第5話 翡翠の目

 「…猫屋敷さん」

 「はい、なんでしょうか」

 泊まっている部屋の隅に座り込んで、紋三郎は窓の外をぼんやりと見つめる。独り言のように呟いたけれど、幸人はちゃんと反応してくれた。

 「猫屋敷さんは、なんで退魔術師になったんですか」

 「なんで…ですか」

 彼は少しの間悩むと、うん、と頷いた。

 「私は、鹿乃子さんに拾われて、育ててもらったんです。戦う彼女をずっと側で見ていて、子供ながらに憧れていたのかもしれません。気付いたら目指していました」

 「…やっぱり、そういう方もいるんですね」

 家族を救うため、自らの全てを捧げて術師になった空。育ての親に憧れ、危険な仕事に飛び込んだ幸人。…そして、自分。どれが退魔術師としてあるべき姿なのだろうか。

 「…何か思うところがあるなら、円さんや、それこそ鹿乃子さんに聞くのもいいと思いますよ」

 幸人の助言に気づいているのかいないのか、紋三郎はぼんやりと遠くを見たまま何も言わなかった。



 紋三郎の目の前、燃え盛る炎の中、少女が泣いている。

 薄茶の髪、翡翠の瞳、健康的な肌。紋三郎はこの少女を知っている。知っていた。知っていたんだ。

 どうして、と絞り出すような細い声がした。どうしてこんな目に合わなきゃいけないの。こんな死に方したくなかった。私にはまだ、まだやりたいことが。やりたかったことが。

 ふいに少女が顔を上げた。光のない瞳が空を映した。

 「………紋三郎」

 確かに、自分の名前を呼ばれた。

 少女は炎に呑まれていく。髪がちりちりと音を立てて焦げ、色鮮やかな着物が黒く染まっていく。紋三郎は何も出来なかった。救うことも、庇うことも、言葉をかけることすらも。

 そこで目が覚めた。

 「はっ…うあ…ああ…」

 額に浮かんだ汗をぐいっと拭い、安堵から深く息を吐いた。…嫌な夢を見てしまった。

 彼女のことは知っている。かつての友人、神楽ヶ瀬由良かぐらがせゆらだ。

 浅葱家より遥かに大きな名家の出でありながら、時折紋三郎に会いに来て、軽口を叩いた由良。退魔術師になって、色んな人を救うのと夢を語った由良。友好を結ぶための道具として、若くして別の家に「贈られた」由良。自分には関係のない不祥事で恨まれ、地獄のような炎の中で死んだ由良。…彼女との思い出は明るくて、けれども何より暗かった。

 …とにかく目が醒めてしまった。今夜はやたらと月も明るいし、もう眠れないかもしれない。そう思って窓の方を見た紋三郎の瞳に映ったのは。

 「え…」

 巨大な白い虎だった。

 「と、虎…とら、とらぁ?!」

 虎も紋三郎に気付いたようだ。一人と一匹はしばらくの間見つめあった。一分どころか三十秒もない、ほんの僅かな時間なのに、紋三郎には永遠であるかのように感じられた。怖かったのではない。虎に見とれていたのだ。

 白い虎は珍しく、捕獲されて豪邸の床でぺったんこになることが多いのに。それを抜きにしても、ここまで大きく毛並みの綺麗な個体は七の都中探してもいないだろう。それに、その目の澄んだこと!清々しい朝の空のような、薄い瑠璃色の瞳。右目は傷で塞がれているが、開いていたらさぞ美しかったことだろう。惜しいなあ。なんて自分が思っていることに、紋三郎は驚いていた。

 虎は低く重く唸ると、こちらにゆっくりと近づいてきた。敵意は感じられないけれど、あれ、これ、ひょっとしてまずい?

 そのまま紋三郎が布団に押し倒されるのに、大して時間はかからなかった。

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