第6話 好む。
静真はすぐさま窓を開き、今にも逃げようとしていた小鬼の襟首をむんずと捕まえた。
静真の膝ほどの体長しかない小鬼は、ぼろ着をまとった体をよじりながら焦った声を上げた。
「ししし静真のあにさん! なんでお嬢さんの部屋にいらっしゃるんですかぐえっ」
「どうでもいだろう」
ぶるぶると震える小鬼の襟を締め付ければ黙った。それを聞きたいのは静真のほうだ。
ここに静真が居ることは誰も知らないはずだ。しかし偶然居合わせるような場所でもない。
ならば娘を狙って来たと言うほうがずっと可能性が高い。
まだ娘の怪我は治っていないため、静真が約束を果たしきるためには生きてもらわねばならない。小鬼が娘を狙っているのであれば今ここで処理しておく方が後々楽だろう。
「ちょ、まってくださいその左手の神通力、あっしに向けるなんていいやせんよね」
ぶるぶる震える小鬼に対し、静真が神通力を振りかざそうとした寸前、娘の声が響いた。
「ふえ天狗さん
驚きに満ちたそれに、静真が硬直したところで、手の中に居た小鬼、渋郎がすり抜けて娘へと走って行った。
「
「渋郎さん、天狗さんとお知り合いなんですか」
渋郎をのぞき込んでいた娘が戸惑ったように訊ねるのに、渋郎は勢い込んで話し出そうとする。
余計なことを言わせないため、静真はその背に殺気を当てれば、びくりと渋郎の小さな肩が震えてぎこちなく振り返った。
「あーえーっとその。そう! 静真のあにさんはちょいと仕事で知り合いでして、仕事の手伝いをさせていただいてるんですよ! ね、あにさん!」
問題のない説明だ。
冷や汗を掻きながらこちらに向けて同意を求める小鬼と、不思議そうこちらを見る娘に静真は無難に頷けば、娘はほのぼのとうなずいた。
「つまり渋郎さんと天狗さんはお友達なのですね」
「い、いえいえ陽毬さんそういうわけじゃ!」
「それよりもちょうど良かったですよ、渋郎さん。焼きたてのクッキーちょうど詰め終わった所なんです」
「クッキー!」
大いにうろたえていた渋郎は娘の一言で表情を輝かせた。
静真と渋郎の間に漂う空気には気づかないのか、娘はいつもの調子でのんびりと微笑みながらついさきほど詰めた紙袋を差し出した。
渋郎はそれをまるで宝物を受け取るように大事に抱えた。
「いつもありがとうございやす。今日は瓜のいいのをもってきやしたよ」
「わあ、すてきです! あ、そうでした手提げがあった方が良いですね。ちょっと待っててください」
渋郎がベランダに落としていた緑の俵型をした冬瓜を娘に差し出せば、娘は喜色をにじませながら台所へと去って行く。
その間に渋郎は思い詰めた表情で静真に向き直った。
この小鬼とは数年のつきあいだった。静真の何度目かわからない仕事の最中に見逃してやって以来、静真の噂を聞きつけてはどこからともなくやってきて世話を焼こうとする妖である。
まとわりつかれるのは少々鬱陶しかったが、渋郎がいたおかげで仕事がやりやすくなった部分もあるため、今では放置していた。
渋郎は渋郎で自分を利用しているのだと静真は知っていたから、お互い持ちつ持たれつだったはずだ。
しかし、普段おどけた仕草が多い渋郎は、精一杯真摯に表情を引き締めて訴えてくる。
「ど、どうか旦那、陽毬のお嬢さんを傷つけないでやってくだせえ。静真の旦那にも世話になったが、お嬢さんにも救われたんでさぁ」
静真はその熱心さにわずかに戸惑いながらも、胸にわずかにきしみのような物を覚えた。
「お前が警戒せずとも、娘との契約が終われば去る。獲物の横取りするようなまねはせん」
「いえ、お嬢さんはそういうんじゃ……」
静真がそう言えば、渋郎は物言いたげに言いよどんだが、そこで娘が戻ってきた。
「そうだ渋郎さんもお茶して行かれますか?」
「いえあっしはこれでおいとましやす」
米つきバッタのように頭を下げた渋郎はちらちらと静真を伺いながらも、疾風のように窓から去って行った。
「残念です。せっかくいただきましたし、渋郎さんにもご飯、食べていってもらえればと思ったんですけど」
しょんぼりとする娘に、不快感を覚えた静真はぐっと眉間にしわを寄せた。
しかし面の奥での反応だ、娘は気づかずにこにこと問いかけてきた。
「今日は渋郎さんからいただいた冬瓜を煮付けにしますよ。ほかに食べたいものはありますか」
「しらん。お前が勝手に食べさせるんだろう」
特に答える意義も見いだせずに静真はクッキーをかじっていたが、娘はこてりと首をかしげた。
「んーせっかくだから天狗さんにおいしく食べてもらいたいんですよ」
わき上がる違和にぐと言葉を飲み込んだ。
今まで食事という行為は人間そのもののように思えて、静真は嫌悪していた。だから何が好き、などと言うのは考えたこともなかったのだ。
しかし素直に言うのは業腹だった。
「そもそも意味もなく余分な食材を使うとは酔狂にもほどがある。お前はさほど生活に余裕があるわけじゃないだろう」
「確かにちょっとかつかつですけどねぇ」
それ見たことかとせせら笑った静真だったが、少々決まり悪そうだった娘がちらと静真を見るとはにかんだ。
