第3話 射場

 個人戦第一巡目。第三射場の四番が悠太郎ゆうたろうの今日の立つ場所だった。前に立つ13人の選手は他校で、同校の選手は唯一、後ろにはいつきだけが居る。現在の立ち順10から12の3つのまとまり、計15人の中で、薫ヶ丘高校弓道部は2人だけだ。

 喉の奥がギュッと締まり、心臓が早鐘を打っているのを感じていた。練習では後ろに4人を率いる大前おおまえと呼ばれる射手で、前にライバルが居ても、後ろには必ず4人が居た。樹、そう七生ななみ蒼汰そうた。明日の団体戦のメンバーだ。しかし今日は、個人戦。他校の選手の率いる集団のなかで、てなければいけない。いつもの呼吸が取り戻せない。口が渇き、矢取り道を挟むように座る両サイドの観客の存在をおおきく感じる。手は震えてないが、ゆみの姿勢を保ったまま筋肉が強張っている感覚がする。このままならいつもの射形にならない。

 前の選手の弦が張りつめて、かいの状態に入ったようだった。

 慌てて取掛とりかける。番えた状態で左手に支え持っていた一射目の甲矢はやを右手のかけに引っ掛け、捻り、息を吐いて、的を見る。

 だめだ、と悠太郎は直感した。これでは中てられない。身体が硬い。二の腕の使うべき筋が上手く動かせない。息が吐けない。心拍が上がった気がする。駄目だ。雰囲気に飲み込まれたまま、自分が戻ってこれていない。

 打ち起こし、肩が上がって窮屈に感じる。

 ゆっくりと出来るだけ大きく弦を引き分けようと試みて、失敗に終わる。普段よりも弦の張りつめが甘い。駄目だ。

 弦音つるねが鳴った。

 矢が飛ぶ。

 28メートル先の的には掠りもせず、湿った安土あづちに刺さった。

 息が整っていなかった。

「はぁ……はぁ……はぁ……ふー……。すぅ」

 一射目を外した。そのおかげだろうか。肩の力が一気に抜けたのを感じた。酸素が入ってくる。意識がはっきりした感覚がする。

(あ、いける、大丈夫だ)

 今度は自分が立て直せたのを直感した。

 後ろからしゃんっ、と音がして、間を置かず的場でタァン、と的を射抜いたのを聞いた。樹からの挑発のようだ。これは買ってやるしかないな。

 二射目、乙矢おとやを番え終えて息を吐く。残り三射は中る気しかしない、その心意気で行こう。


 弓道は、一つ一つの動作にかける時間が長い。観客席も含めて会場は息の詰まるような静謐な空気が満ちている。身じろぎひとつ出来ない。唯一、行射中に声を出せるのは的に中った時のみ。

「よしっ!」

 樹の一射目が中ったのを見て、客席の部員たちは声を揃えて言った。余韻が僅かに残っているのに重なって、他校の声が響く。射場が中り外れの世界なら、客席は声出し合戦だ。ここからの応援は声を出すことしか出来ないから。


 悠太郎は残り三射をきっちり中てて退場していった。

 最後の一射を引き分けながら、頭から雑念を締め出していた樹は知らずのうちに弦の引き具合がさっきまでよりも小さくなった感覚を覚えた。焦りか、それとも緊張か。これを中てれば皆中、四射四中で二巡目に有利になる。外すわけにはいかない。そう思えばおもうほど、筋肉が強張っていく気がした。

(押し手強いほうがいいかも。これならきっと下に行く)

 意識を強めて離れた。

 四射目、矢はガっ、と鈍い音をたてて不格好に的に刺さった。正確には的枠に刺さった。他の矢が的に垂直に刺さっているのに対し、最後の矢だけは入射角が斜めになっている。弓を倒して退場をしながら、深く長く息を吐き出す。

(押し過ぎたか。十二時なら許容範囲だけど、矢は外れた気がする)

 射場から選手控えへ退場した時、背後で「よしっ」と声がした。ちょっと小さめで、不揃いの、部員たちの声だ。続いて拍手が響く。

「樹、ナイス皆中」

「……はぁ。ありがと。ゆうたも三中おめでと」

 矢が的に刺さったかどうかは、的枠という木枠の内側に矢尻があるかどうかで判定される。的枠を通貫していなかったら、的に掠っていても枠に刺さっていても『外れ』とみなされる。樹の四射目は無事に貫通していたようだ。

「マジで心臓に悪かった……」

 控え室に戻りながら、樹は胸をなでおろした。

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『的あてゲーム』と言うんじゃない。 涼暮 憂灯-スズクレ ユウヒ @1435yuh

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