レポート43:『同族嫌悪』

 4限目が終わり、購買へ向かう者がチラホラと現れる中、いつも通り10分ほどで昼食を平らげ、体育館へと向かう。


 面倒なことは、さっさと済ませるに限る。


 着けば案の定、センターサークルで榊先輩が待ち惚けしており、窓から差す光に照らされていた。


 ほんと格好良いにも程がある、イケメンに許された演出だった。



「―――」



 入口で立ち止まり、しばらくして視線が交差する。

 気づいたことを確認して、歩み寄っていく。


豊臣海斗とよとみかいと


 ふと呟かれた一言に足は止まる。


 遠くを見つめる榊先輩の目は、どこか茫然としており、何を考えているのかわからないような立ち振る舞いだった。



「全国でも5本の指に入るSG《シューティングガード》。絶対に外さない3Pシュートと、奇怪なドライブパスから、付いたあだ名が――『爛漫らんまん道化ピエロ』」



 その瞳の奥からは確かに静かな闘志と、小さな憧れが漏れ出ていた。


 不敵な笑みを浮かべながら、どこか諦めたようにも見える榊先輩の表情に同情する。


 まるで、昔の自分を見ているかのように穏やかな物言いだった。


「知り合いか?」


「……ただの幼馴染です」


「そうか」


 崩れない胡散臭い愛想笑いに眉を顰める。

 未だ何を考えているのかは読めず、下手に口を動かすことができない。

 ただもしかしなくとも、話題から嫌な予感だけはしていた。


「バスケ部、入らないか?」


「嫌です」


「即答か」


 何となく、豊臣の話題を切り出した時点で勧誘の話ではないかと直感はしていた。

 故に反射的に本音が漏れ、榊先輩は失笑していた。


「その理由を聞いてもいいかい?」


 それはとても意外な発言だった。


 今まで出会って来た人の中で、一問一答の端的な解答を掘り下げてくるような者は、高校入試の面接官くらいだった。


 言葉にするのを面倒臭がる性格だから、聞かれないと答えないタチだから、自分から自分の考えを発信することは、まずない。


 寡黙という言葉がよく似合うくらい、一言の解答に対し、一言のそれらしい理由を付け加える程度の会話しかしてこなかった。


 周りの連中も、話しかけることのない積極性皆無さ、返答における言葉数の少なさから、そういうシャイなヤツなのだと認識して、自己完結していた。


 それ以上の解答を求めてくるような自分に興味を示してくる存在など、瑠璃や氷室くらいのものだろう。


 あとは精々、SNSで知り合った人とのやり取りで、言葉を文字に起こす程度。


 理由を聞いてくるというのは、それほどまでに自分にとって物珍しい行為だった。


 だから榊先輩の質問に少々戸惑っていた。



「―――」



 答えるかどうか迷っているうち、三秒にも満たない時間が経過する。


 どう答えるかという内容にも思考を凝らしながら、一番に上がってきたのは『それらしい理由』は『もっともな事実』で。


 とりあえず、それを提示することにした。


「俺は、ドリブルが苦手です。レイアップもできません。まぁ、練習すれば、できるようになるでしょうけど……」


「けど?」


 事実を並べ立てるだけでは、榊先輩は納得しない。

 普通なら、ただこれだけの一言で『もっともだ』として会話を終える。


 『そうか』という一言を待ち侘びていたのに引き下がらないとは、厄介な先輩である。


 さすがは五市波高校、史上最高の優秀生と言ったところか。


 相手の意見を全て聞き出したうえで、答えを導かんとする姿勢。

 会話のキャッチボールというものを心掛けている。


 そんな相手が興味を持ってくれているというのだから、至極光栄である。

 だから少しは、応じてみたいと思う。


 優しくしてくれる人には、優しさを。

 邪険に扱われれば、それ相応の態度で応える。


 頼られれば、助力は惜しまない。

 貸しはつくっても、借りはつくらない。

 ただいつか、返してくれるというのであれば儲けもの。


 何より、関わっていたいと思える人と関われるのであれば、それでいいと思っていた。


 思い出となって、大切な贈り物として、もう十分に対価は頂いている。

 それ以上、何かを望んでしまうのは、さすがに欲張りというもの。


