第4話 約束する。
すぐにでも問い詰めに行きたかったが、静真が雑事を片付けて翼を駆れたのは、翌日の昼をだいぶ過ぎてからだった。
静真はいらだちのまま翼を使い、あの部屋のベランダへと降り立てば、娘は驚いたように窓へと駆け寄ってきた。
「あれ、天狗さん!?」
戸惑う娘が窓を開けた瞬間、静真は娘に詰め寄った。
「おい女。俺に何をした」
「なにって、え?」
「いつもの食事に味が感じられない。いままでこんなことはなかった。あのうどんを食べてからだ。あれに一体なにを入れた」
一夜明ければ改善されるかといえばそんなことはなく、粘土でも噛んでいるような気分だった。食べ物など食べられれば良い、そうは思いつつも自分に気づかれずに何かをされたというのが不愉快な静真は、容赦なく娘を詰問するつもりで迫ったのだが、娘は静真の話を聞いたとたんおろおろとし出した。
「ふえ、天狗さん大丈夫ですか。ご飯がおいしくないなんて大変ですよ! 病気ですか!?」
「お前が作ったものを食べたからだと言ってるだろう」
「えっ食中毒ですか! 私は全然平気ですけど、ごめんなさいっ。とりあえず安静にしましょう。ええとお布団はっ」
「……いや、もういい」
己よりも慌ててこちらを気遣うような言動をする娘に、静真はかえって冷静になってしまった。
そもそも非力な娘だと看破したのは静真であるし、台所で作業をしている間妙な動きがなかったことも覚えているのだ。そもそも彼女になにかが出来るようには見えなかった。
「邪魔をした」
「まってください」
静真が短絡的に行動した自己嫌悪に陥りつつ、窓から帰ろうとすれば、娘に袖を掴まれ引き留められた。
「天狗さん。おいしくなかったご飯なんでしたか」
「それを知ってどうする」
「私が再現して食べ比べて、何がおいしくなかったか検証してみましょう。ご飯がおいしくないのは一大事です」
柔和な眼差しを精一杯きりりとさせる娘に若干気圧された。
「鮎の焼き物と、厚揚げと根菜を炊き合わせたもの、と……」
静真がたどたどしく言えば、娘は若干涙目で震え始めた。
「うう聞いてるだけでお腹がすく献立なのに……! いいえでもだからこそ大変です。ちょうどさすがに鮎じゃありませんけど今日のお夕飯はお魚にしようと思ってたんです。今ある材料でなんとかなりそうですしちょっと待っててくださいね」
言うなり娘は左足をかばいながら台所へ向かった。静真が異論を挟む余地すらない。
包丁を使う音が響き、ことことと鍋で物が煮えれば甘いようなしょっぱいような出汁の香りが漂ってきた。
そういえば、うどんを食べたときもこのような匂いがしていた。
立ち尽くしているのも間抜けな気がして、静真が翼を畳んでその場に腰を下ろせば、娘は台所から話しかけてきた。
「全部再現できませんけど、どんな味か聞かせてもらえませんか」
「あまり、意識したことはないが」
「色が濃いめで醤油っぽいです? それとも素材の色が鮮やかで出汁っぽいでしょうか?」
「色は薄かった、ような」
「全体的に精進料理っぽいんですね。おだし総動員しましょう。お暇でしたら本でも読んでてくださいね」
いったい何を素直に答えているのかと静真は我に返ったが、うきうきと台所で包丁を振るう娘は今度はそれなりの時間を使って一汁三菜をこしらえた。
魚はひもので、切られた野菜は少々不揃いだったが、煮物と青菜の和え物と漬け物は静真が昨日食べた膳と同じだった。
ただ豆腐が泳ぐ味噌汁と茶碗に盛られた白米は湯気が立っている。
てきぱきとちゃぶ台に並べた娘は、どこか神妙な面もちで静真をうながした。
「では、なんか違うと思いましたら遠慮なく言ってくださいね。いただきます」
そのように真剣になることかと静真は呆れたが、娘につられるように箸を持っていた。
昨日と同じように汁物に手を付けようとしたところで、娘があっと止めた。
「天狗さん、熱いので気をつけてくださいね」
うどんの醜態を思い出した静真は寸前で止まり、少し警戒しながらすすった。
幸いにも熱さは感じたが耐えられぬほどではなく、じんわりとした温かさと出汁と味噌の香りが口に広がった。
