第6話 いつか見た夢みたいな
紋三郎は本が好きだ。
文字の中に身を埋め、黒い染みをひたすら追う。外から来る情報は全て遮断され、そこにいるのが自分と、時に華々しく、時に簡単に飾られた感情だけになる。それらと十分に時間をかけて、ただ真摯に向き合う。一つ一つ手に取り磨くように、奥歯でしっかりと噛み締めるように。
そういうものを愛する人が集まる本屋も、もちろん彼の好きなものの一つだった。
夜桜宮の隣にある白雪宮は涼しく、立ち読みに没頭するにはいい環境だった。紋三郎のいる本屋でも、何人かが突っ立って本を読みふけっている。そしてもちろん、紋三郎本人もその一人だった。
「何、読んでらっしゃるんですか」
「あ…猫屋敷さん」
降ってきた声に顔を上げると、幸人がこちらを見下ろしていた。
「
「妹の民…ですか。実在するんですかねえ」
「こう、なんというか、夢があるじゃないですか。彼らしか知らない術を使って、人々を救い、親のいない娘を保護する女だけの一族…、興味湧きません?」
「それもそうかもしれませんね」
この世界は謎だらけで、色んな伝承や歴史がごちゃごちゃになっている。本当はあの虎のことが書いてある本を見つけに来たんだけど、まあいいか。
「鹿乃子さんと円さんはどうしてます?」
紋三郎が聞くと、幸人はああ、と本屋の入り口を手で示した。
「紋三郎くんに猫屋敷くん、買い物終わったわよ」
花束片手に鹿乃子が微笑む。その隣には大量の荷物を提げた円が。
「次の依頼は護衛。
円が無機質な声でそう言った。遭難者や崖から落ちた人など、山の中は妖魔と遭遇する危険性が高い。仲間が死んで妖魔と化す可能性すらある。それを恐れ、対人専門の護衛ではなく退魔術師をつける旅商人や旅芸人も多いのだ。
「どんな方ですか?」
紋三郎の言葉に、円が今来た道を指し示す。
「布を被った若い娘。きっとまだ角の店に居るから会いに行くといい」
「へえ…」
大して年を取っていない女が山越え、か。そりゃあ護衛がいるだろう。男のいる一行に頼む理由は分からないが。
「じゃあ、僕ちょっと見てきますね」
「いってらっしゃい、ここにいるから」
駆けていく紋三郎の背に、鹿乃子の声が降った。乾いた石畳に草履の音がぱたぱたと響く。
「すいませえん」
からんからん、と鈴が鳴く。軋みながら開いた扉の向こう、寂れた喫茶店の中には、客は一人しかいなかった。
「あ…」
「はじめまして。満願山に護衛として着いていく者です」
「…はい」
確かにそれは少女だった。ゆらゆらと目を泳がせ、汚れた布で顔を隠している。そしてそのまま、ゆっくりと口を開く。
「…あの、覚えてないですか」
「何を?」
か細い、今にも消える蝋燭の火のような声音だった。少女はかぶりを振ると、何でもありません、と早口で呟いた。
「よろしくお願いしますね」
そう挨拶して、紋三郎は去っていく。
随分変わったな。背丈も伸びて、声も少し大人びた気がする。…ねえ、「私」のこと死んだと思ってるんでしょう。まだ覚えてる?今すぐ思い出せる?「私」がもし、蘇ったら…生きていたら、良かったって喜んで、笑ってくれる?
少女はその背中をじっと見つめる。翡翠の色をした瞳で。
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