中身
***
高校時代の話だ。
昔の彼女は地味な女子生徒だった。暗髪なのは変わらないもの、前髪を長く伸ばしているせいで、重たく感じる。中身も同じく、根が暗い。代わりに暗色の髪は一度も染めたことがなく、清楚な雰囲気のただよう学生だった。
ある日、両親が事故で死んだ。
しめやかに営まれた葬式。集まった黒服の者たちは二つの遺影を見て、哀れむような目をする。
一方で彼らの少女に対する視線は鋭い。
「どうしてこんな子が生き残ってしまったのだろう」
「代わりに死ねばよかったのに」
彼女は愛されていなかった。
やくたたず・穀潰しのレッテルを張られ、両親と比較されるだけの日々。そんな環境の中では、居心地が悪かった。
全てが終わった後も、彼女は家に残る。親戚たちの元へは行かなかった。代わりに彼らからの仕送りで、生活をする。
たった一人残されて、後はなにを成せばいいのだろうか。
結局はなんの取り柄もない少女である。認められたことは、なかった。唯一褒めてくれた母と父は、すでにこの世にいない。ならば、自分がこの世界にいる意味とは、なになのだろう。
全てがどうでもよくなった。
ふらふらと家を出て、町を歩く。行き先は一つ。廃ビルを見上げ、中へ足を滑らせる。
階段を上る。狭い空間の出口。扉を開けると、真っ青な空が出迎える。屋上にたどり着いた。
風が気持ちいい。死ぬ前にしては、爽やかな気分だ。
さあ、思い切りよく飛び立ってしまおう。
足場から体を浮かせようとした。まさにそのとき――
「こんなところでなにをしているのかな?」
淡い声がした。
ぎょっとして振り返る。
目を大きく見開いた。
その瞳が、相手の顔を映し出す。
真っ白な肌をした、ひ弱そうな少年。彼が私の前までやってくる。
それが、少女が最初に彼を意識した瞬間だった。
その日は逃げるように、立ち去った。
それから次に出会ったのは、病院の前。
ふと通りがかった建物の前。足を止める。視線の先――病院の入り口に、彼の姿があった。
そういえばと思い出す。彼は普段から学校を休みがちだったなと。
元から二人は同級生だった。ただし、一緒に話す機会があるだけで、特別、仲がよいわけではない。それに、彼は誰に対しても友好的な態度を取る。その癖、深く関わりたがらない。それはなんとなく軽薄で、とらえどころがなかった。
そのまま、ぼんやりとしていると、不意に声をかけられる。
「どこか悪いのかい?」
例の少年だった。
「別に」
そっけなく答える。
それから彼女たちは近くのベンチに座る。
彼に買ってもらったジュースを飲みつつ、口を開く。
「私は死にたかった。本当に、死にたかったのよ。それをあなたは邪魔をした」
「だったら、僕の見えないところで、実行に移せばよかったんじゃないかな?」
「あなた、地味に人でなしみたいなことを言うのね」
「それをしないと分かっているから、言ったんだよ」
本当に意地悪な人だ。
実際に今の彼女はなにもする気は起きずにいる。死ぬ気力すら湧いてこない。ただ、ベンチに肘をかけて、機嫌な悪そうな顔をしている。
「僕としては君の考えは理解できないんだ。どうして恵まれた肉体を手に入れたのに、死にたがるのか」
少年の境遇は知っている。
彼は病弱だった。出席日数がギリギリ足りる程度には休みし、よく風邪を引いている。顔立ちも中性的で、線が細い。見るからに儚げだけど、彼の明るい性格が悲壮感を吹き飛ばしていた。
ぼんやりと眺めていると、彼が軟弱な生物であることを、忘れてしまう。むしろ、芯が強いほうではないだろうか。そう思わせるなにかがあった。
「なぜって、それ以外の全てを失ったからよ」
確かに体は健康だ。風邪を引くことは滅多にない。
それに引き換え、彼はどうなのか。命のタイムリミットはすでに設定されているようなものである。そんな人生、つまらない。理不尽だ。少なくとも、少女にとっては勝負を下りたくなる。最初からバッドエンドが決まっているような人生、願い下げだ。
それなのに、なぜ彼はこんなにも明るいオーラを放っているのか。
それを理解できない。
「どうしてあなたはそんなに楽しそうなの?」
純粋に疑問に思って、尋ねてみる。
「逆じゃないかな」
「逆って、なによ」
片方の眉をひそめて、問う。
「限られた人生だからこそ、この生を名一杯やろうと思えるんだよ」
そういうものなのだろうか。
ただ、つらいだけではないのか。
いささか、納得しかねる。
「ああ、そうだ」
不意に彼が立ち上がる。
「付き合ってくれないかな?」
明るい表情で、彼は言う。
「僕が死ぬまで、それを見届けてくれる人が、ほしかったんだよ」
眉をひそめる。
「どうして……?」
なぜ、なんの取り柄もない少女を選んだのか。それが分からない。
そんな顔をして、問いかける。
「なぜって、たまたま、そこに君がいたから」
なんて適当な理由なのだろう。
若干のイライラを胸に感じた。
とにかく、いったんそこで二人は別れた。
次の日、彼は学校にやってくる。キャーキャーと、クラスの女子が黄色い歓声を上げる。相変わらず、人気なようでなによりだ。心の中でつぶやく。
彼は誰にでも優しい。扱いは平等だ。美女であろうと落ちこぼれであろうと、挨拶は欠かさない。人見知りもしないタイプなようで、積極的に話しかけにいく。それは根暗な少女とて、例外ではない。
読書をしていると、「なにを読んでるの?」と尋ねてくる。同じ本を何度も読み返していると、「好きなの?」と声をかけてきた。
