならば俺がついて行こう。不本意だが護衛をしてやる」


 この娘から目を離すのは非常に抵抗があった。億劫だが、見える位置に居させた方が良い。

 ため息を静真がわざわざ提案すれば、娘の目がこぼれんばかりに見開かれた。

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