 それでも何かを与えてくれるというのなら、その人はきっと、恩に報いろうとする心優しい人なのだろう。


 そういう人はいつか、困った時にも手を差し伸べてくれる。


 見返りが欲しくて、応えるのではない。

 人に対し、鏡のような反射材として関係を築いていく。

 さすればそれが、自分のためになると信じている。


 それが『真道鏡夜』のモットーである。


「俺がここに来た目的は、それじゃありませんから」


 咄嗟に吐く言葉はいつも、事実であって真意じゃない。

 納得させるだけの体のいい言い訳に過ぎない。


 身長が低い、高2から始めても残り1年しかない、本気でやったところで試合に出られるかはまた別の話、部内の人間関係、学業への影響、他にも理由はたくさんある。


 けれど、そんな心配を並べ立てたところで、先輩は納得しないだろう。

 どれも『事実』でしかなく、自分が諦める理由にはならない。

 だから自分がやらないとする確固たる決意を表明していた。


「そうか」


 その覚悟を察してくれたのか、榊先輩は苦笑していた。

 残念そうでありながら頬を緩ませた表情。

 そこに胡散臭さは感じられなかった。


「君なら、低身長プレイヤーの中でも、トップクラスに入れる実力だと見込んで声を掛けたんだが……残念だ」


 『勿体ない』と言わんばかりに肩を竦めて嘆息するあたり、榊先輩はお世辞ではなく、本気で言っているのだと思われる。


 もしかしたらそれも、夢ではなかったのかもしれない。

 けれど、それを手にする資格は自分にはなく、もう手遅れである。


 小学や中学から技術と体力を身に着けた連中が、ゴロゴロとひしめく高校バスケに今から参戦したところで、まともな活躍はできないだろう。


 何より、幼馴染の彼らが10年近くかけてようやく辿りついた舞台に自分も足を踏み込めるような気がしない。


 たとえ誰かの力を借りて、そこまで上り詰めることができたのだとしても、それはチームの実力であって、自分個人の力ではない。


 その勝利の中心に自分がいないのなら、素直に喜べるはずもない。

 心の底から笑えないのなら、そんな紛い物の栄誉に興味はない。


 だから、そんな夢物語はいらない。


「あの」


「ん?」


「一つ、聞いてもいいですか?」


「何?」


 何でもわかっているような微笑が少し、かんさわる。

 それでも、聞くなら今しかないと、そう思っていた。


 それが誰の企みで結ばれた接点であろうと、彼と巡り合わせてくれたことだけには感謝しながら、意を決して口を開いていた。


「……どうして、長重を生徒会長にしたんですか?」


 ずっと気になっていた疑問。


 五市波いつしば高等学校の生徒会役員は、生徒会長の指名によって行われる。


 それは役員を指名昇級して関係を継続したり、排除することも可能とした生徒会長の特権。


 役員不足の場合、一般生徒からの指名も可能。

 逆に生徒が入りたいと言えば、生徒会長の承諾を得ることで役員になれる。



 ――が、



 昨年、名乗り出た生徒、1年生6名・2年生4名のうち、残ったのは長重美香ながえみかただ一人。


 順当に行けば、長重に会長の座が回ってもおかしくはない。


 けれど、問題はそこじゃない。


 どうして長重なのかが、問題なのだ。


「周りからすれば、妥当な判断なんでしょうけど……」


 成績優秀、副会長を担わされており、生徒からの人望も厚い。

 次期生徒会長としての資格は十分にあるだろう。


 しかし、それこそが皆を納得させるための体のいい言い訳にしか過ぎないと、自分には思えてならなかった。


 そうしてぼそりと呟いた言葉に榊先輩の目の色は変わっていた。


「……気づいてたか」


 少し狂気に満ちた嫌らしい笑みを見せる榊先輩に眉を顰める。


 やはり『長重美香』を前生徒会長が推薦したのは、それが最も効率的な方法というだけではないらしい。


 それを建前とした、また別の何かを目的とした企みの上で長重は利用されていた。


 場合によっては許せるはずもない料簡りょうけんに榊先輩に向かって鋭い視線を飛ばす。


「……やっぱり、わざと残してたんですね。長重だけ」


 三対三スリー・オン・スリーの時にわかった事実。


 榊先輩は、他人を切り捨てることに躊躇がない。