自分が特別ではないことは分かっている。だから彼は、ありとあらゆる生徒から愛されているのだ。教室に訪れる機会の割に、少年の存在感はクラスの中でもひときわ強く、輝いていた。
対する自分はなになのだろうと、彼女は考える。
性格は消極的。自分に自信が持てないのが現状だ。なんせ成績は悪く、運動も得意ではない。
少女は悩んでいた。果たして自分はここにいてもいいのだろうか。このようななにもできない娘が、息を吸っていて、いいのだろうか。
そうした中、不意に彼から告げられた言葉は、彼女の運命を大きく変えた。
「君って実は、美人なんじゃないかな?」
「え?」
読書の最中、唐突に言われたこと。
褒められているのか、からかわれているのか、分からなかった。
所詮は地味なだけの娘だ。オシャレをしたところで、洋服に食われるだけである。ゆえに私服は黒やグレーばかり。制服も校則通り、着ている。スカートの丈も、全くいじっていなかった。
「町に出てみなよ。俺も一緒についていくからさ」
それはデートを意味するのか。
深読みすると、彼を異性として意識してしまう。
正直なところ、恥ずかしい。だが、せっかくの機会だ。少しくらいはオシャレを楽しんでも、いいかもしれない。
かくして部屋にあった洋服をかき集めて、コーディネートを始める。自分に似合う色や形をチョイスして、試してみた。原色の赤や、花のように広がるスカート。あまりにも女性的すぎて、手放したくなる。
結局、いたたまれない気持ちになったため、普段通りの自分で出ていってしまった。
それでも、彼と一緒に外に出る。
なにごともなかったかのように、一日を終えようとしていた。
「ねえ、やっぱり私には無理よ」
顔に影が差す。
暗い表情で告げても、相変わらず彼は明るいままだ。
「なに言ってるんだ? ほら」
急に近づく。
彼は少女の唇にリップをつけた。
そして、ファッションショップの大きな窓の前に、連れてくる。そこにはりんご色のリップをつけた、彼女の顔が映っていた。
「ほら、君に似合ってる」
確かに。
そう一瞬、感じた。
だけど、結局、その程度ってことだろう。
それでも、彼は言った。「確かに君は整った顔立ちをしている」と。ならば、その期待に答えたい。
彼女は自分を磨き続けた。
まずは髪を着る。思い切って、オシャレだと思った服を購入し、着替えてみる。何度でも鏡の前に立って、自分はきれいだと念じ続けた。
そしてある日、鏡に映る自分の姿を見て、驚愕する。
そこに映っていたのはもはや、昔の自分ではない。二重まぶたがぱっちりと開いた、可憐な乙女。頭の上ではポニーテールが軽やかに揺れている。ゴムについたリボンも彼女の持つ華やかさを強調しているかのようだった。身につけた原色の服も、彼女の個性を押しつぶすどころか、よりその美しさを引き立てている。
ようやく、変わることができた。なにもなかった自分から卒業できた。そのうれしさで、顔がほころぶ。
それから彼に変わった姿を見せるときが、やってきた。
開口一番、少年は告げる。
「やっぱり、すごくきれいだ」
しみじみとつぶやく。
「実は、知ってたんだよ。最初から」
ずっとこの機会を待っていたという様子で、彼は話す。
その言葉は深く彼女の心に突き刺さった。
その日以来、少女の世界は変わった。ずっと心を覆い尽くしていた灰色の雲は晴れ、晴れ間が覗く。以前よりも気持ちが生き生きとし出す。人生を前向きに歩めるかもしれない。そんな気がしてきた。
そんなある日のこと、急に彼が学校に来なくなる。
彼が元から抱えていた病が悪化した。
もう持たないかもしれない。そんな感覚が湧く。
だけど、信じたくなかった。まだまだこれからというときだったのに。
彼女は懸命に看病を続けた。病院にも付き添った。
これで終わりにしたくない。彼と家族になりたい。
少年はなんの取り柄もなかった自分に価値を与えてくれた。
自分を変えてくれた。
そのお礼をまだ、返せていないというのに。
――想いは届かなかった。
回復は叶わない。
日に日に弱っていく彼の姿を見届けた。その様は食べ物が腐っていくようでもあった。
「ねえ、お願いがあるの」
夕日が沈む室内は薄暗い。それとは対照的に暖色の光はまぶしく、炎を連想する。例えるのならそれは、この世の終焉によく似た風景だった。
清潔なベッドに横たわる彼へ向かって、呼びかけた。
「私を連れて行って。あなたと同じところへ。私も、後を追いたい」
けれども彼は静かに首を横に振る。
「君はダメだ」
それは完全なる拒絶だった。
絶望に似た感情が心に広がる。
「だって君にはまだ、続きがあるじゃないか。ここでなにもかも手放す必要なんて、ないんだよ」
「それでも、私は……!」
そこに続く言葉はなかった。
なんと言えばよかったのか。
本当は分かっていた。自分はひどい人なのだと。
彼は自分と違う。生きたくても、長く生きられない人間なのに。それを知っていながら、死ぬことばかり考えていた。自分のことばかりを考えていて。
なんと、声をかければよかったのだろう。
そんな暗かった自分を励ましてくれたのは、慰めを与えてくれたのは、彼だった。本来その役は自分のはずだったのに。なぜ……?
「生きてほしい。君には、生き残って欲しいんだよ」
振り絞るような声で、言葉を発する。
瞬間、少女の頬を涙が伝った。
それから数日後、彼は死んだ。
苦しみのない安らかな世界へと、旅立っていった。
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