「どう、ですか。味します?」
「……する」
おそるおそる尋ねてくる娘に、静真は悩んだのちにそれだけ告げた。
とたん、娘は安堵の息をついた。
「よかったあ! 天狗さん味覚がなくなった訳じゃないんですね」
「その、ようだ」
そう返した静真は、戸惑いながらもほかの皿へ箸を延ばした。食べ進めれば何かわかりそうな気がした。
我がことのように喜んだ娘は、煮物のにんじんを食べている。
「うんうん、良い出来です。煮物は一度冷ました方がおいしいんですけど、そこは見逃してくださいね?」
「別に」
煮物は色合いこそ似ていたが、こちらの方が味が濃い。出汁の香りはするが、あちらの方が風味が良いと冷静に分析してもいる。
しかし静真の箸はもくもくとすすみ、おかずを口に運んでいた。
おそらく味がしないのではなく味けがなかったのだ、と静真は認めざるを得なかった。
食事とはこんなに味がするものだったのかと戸惑っていたが、ではなぜこの娘の作った物で味を感じたのかはわからない。
口のに入れた白米の甘みをかみしめながら、静真がちらりと視線をやれば、娘は自分の分を食べながら聞きもしないのに楽しそうに話している。
「この干物は魚屋さんのおいちゃんがおすすめしてくれたんですよ。魚を買いに来てくれる若い子は少ないからってお値段おまけまでしてくださいました。こんなにおいしいですから、今度はきっと買いに行っちゃいます」
「そうか」
「そういえば天狗さん食べるのきれいですねえ。作った私も嬉しいです」
「そんなものしらん」
食事は一人で取ることが多かったためにうるさいほどだ。ときおりよくわからないことを語るが、遮る必要もないかと静真は放置する。
今回はきつねうどんより食べ終えるのに時間がかかったが、米粒のひとつ残さずなくなった。
「ごちそうさまでした! やー良かったです。天狗さんがおいしく食べられて。味気ないごはんは悲しいですからね。でもなんでだったんでしょうね」
空の皿へ向けて手を合わせた娘は、満足げながらも不思議そうに首をかしげる。
娘とほぼ同時に食べ終えた静真は無言で空の皿を見つめた。
腹が満たされるにはもう少し量が必要だろう。だが静真の腹は温かく、妙に満たされていた。
温かいというのも味の一つだったのだろう。あそこでの食事での違いはそれくらいだ。
それ以外に何がある。しかしながらそれを知ることが出来たの娘のおかげだ。
「望みがあるなら言え」
静真が言えば、はふうと満足そうに息をついていた娘はきょとんとした。
「え、もう叶っちゃってます」
「なんだと」
「だって天狗さん、一緒にご飯食べてくれました」
静真は口を閉ざした。そう言えば、数日前の去り際にそのようなことを言っていた。
だが、今回ここに来たのは原因を突き止めるためで、彼女の望みを叶えたのは偶然だった。
「ほかにないのか」
「んーと、じゃあまたごはん食べに来てください」
「足りん」
「ええと、じゃあ食べるときに一緒に”いただきます”と”ごちそうさま”をしてください。そしたら嬉しいです」
その程度のこと、と静真は却下しかけたが、娘の表情は期待に満ちている。静真が出した願いのたとえを聞いた時よりもよほどだ。
「ならば、その足が治るまでここに通う」
「はい……あ。来る時は事前に言ってくださるとご飯がよそ様用の豪華仕様になります」
「……契約成立だ」
真顔で付け足す娘に静真はため息をついて立ち上がった。この娘はよくわからない。人間という物は弱くて群れる愚かな者であると思っていたが、それとは違う不可解さだ。
しかし、それに借りを作ってしまったのは己である。
ならば、多少、郷に従うくらいするべきなのではないか。なんとなくそう思った静真は、おっくうな口を動かした。
「……ごちそうさま」
聞き取れるか聞き取れないか、ぎりぎりの声量だっただろうに届いていたらしい。
娘は面食らったように目を丸くした後、心から嬉しそうに顔をほころばせた。
「はい、お粗末様でした」
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