第5話 過ごす。

 それから、静真は娘の部屋に立ち寄るようになった。

 契約となったからには静真にとって果たすべき事柄になったからだ。

 傷が治るまではとしたため、時間は決まっていない。

 ただ約束を交わした翌日に赴けば、宣言通りおびただしい品数の食事が用意され、娘の得意げな顔が気に障ったため、あえて時間は告げずに行くことにした。


 それでも娘はいつ静真が来ようと、必ずご飯を用意した。 

 たいていは昼か夜だったが、かならず静真の腹具合を聞いて、その場にある材料でてきぱきとこしらえる。

 昼間は単品で完結する料理が、夜は白米と汁物におかずが数品がつくことが多い。


「今が夏休みで助かりました。まあ、バイトをお休みするのはちょっと手痛いんですけど」


 食事のたびに娘がぺらぺらとしゃべるために、静真はなにも質問せずとも娘のことがわかった。

 大学生という勉学中の身であること。親は居ないこと。管理栄養士という食事に関する職につくための資格を取ろうとしていること。弟が一人いること。

 静真は相づちをうったりうたなかったりしながら、娘の話を聞き流して、最後には約束である食後の挨拶を交わす。



 *



 その日、静真が家の窓に降り立てば、そこに娘は居なかった。

 この数何度か立ち寄っていたがこのパターンは初めてで、静真は一瞬硬直する。

 しかし、奇妙に窓に寄せられていたちゃぶ台の上に、伝言が書かれた紙切れが置かれていた。


『近くのスーパーでお夕飯の買い物をしてきます。6時頃には戻るので待っていてください。 陽毬』


 ほけほけとした話し言葉とは打って変わった整った筆跡に、静真は少し驚いた。

 今更、材料を調達するには買い物に出なければいけないこと、そして娘があの足で出歩いていることに気がついた。

 胸にほんの少しもやとしたものを感じた静真だったが「待っていてください」の下りに嫌な予感がして、窓に手をかければあっけなく開いた。


「あの阿呆……」


 呆れて良いのか怒ればいいのか、嘲笑すれば良いのかよくわからない。

 悪態をついた静真は窓を閉め直し、軽い結界を張ると空へと飛び立った。

 このいらだちは怒鳴りつけてやらねば気が済まない気がした。

 周囲を軽く旋回すれば、妙に荒れた気配を捕らえる。


「私食べてもおいしくないですよー!」


 かすかな声を拾った静真は急降下した。人気のない路地の暗がりに追い詰められる娘と今にも襲いかかろうとしている雑霊がいた。

 静真は無造作に腰の刀を抜くと、降下の勢いのまま雑霊に振り下ろす。

 神通力の乗った一太刀は、あっという間に雑霊を霧散させた。

 羽ばたくことで勢いを殺し地面に降り立つと、惚けたように座り込んで居た娘を振り返った。


「お前は一体何をしているんだ」

「天狗さん!? え、どうしてここに!?」

「俺の質問に答えてないぞ」


 我に返ったらしい娘が混乱しているのを強引に引き戻せば、娘は決まり悪そうにした。


「おそとで襲われることなんてほんとうに時々しかないんですよ? いつもはそーっと見なかったふりをすれば気づかないでくれるんですけど、今日はうっかり目の前で転んじゃいまして」


 えへへ、とごまかすように笑う娘に、静真が大きなため息をついた。


「お前の記憶力はどうなっている? 自分が手負いの上、脆弱だと言うことをどうしたら忘れられるんだ。そもそも窓を開け放して出かけるなぞ間抜けにもほどがあるぞ」

「天狗さんが暑い中外で待つよりは良いかなあと思ったんですけど」


 まったくわかって居るとは思えない娘に静真は妙な疲労を覚える。


「もしかして私を探しに来てくださったんですか。ありがとうございます。とっても助かりました」


 嬉しそうにはにかむ娘に礼を告げられた静真は、天狗面の裏で顔をゆがめた。偶然居合わせただけで、静真は目障りな物を排除しただけに過ぎない。普段のほうがよほど困難な使命を遂行している。たかが雑霊一匹物の数には入らないのだ。

 だが返す言葉が見つからず口をつぐんでいれば、にこにこ笑っていた娘が杖を引き寄せる。


「ちょっと待っててくださいね。買い物袋放り投げちゃったので……」


 杖にすがってゆっくり立ち上がろうとする娘にため息をついた静真は、投げ出されていた買い物袋を適当に拾った。


「とっとと帰るぞ」

「すみません、天狗さん。持ちますよ」

「……お前に持たせていると遅くなる、先に行くぞ」

「えっ、ありがとうございます」


 娘が照れくさそうにはにかむのに、静真は少々いらだちを覚えて翼を使った。

 その後、娘に合い鍵を渡されかけてもう一度説教めいた忠告をすることになった。





 *





 ある日に訪れれば、娘はすでに台所に立っていた。

 娘が家に居るときは、窓を開けっ放しにしていることを知っている静真が勝手に空ければ、甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐった。

 人里におりると、時々嗅ぐ匂いだ。すぐに気がついた娘がにこりと笑った。


「ちょうど良かったです、天狗さん。お茶しましょ」


 そう言って娘がちゃぶ台に並べたのは、まろい形をしたティーポットとマグカップ。そしてこんがりと褐色に焼かれた丸い塊がいくつも乗った皿だった。

 甘い匂いはその褐色の塊からすることから、食べ物だというのはわかる。


「クッキーを焼いたんですよ。焼きたてあつあつを食べられるのは手作りの特権ですよね」


 知識では知っていたが、食べるのは初めてだった。静真が困惑していることなどわかって居ないのだろう、鼻歌でも歌い出しそうな様子で、娘はティーポットからマグカップにお茶を注いだが、むしろそちらに気を取られた。


「今日は緑茶ですよー」


 あまり人間の食事情に興味がない静真だったが、それでも娘が形式というものにまるで頓着しない質だというのはわかった。

 静真にとって緑茶は急須で湯飲みに淹れるものだったが、娘は食べられれば良いだろうとでも言うように無造作に供する。

 おそらく、洋菓子に合わせるにふさわしい飲み物があるのではと思ったが、静真は黙ってマグカップに口を付けて、褐色のクッキーをかじった。

 静真はせんべいのような物かと考えていたがさく、とあっさりとほどけ、口の中に濃厚な牛乳の香りと砂糖の甘さが広がっていく。


「ふふ、今日はしっかりバターを使ったので豪華ですよ」


 この嗅ぎ慣れない香りはバターか。と納得した静真がそのままさくさくとかじっていけば、あっという間になくなった。

 二枚目はゆっくりと口に運んでいれば、娘はクッキーを口に運びながらも、ちゃぶ台でクッキーの一部を袋詰めしていた。


「何をしているんだ」

「ちょっとお裾分け用を作ってるんです。そろそろかなあと思うので」


 こちらの質問には上の空で、娘はがさがさといれていくと、紙袋を閉じていく。

 その光景を見るともなしに見つつマグカップを手に取ろうとしたが、代わりに鋭く振り返った。

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