 だから、生徒会役員も同学年であった生徒3人だけを残し、他学年で気に食わない生徒は容赦なく排除している。


 もちろん、榊先輩のことだから正当な理由があってのことなのだろう。


 それでも、長重より有能なヤツが他にいなかったわけじゃない。

 それなのに『長重美香』以外を全員排除していることが解せない。


 一体、何の理由があって、長重でなければならなかったのか。


 その疑問を晴らす時が来た。


「だって、面白そうでしょ?」


「……は?」


 期待した答えとは全く違う言い分に目が点になる。

 真顔で言い放つ姿から、ただ純粋にそう思っているのだと、見て取れる。


 ただ『それだけではないだろう』と尚も疑わずにはいられなくなる。


 納得できないとした空気に榊先輩も言葉足らずのまま終わらせる気はないようだった。


「彼女を見た時、一瞬でわかった。こいつ何かあるなって」


 その鋭い勘に見抜かれたとでも言うのか。


 いまいち納得できない理由に『いや、そうでもないな……』と目を伏せる。


 今朝、駅で佇む長重の姿を見て、思った。

 確かに長重にはどこか、危ういところがある。


 人と話せば満面の笑みで受け答えする人当たりの良さは相変わらず。

 それでも時折、一人になった途端に寂しげな表情を見せている。

 まるで人が変わったみたいに印象が違う。


 長重は上手く誤魔化せているつもりなのだろうが、その姿を一目すれば誰だって思う。


 たった一言、『おかしい』と。


「いろいろ調べてみてわかった。彼女、記憶がないんだって?」


 嫌な人に出会ったと、つくづく思う。


 普通の人であれば『おかしい』と思うことでも、そこまで深入りすることはないだろう。


 しかし、榊先輩のように勘の鋭い人を前に『おかしい』を繰り返せば、嫌でも気づかれる。


 気づかれたことを否定し、誤魔化すことは容易いが、信じるか信じないかは相手次第。


 榊先輩のような腹黒な人は、大体が信じない部類に該当するだろう。


 故に今は、自分は何も知らないと動揺していないように見せるのが最善の策だったのだが、逆にそれが動揺の現れとなっていた。


「図星か」


 予想通りとでもいうのか、何でもわかった顔つきに眉を顰める。


 気づかれていた、まではわかる。


 だが『長重の記憶がない』という情報がどこから漏れたのか。


 それが不思議でならない。


 一体誰がと考えた時、上がった候補は二人いた。

 奇しくもそれは、この『いじめ案件』に関与していた二人。


 『真道鏡夜』の正体を明るみにしてはならないという条件下から、彼女という選択肢は必然的に消えてしまう。


 消去法から言って、彼であろうと思った瞬間、胸には確かな不快感が広がっていた。


 裏切りとも呼べる行為に認めたくはないと思ってしまう。


 それ故に決めつけるのはよくないと、長重本人が榊先輩に相談した説を疑ってはみても、それはそれで榊先輩に敗北した気分になる。


 どちらにせよ、この場で榊先輩が『長重美香』の秘密を知っていることが、問題である。


 そのルーツを含め、自分にとって都合の悪いことであるということに間違いはない。


「……誰から聞いたんですか?」


「さぁ、誰だろうね?」


 あくまで教えるつもりなどなく、本当に何を考えているのかわからない。


 この人は一体、何をしたいのだろうか。


「あ、でも」


「……?」


「今日の放課後、屋上に行けば今回の黒幕がわかると思うよ」


 黒幕という言葉と無邪気な笑顔。

 何とも『したたか』という言葉が似合う榊先輩を目に嫌気がさす。


 結局、誰が『いじめ案件』の犯人なのか、わからず仕舞い。

 ただ何となく察しがついており、それを確かめる間もなくチャイムが鳴る。

 煮え切らないが、次の授業は移動教室のため、大人しく食い下がることにした。



「―――」



 榊先輩に背を向け、渡り廊下へとやってくる。


 しばらくして背後に目をやれば、榊先輩が誰かと電話している姿が見え、それを瞳は確かに捉えながら。


 そうやって、体育館を後にしていた。


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