「だって一緒に食べてくれるの、嬉しいんです」
静真は喉の奥に何かが詰まったような心地がした。
娘が宣言したとおり、その日の夜は冬瓜の煮物が並んだ。鶏挽肉が混ざった琥珀色の餡がかけられたそれは、琥珀色に染まりつやつやとしている。
食べやすい大きさに切り分けて口に運べば、出汁のうまみがしみ出てくる。ただなんとなく素直に美味いとは言いがたい。
「……あの、小鬼とはどういう知り合いだ」
娘の話が途切れたころに静真が口にすれば、娘はぱちくりとどんぐりのような目を瞬くと表情を緩ませた。
「渋郎さんは私が実家に居たころからの知り合いです。お腹を空かしてらっしゃったのでおやつを差し上げたら、お礼にいろんな旬のものを持ってきてくださったるようになって。今ではおやつと食材を物々交換する仲なんですよ。静真さんは?」
にこにこと問いかけてきた娘に静真は含んだ白米を飲み込んで考える。静真の仕事について語ったとしてもどのような関係か形容しがたかったため、無難に答えた。
「あれが勝手にまとわりついてくる」
「渋郎さんはお優しいですもんねえ」
小鬼が求めているのは由緒正しい天狗一族である静真とつながりがある、という事実だ。弱い妖がそうやって後ろ盾を求めることはそれなりにある。そして静真は小鬼が静真の名を使うことを許す代わりに、小鬼の足の軽さ、懐へ入り込み情報を拾ってくる腕を買っていた。要は利用し合っているのだ。あの小鬼の態度は打算でしかない。
しかし娘はそんなことは知らない。静真も説明する気はない。だからほけほけと微笑む娘に呆れた眼差しを向けてやった。
「お前はどこに居てもそのような無駄なことをしているのだな」
「無駄じゃないですよ。渋郎さんが持ってきてくれるお野菜どれもおいしいんです。天狗さんにも頑張って声をかけなかったら、こうしてご飯食べられませんでしたからね」
娘の言葉に、静真は唐突に佐徳のゆがんだ笑みが脳裏によぎった。
「静真だ」
「ふえ」
言葉に出してから静真は我に返ったが、都合が悪いことは特になかった。
ゆえにきょとんとする娘に向けて続けた。
「小鬼が呼んでいるのを聞いていただろう。俺の名だ」
「私に知られたくないのかと思って、めちゃくちゃ忘れようと思ってました」
「お前ごときに知られたところで、大した痛手ではない」
「呼んでもいいんですか」
「……勝手にしろ」
最後は何となく視線をそらして言ったのだが、娘は喜びをにじませるように表情をほころばせるのが気配でわかった。
「静真さん」
まるで宝物でも抱くように呼ばれた静真は、ざわと背筋が震えた気がした。
「えへへ、すてきな名前ですね静真さん」
「ただの記号でしかないだろう」
むずがゆいようなそれは居心地が悪かったが、それを出すのも決まり悪い。ただにこにことやに下がる娘の顔が妙に腹立たしく、白米を口に運ぼうとしたのだが、すでに空だった。
「静真さん、おかわりいりますか?」
「……いる」
くすくすと笑う娘にそう尋ねられた静真は多大な葛藤の末、しぶしぶ茶碗を差し出した。
天狗と呼ばれる方が、己のあり方として正しいはずだし、事実静真は誰にでもそう主張してきたために、渋郎に呼ばれることすら苦々しかったのだ。
里の者でも呼ぶの者は皆無で、佐徳が呼ぶのは、静真が「混ざり物」であると強調するためで嫌悪ばかりだった。
しかし娘の声はざわと腹の底が騒ぐが、静真の耳になじむ。
受け取った白米で残りのおかずを静真が口に運んでいれば、にこにこと笑っていた娘の話が続いた。
「そういえば、静真さん、洋菓子お好きそうですね」
「なぜそうなる」
「え、だってクッキー半分以上食べちゃいましたよね。しばらくのおやつにしようと思ってたんですけど」
「…………」
静真はただそこにあったから食べていただけだ。口当たりが軽いせいでやめ時がわからなかったのも確かだが。
一瞬止まった静真のをめざとく見つけた娘は自分の冬瓜の煮付けを飲み込むと、楽しげに言った。
「今度はカップケーキとか作ってみますね。あと足りなかったらちゃんと言ってくださいね? 静真さんの分もう少し増やしますから」
「……お前は本当に妙な人間だな」
この娘も己を利用しているはずだ。このように自分にかまおうとすることが不思議だった。
にじませたつもりはなかったが、娘は柔らかく笑うばかりだ。
「妙でもいいですから、また今度、ですよ」
娘の足は固定のあとはあるものの、すでに杖を使わずとも歩ける。
傷が治るまでという約束であったが、彼女が望む限りであった。だから静真が冷徹に接して、娘から約束を反故させる手もあるにはあったのだ。だがそれは天狗として宣誓した己の矜持に関わるためにすることはなかった。そういうことにしていた。
それに、いくら契約と言っても今のままではまったく釣り合わないのだ。
どうにかせねばなるまいと考えながら静真はその日も完食し、渡されたクッキーの包みを持ち帰った。
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